大先生が指揮される《マタイ受難曲》の日が来ました。
世の中はお彼岸の中日とされるこの日に《マタイ》を聴くというのも何かの縁かもしれません。
春の嵐のような突風が吹き荒れる中、「勝どき」にある第1生命ホールに出かけました。
かなり早めに着いたのですが、私がお誘いした方にお会いしました。
合唱をやっていて、自分の所属している合唱団で24日に《マタイ受難曲》をお歌いになるのです。一緒に会場まで行きました。
演奏の前に大先生の方からお話がありました。今の大学の実情についても声楽科の新入生は、6人であること。ほぼ受験すれば全員受かるという現状のようです。
そんな中から、世界的な歌手を生み出していこうと考えていらっしゃるのです。受験生も増やしていこうとされて、先日は地元の高校に出向いて授業をされたようです。
そんな遠大な構想を描かれているようです。
今でも先生のレッスンを受講したくて、鹿児島に移住する方々がいるのですが、先生が考えていらっしゃることが実を結ぶまでには時間がかかるように思います。
しかし10年足らずの間に、ここまでの形にしてこられたその力にはびっくりするものがあります。
日本に住まれて20年ぐらい経つようです。
その間には、日本で一番とされる音楽大学の講師や、コンクールの審査員などを歴任され
たのですが、日本の声楽に対する考え方に違う意見を提言され、結局今の形になってきたようです。
自分が考えている、一番良い歌手の育て方を実践されているように思います。
また、そういう形を実現させたいからこそ、新しい大学に移られ、大学院まで声楽分野は学べるような形にしてこられたのだと思います。
演奏を始める前に先生からお話がありました。
こういう形も異例のことですが、先生のそのメッセージは心打つものがありました。
自分の今までのキャリアは、全て日本の地でこういう仕事をするためにあったのだと思うという内容でした。
ある意味で、今回のコンサートは先生の今までの日本での20年間を語るものだったのです。
それを周りの方に示す形であったのだなあと思いました。
演奏は最初から先生の全力を示していました。振りも大きく、時々レッスンの時でもその内容に没入している時によくやる動作と同じでした。
あれは先生の全力の形なのだなあということを改めて感じました。
そして指導者としてソリストの歌う部分でも丁寧に、ソリストに向かって指示をなさいます。それが普通のコンサートの指揮者と違っていたところかもしれません。
まるで、そのソリストに個人レッスンをされているように。
はっきり言って、歌手もプロの歌手ではなく、まだ学生なのですから。
でもまた、その先生の意思に答えて、またそれ以上に演奏していたと思います。
何しろ最初の合唱の分厚い響きがなった時に、思わず涙が滲みそうになってしまったのですから。重厚なメロディーの流れの中で、何かしら熱いものが伝わってきたのですから。
この一瞬のために自分の今までがあったのだと言う先生の強い思いが伝わってきたのだと思います。
先生が数えられないほど歌ったと言うエヴァンゲリストを歌ったテノールの方は、基本的に穏やかな柔らかな発声で、一度もそのスタイルを崩すことなく歌い、類まれな美しい弱音を歌っていました。この方も大学院生で、プロの歌手ではありません。
ソリストの中には19歳のアルトの方も入っていたようで、細かいことを言えばきりがないとは思うのですが、トータルでこの《マタイ受難曲》は聴きごたえがありました。
まず合唱の響きの厚み。
ソリストの声とその内容。
きっと内容に関しては先生のものを忠実に表現したものだと思いますが、それが表現できる力がすごいと思いました。
彼らはこれから自分独自のものを獲得していくのだと思います。
このマタイが聴けて良かったです。
先生の生き方の一コマを拝見、拝聴することができたように思いました。
最後に特筆すべきは、合唱のフレーズの音の消えていく時の美しさ、その響きです。
レッスンで必ず頭声に入った声をピアニッシモにして切ることを練習しなさいと言われるのですが、その声が集まるとこう言う響きになるのだなあと感じました。
美しい響きでした。
明日は神戸で。
明後日は岡山でこの演奏が続きます。
先生をはじめ皆さんがつつがなく、この《マタイ受難曲》を演奏されることを心から願っています。