実は金曜日のダムラウのコンサートで「影の歌」が歌われました。

この歌はソプラノの方のコンサートで何回か聴いた覚えがあるのですが、どんな場面でどう歌われるのか、知りませんでした。

わたしは、今まで マイヤーベーアのオペラを聴いたことがないのです。

実際に体験というか見聴きしたことがありませんし、映像で通しで見たこともありません。確かユグノー教徒のどこかの場面を見たことがあるように思うのですが、あまり記憶がありません。

というわけで、限りなく0に近い体験です。

 

今教えていただいているオペラ講座で、後期の講座に聴講している人の希望をきいていただけるとのことだったので、限りなく0に近いマイヤーベーアのオペラの希望を出してみたのですが、今回、それを入れていただいて「マイヤーベーアの世界」というテーマでお話をしてくださいました。ありがたいことです。

 

本当に、なぜ、彼のオペラが上演されないのかがわかりません。

彼の天敵?であるところのワーグナーは、一年に何回も上演されているのに………。

(すみません。私も今年ワグナーのものを数えてみましたら、ちゃんと上演されたもの…演奏会形式とか、LV.とかでなしに、3回経験しておりました。)

きっとこのままいくと年末の夜中のバイロイトの放送も聴くと思います。

なぜだかわからないのですが、好きなのです。

 

なのにこの時代にいろいろな方に影響を与えた本家本元のマイヤーベーアのオペラを聴いたことがないのです。

 

今回も短い時間でしたので、ほんのちょっとの良いとこどりのような感じにならざるをえなかったように思うのですが、全然知らないというよりは、そのどれもがこれからどういう風に聴いていったら良いのかというきっかけを作っていただけたように思います。

 

少なくとも今まで聴いたことがあった「影の歌」がどういう感じで歌われているのかがわかりました。金曜日の前に知っていたらもっとダムラウの歌い方を具体的に感じることができたのになあとちょっぴり残念に思いましたが。

あらすじだと、「自分の影を自分の友だちだと思って」と書いてありますが、イマイチ理解が正しくできなかったのですが、今回映像で実際歌われている様子を拝見して、「あの歌のエコーの部分が、自分の影が歌っているところだったんだ」ということが理解されました。自分が言ったことを、影がまた反復しているのだということがわかると、あの歌の構造がよくわかります。

 

金子みすずの詩に「こだまでしょうか」という詩がありますが、この感性と似ているような気がするのです。

 

ディノーラが影に話しかけ、話しかけられた影がまた答えているような形で今回の映像はしっかり歌い分けられていました。

まるで

「遊ぼう」っていうと

「遊ぼう」っていう。

……………

「もう遊ばない」っていうと

「遊ばないっていう」

 

これが 「こだまでしょうか」という詩の一部です。

この繰り返しの部分のこだまのところの歌い方が「影の歌」という歌のポイントのようにも思いましたし、イメージ的にこんな感じで歌っているのだと理解できました。

 

これが具体的にわかっていたら、「もっと違う聴き方もできたのになあ」と感じました。

 

このように、知らないものは知りたいと思うのです。

新しいことがわかってくるとまた、別な興味につながっていくので、興味が尽きるということがありません。

 

新しい角度でものを見ることって、また同じものが違って見えるから不思議です。

当たり前といえば当たり前なのですが……。

今回も「言い出しっぺ」が私だったので少し勉強していこうかななどとも思ったのですが、新しい気持ちで、新しい目で耳で感じたいと思ったのです。

 

「悪魔のロベール」「アフリカの女」など充分すぎるほど、新しい感性が引き出されてきたように思います。

 

でもやはり一番はこの「影の歌」でしょうかね。