昨日は、先週腹痛でお休みしてしまったお弟子先生レッスンに参りました。

2週間ぶりでした。今週には大先生のレッスンが待っています。

 

本当にお腹の調子ってよくわかりません。近頃、空腹時に飲む漢方の薬のせいか、まだやはりいつもの状態ではありません。昼間の時間でも決まった時間に食べられず、お腹が空きすぎると何故かお腹が痛くなってしまったりするのです。

食べたら食べたで、食べなかったら食べなかったで、厄介なことですが、これが身体のリズムを取り返す一つの試練かもしれません。

ちなみに、減った体重の方はすぐに戻ってしまいましたが。

 

レッスンも月曜日から練習を始めた時は、ヒラヒラした上澄みだけのような声だったのですが、やっと少しずつお腹の息の感覚が蘇ってまいりました。

お弟子先生曰く、無駄な力がはいらず、いつもより力で押してしまう声ではないところがかえって良いのではないかとのことでした。

 

ブレスの時、力を抜いて喉をすぽんと開け息を通すだけでそのまま歌うということが至難の技です。そもそも歌おうとした瞬間に様々なところに力がはいってしまうのですから。

私の場合は、「喉の空洞が狭くなってしまう、つまり喉に力が入って自然に息が流れていかないのでそれをなんとかしたい」という所に足踏み状態なのです。

もちろんその息の自由な流れは、低い声から高い声まで自在に流れるのですが、頭声の部分にのっていなければならないのです。

 

この前練習していて、「なぜ母音唱の時にはできて、歌詞になるとなぜできないのだろう」と歌いながら考えていて、「その原因は舌根かなあ」とふと考えつきました。

そんな観点で自分の今までの録音を聴いてみますと、気がつきます。結構上手く歌えている時と雑音がたくさん入り、慌てていろいろやってみているときの大きな差は、そこにある気がしてきました。言葉で歌っても、うまく力が抜け気味の時はノイズも少なく、声も伸びるような気がします。

 

大先生に、ワンフレーズ歌ってガツンと怒られた録音などを今聴いてみると、なぜ先生が止めたかがわかります。

その時は、悲しいかなわからないのですが、こうやって時が経ち、いろいろ試行錯誤を繰り返したりしてくるとわかってくることもあるのです。

 

という訳で、お弟子先生には、感覚的に今の力が入らない状態で歌うことを今度の大先生レッスンでやってみることを勧められました。

 

今回は母音唱でも収穫がありました。「U 」「I」の母音で歌っているのですが、その音が変わる時、特に高音の時などにどうも段差がつくというのか、力が入ってしまってうまく流れないのですが、口形や喉の空きはそのままに、「I」の音だけ前方に「U」の音の上に乗せるように発音するとのこと。

これが実感を伴って理解することができました。

 

このように、ちょっとずつでも進歩していくためには、そこまで達する時間と、感覚がその変化を受け入れていく発想の転換が必要なのですね。

 

 

 

というわけで、レッスンが終わり、時間の検索をしましたらちょうど20分前に到着できそうですので、古い名作オペラの映画上映に行くことにしました。

ヘルマン・プライとミレッラ・フレーニの《フィガロの結婚》なんと懐かしい…………。

 

あの頃は大スターたちの偉大さが具体的にどこがどうなのかわかりませんでした。

リートも、フィシャー・ディスカウとヘルマン・プライの名前が並べられて、自分はどちらが好きかという好みの問題でしか語られていなかったように思います。

今のように、演奏やその演技や歌の内容などについて自由に語る土壌もなかったように思いますし、まだまだ、オペラやリートに対しての認識もかなり低かったように思うのです。

 

それを今見聴きすると、自分がどう感じるのかということに興味があったのです。

時間が許せば見に行きたいと思って手帳にメモしておいたのです。

午後2時より……

さて、新宿から乗り換えて……とか頭の中でざっと計算をし、電車に乗りました。

良かった。見ることができる。

 

会場に着きましたら、「あれっ 何か違う。場所を間違ってしまったのかな…」

 

インフォメーションで訊いてみようと思いましたらなんとそのチラシが貼ってあります。

あれ?場所はあっているんだ。どうして???

日にちがなんと17日⁉️

今度の土曜日ではないですか………。

なんと恥ずかしながら、11日と17日を間違えてしまったようです。

う〜ん。勘違い。

 

手帳に書いたのは私ですから、記入した時に間違えたのですね。

 

大スターにお目に書かれると思ったのに、残念‼️