恥ずかしながら今まで《グレの歌》を聴いたことがありませんでした。
「後期ロマン派最後の傑作」と謳われていましたが、はっきり言って、内容も知りませんでした。
しかし、ひとつだけ無人島に持っていくことが出来るのだったら、この《グレの歌》を持っていくという文章がどこかにあったような………
どなたかが、そう書かれていたという引用の文章だったように思いますが………
それほど愛される曲であるのならば、シェーンベルクといってもまさか無調の音楽ではなく、まだ調の存在している曲であろうとは思っていました。
いくら調性のない、浮遊しているような音楽が好きという方でも、またそういう曲を作曲される作曲家でも、たった一人で暮らしていかなければならないそんな場所で、無調の音楽と暮らしていけるとは考えられないじゃあないですか。
だから後期ロマン派「最後の」という言葉が付いているのですね。
しかし、さすがに「最高の」とは書けないようです。
お好きな方は、「最高の」になるとは思いますが……
そこを信じて、そして予習する間もなく、やってきました最終日。
最終日も4階までの上り下り付きでした。
いや〜しかし上から見ると特にその編成の大きさにびっくりです。
オーケストラの人数の多さ。
そのまた後ろに、合唱団の席が設えてあり、普段は舞台裏となっているところまでステージが使われているように思いました。奥に合唱団が引っ込む形になっていますが、合唱だから大丈夫なのでしょうかね。
いや〜あれだけの楽器の音をバックに声を出すって大変なことですね。目から見てもプレッシャーです。
この演目には 東京春祭 合唱の芸術シリーズ Vol.6 となっていましたから、この曲のメインは合唱なのかもしれませんね。
しかし、第1部のやり取りは ヴァルデマール王と、トーヴェのやり取りが主でした。
そして、あっという間にトーヴェが死んでしまうと、山鳩の藤村実穗子さんが、入れ替わりに出ていらっしゃいました。
そして、第一声を出された時に、これまで4階まで来ると声もこのくらいになってしまうのかなと何となく思っていましたら、マイクのスイッチがここで入ったのかなと思ったぐらいでした。のびのびと4階まで届く声が違っているのです。
う〜ん。
彼女の歌う時には、オーケストラがあまり吠える感じではありませんが、その中に埋没するということはありませんでした。
この第1部はもしかすると山鳩でもっていたかもしれません。
休憩後の、2部、3部になると合唱団が出てきて、歌う方も多彩になり、変化が味わえるので、1部の単調になりがちだったものから救われます。
しかしびっくりしたのは、あれだけの人数で、しかも東京オペラシンガーズ という数々のオペラで実績を重ねてきている団体だったのですが、オーケストラがフォルテになってガンガンなり始めると、歌詞らしいものが消え、わあわあいっているだけになってしまうのです。合唱団は、一番後ろのちょっとステージの奥まったところにあるので仕方がないのかなと思いましたが、ちょっと残念な気がしました。
やはり、あれだけの大きなオーケストラと歌うということは大変なことなのですね。
歌われている歌詞を見ていましたら、ちょっと前の《指輪物語》の映画の画面を思い出しました。ホビットの出てくる物語でしたが、ああいった感じなのね、「荒々しい狩」って………
などと思っていました。
その場面で歌われた、農夫の甲斐栄次郎さんのお声もしっかりと4階まで届いていました。
道化師のアレクサンドル・クラヴィッツさんも振りを交えながら、しっかりと歌われていました。
しかし、ヴァルデマール王は歌う量も、担っている役割も比重がダントツに大きいので大変だと思いました。
彼としてはあの大音響の中で、よくお歌いになっていたとは思うのですが、聴いている方としては少し物足りなさが残りました。
何しろ初めての経験でしたので、誰と比べてとかの比べるものがないのですが、あのオーケストラの大音響の中を貫いてくるものが欲しいとか思ってしまうのですよね、欲張りな聴衆は………