金曜日は本来は勤務日ではありませんが、保護者との集いで子供たちが演奏を披露するのでその伴奏を弾きに出勤しました。昨日とは全く違うよく晴れた日和でした。
表現活動というものは、表現する場があってはじめてきちんとした力になって行くものなので、音楽の場合授業で培った力を聴いていただく機会がほしいと常日頃から思っているのです。しかしそれには準備にかなり時間がいるものだということを、一般的には理解されないことが多いのです。その準備期間を考えて相談されることはまずありません。しかも今年は11月に研究発表大会があったのでなおさらでした。
最近の風潮としてこのような会は、子どもの実行委員会なるものが立ち上げられ原案が練られるわけですが、自分たちがやりたいもの、やりたいことを出して担当を決め、役割分担までしてしまったりします。あげくのはてにクラスの指揮者を教科の時間に時間をかけわざわざ選んでいるのに、実行委員会でやりたいと手をあげたものが、向き不向きもなく出てきたりするので、指導のあり方に唖然とすることが多いのです。
授業で指導をして、クラスの中で選ばれた指揮者はほとんどその難しさも、やらねばならないこともよくわかっているので、個人指導を少しいれることで見違えるように上手くなり、立派に100人近い人数を引っ張って行くことができるのです。そしてまたそのことによって大きく成長していけるのです。けして誰でも良いわけではないのです。やりたいものがやりたいことをやることだけが、意欲を引き出し成長させるものだというのではないのです。そういった人選で通って行くものと、適性を考えて手続きを踏むべきものとがあるということが通らないことに苛立ちを感じます。
発表できるものを考えて授業を組み立ててきました。それでも全部の企画を子供たちにさせれば、リコーダーがあまり得意ではない子供が練習をしてそれを発表しようという意見は出しませんし、面倒くさいことは避けようとします。授業でお膳立てをしておいても「子どもからそれが出ませんでした」の一言で却下されることも多いのです。
親の立場からすれば、本音は自分の子どもがどれだけ成長したかまた、一緒に生活をしている子どもたちがどんな力を持っているのかを見たい、つまり授業の成果を見たいし聞きたいのだと思います。
昔あった学芸会的なものは、押し付けで、それに費やすエネルギーの時間は教科の学習時間を充実することに使うべきだとの考え方がでてきて、それほど特別なことをせずに日々の学習で培った力を発表する、学習発表会という形に移行してくるのですが、これもまた子どもの発想や意思を尊重するべきだという考えのもとに、子供と一緒にゲームをして交流しようという会になってしまったように思います。今回は何とか親御さんにサプライズとして聴いてもらおうということで、ケチャ風のリズムセッション、アルトリコーダーの2曲のメドレー、「スタートライン」という2部合唱曲を演奏するところまでこぎつけましたが、裏でかなり私が強硬に言い張り、また先生方にかなり説得をしたことも事実なのです。