浅田 育輝言いまんねん。
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親父、なんとか気張ってくれや、頼むわ。



まいど❗浅田育輝でんがな❤️




今日はやいのやいの言うこともおまへん。



以前からブログにも書いとりまんのやけど、先々月の5月から入院しとる親父に、最近は直筆で応援や激励の手紙を書いたんや。



4年前にオカンが亡くなって以来の直筆の手紙を書いたんやけど、オカンの時とホンマ同様で、上記のような役者のワシにとっては、自宅で孤独に静かに腰を据えて手紙をしたためることは、改めてなんやまるで獄中生活で自分を律するような想いやったし、それにささやかなことかもしれんけど、自分の気持ちをちゃんと伝えるために、読みやすいように丁寧にちょっとでもキレイな字で書いたし、そないなことだけでも、もう叩いてもホコリも出て来えへんキレイな体になっていくような、獄中生活で心も洗われていくような想いでもあったでんなぁ。




今日は、大阪弁の勉強会でどないでっしゃろ!



まいど❗浅田育輝でんがな😃




リクエストにお応えして(笑)、まぁこのブログ記事がワシと初めましての読者の皆さんのためにも、せっかくやから久しぶりにワシの大阪弁の勉強会をさして貰いまッ✨



ほんで、今からの勉強会っちゅうのは、例えばいろんな日本語の方言とかの言語をちゃんと正確に専門で研究したはあるっちゅうような大学の偉いさんの先生のような講義とかでも決しておまへんし、あくまで大阪出身の役者のワシが勝手ながらの独自でやらして貰うとるモンやっちゅうことをお伝えしとき
まんがな✌️(笑)



まずは、ワシのブログでも頻繁に出てくる大阪弁の「でんねん」「まんねん」と「でんがな」「まんがな」と「でっしゃろ」「まっしゃろ」は、英語の文法で言うたら、でんねんまんねんは原級、でんがなまんがなは比較級、でっしゃろまっしゃろは最上級に値するっちゅうような、大阪弁三段活用とも言えるモンになっとって、それぞれ順に度合いとしては、自分の考えや想いの主張が強うなっていったり、読者の皆さんにはそれらに対する共感や同意を激しゅう求めていったり、あるいはそれでいながらさらには、でっしゃろまっしゃろに至っては、読者の皆さんに対しての最敬礼や大リスペクトの敬語表現にもなっとりまんねん❤️



ほんで、上記の内容を踏まえた分かりやすい例文が
、今日のブログのタイトルになりまんのやけど、とはいえども中には「とにかく浅田のブログは、でんがなまんがなとかウルサイよね」とのご批判もあるかとも想うし(笑)、活字や文章の視覚の大阪弁ブログでありながら、それが騒音のように聴覚にまで悪影響を及ぼすとなったら、それもまた貴重なご意見やご感想とも想いまんので、そのことも尊重さして貰うて、例えば今日のブログのタイトルが、大阪人の大阪弁以前に日本人たるもの厳粛な日本語の場合やと、ワシからしたら「本日の御題目は、私(わたくし)の大阪の言語講座で、読者の皆様の御機嫌を御伺い奉らせて頂きたくお願い申し上げまする候」...

いやいや、同じくワシからしたら、そないなタイトル書く指が腱鞘炎になりそうな、会話やったとしても言葉噛み倒して舌噛んで血だらけになりそうな表現からのブログのスタートは、半世紀以上ミスター大阪弁やらして貰うてきたワシとしては、そらぁ殺生な話やし、丁重にお断りさして貰いまっさ😱(笑)



有難いことに、生まれも育ちも大阪で現在も大阪在住の生粋の大阪人ですら、ワシのブログの大阪弁の活字や文章などは、むしろ会話の言葉で聞くよりもインパクトもあるっちゅうふうに言うて、内容を楽しんでくれる人もいたはあるぐらいやし(笑)、とにかく他の読者の皆さんにも、改めて今日の勉強内容も踏まえつつ、今後も大阪弁特有の味わい深い感じの庶民的な雰囲気のブログを楽しんで貰えたらメチャメチャ幸いでんねん🌈



ほんでオカンが亡くなって4年でんねん。



まいど❗浅田育輝でんがな❤️



先月から親父の入院や父の日など、ワシの親父の話が続いとって、今週26日(水)はオカンが70歳で亡くなって4年になるし、さらにまた前回のブログに引き続いての親の話になりまんのやけど、今日はそのオカンのことをワシなりに偲ばして貰いまっさ。




オカンに関しては、亡くなった時はワシは悲しさも通り越してホンマ抜け殻状態のようになってもうた

けど、その亡くなる3年前に危篤状態になりながらもなんとか一命をとりとめたモンの、意識は戻らんかって心臓だけが動いとる状態が1週間ぐらい続いとって、医者がこのまんまやと今後は脳死になる可能性もあるっちゅうふうに言わはあった瞬間は、ワシも昔のくも膜下出血の開頭手術中は、一命をとりとめても健常者と植物人間の可能性は五分五分やったっちゅうことを後に聞かされたことが、ドタマの中でめちゃめちゃフラッシュバックのように蘇ってきて

、オカンまでもかっちゅうふうに勝手に遺伝の可能性までも恨んでもうたわ。




それにしかも、そないな地元大阪に帰っての病院での状況の瞬間におりながら同時に、ワシは以前から出演が決まっとったWebCMの撮影のために、一旦東京に戻る状況にもあって、まぁ役者は親の死に目に合えんっちゅうふうによう言われるし、一般の人らの中にはそれを親不孝みたいに言う人らもいたはあるかもしれまへんけど、今、この瞬間に自分の親がオカンが、ワシからしたら究極とも言えるような厳しい状態にあることを目の当たりにしながらも、遠くに行ってそばにおってやれんっちゅう、それもまた親不孝なんかもしれんけど、ホンマ自分の無力さも痛感した。




ほんで、それらのことを想うとったら涙がぎょうさん溢れ出してきて、ワシは病院でドンドン大きゅうなっていきそうな泣き声を必死でコラえながら、オカンに何べんも何べんも「堪忍や」っちゅうて心から詫びて、これからも元気で生きて欲しいことをひたすら願うて託して、束の間とはいえども大阪を後にしながら東京に撮影に向こうたんやけど、ワシなりに全力で食いしばっての撮影も終わって、再度大阪に戻る新幹線の中で、弟がオカンがちょっと意識を取り戻してきたっちゅうメールをくれよおった時には、オカンの奇跡の生命の復活劇をまざまざと見せつけられた想いやったでんなぁ🌈



それ以降から亡くなるまでの闘病生活の3年間、オカンはメチャメチャ頑張ってくれよおった想うとるけど、皆さんの中にも親が亡くなった時にはもっと親孝行してあげたかったっちゅうふうに悔やむようなことも少なからずあるとは想うし、それはワシも人並みにあって、ずっと昔に元気やった頃のオカンと一緒に、確かプロ野球の試合かなんかで監督か選手がみんなから胴上げされたはあるのをテレビで見とって、オカンがボソっと「いっぺんでええからあんなふうに胴上げされてみたいなぁ、どんな景色なんやろなぁ、どんな気持ちなんやろなぁ」と。

主役やのうて脇役一筋で自分のことをいろいろ犠牲にしながらもずっと影で家族みんなを一生懸命支えてくれたオカンの、そないな胴上げされたいっちゅう夢を実現してやれんかったことは、改めてこのブログを書きながらも特に悔やんどりまんのや。



そやけど最後に、やっぱりオカンはワシの心の中で一生これからも立派な勝者であり、真のチャンピオンとして生き続けることに決して変わりおまへん✨



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