伊豆大島での3年間の暮らしを終え、大崎での暮らしも2年目、小学5年生の修学旅行で立ち寄ったアスレチック広場での出来事。


公園に入ると森の中にたくさんの遊具が並んでいた。まずはどの遊具から攻めようかとワクワクしていた。友人達はというと、入り口に設置された地図を見ながら順路の確認をし、みんなで同じ一つの遊具に向かって行った。一人で遊んでいてもつまらないので皆について行った。

皆が1つの遊具に集まるので混雑するのも当然。しかし、誰一人文句を言わずに並んで待っていた。他の遊具には誰もいないのに。

やっと遊具にたどり着いても、皆叫んでばかりでまったく進まない。早く先に進みたい私は遊具の側面をよじ登り前の人たちを追い越していった。
その時、何人かの友人が悪者を見るかのような目でこっちを見ながらこう言った。

「そっちはコースじゃないよ。」

まだ幼かった私は、あれ?おかしいな。みんなにはコースが見えているのか。こんな森の中に?どうしよう、自分がおかしいのかな。と正直とても焦った。

今思えば、この時の友人たちの行動はいかにも都会的で印象的だと思う。特に、与えられた環境には必ずルールが存在するだろうと、その確認を怠らない姿勢には驚かされる。

とことん管理された暮らしは、安定していて快適なものだ。尚且つそれらは日々アップデートされ続け、人々は常に最先端の娯楽やサービスを手にすることが出来る。
こうして、都会で生まれ育った人たちは便利至上主義者になる。管理されているという状況が自分を制約し続けているという自覚が無いから。
アスレチックの話で言うならば、ルールという管理が無ければ、わざわざ一つの遊具に列をなして遊びたい遊具で遊べないという制約から解放される、ということに気が付いていないということになる。

同窓会に行っても友人達は相変わらずそんな感じだから、私は一人吐いて帰る。

私の故郷東京は、特に自慢できることのない可笑しな場所。