お願いお願いお願い



12月は長男の結婚記念日の月ですハートのバルーン


息子の結婚式を思うと

父の事も同時に思い出させます乙女のトキメキ



これは父の備忘録です飛び出すハート


軽〜くお付き合いくださいデレデレ




キラキラキラキラキラキラ


2016年6月に父は

80歳で亡くなりました。



元気な人で病院に行くのは

たまの風邪と歯医者くらいで

夜間高校に通う頃から

60年以上ズッと働いていました。


働く事が大好きで

真面目で器用であったので

多くの同業の方から信頼されてた

職人だった様です。



一人娘の私には

特に愛情を注いでくれた様な記憶はなく

とにかく仕事人間で

休日も返上して働いていた記憶があります。



ところが孫に対しては

異常な程の熱愛ぶりで


私は父が頑固な為に

気難しい顔を思い浮かべる事が多いですが


父の遺影はお寺さんも誉めるくらいの笑顔☺️


孫である息子たちに言わせると

ジィちゃんは自分達には

その顔しか見せてなかったとの事キラキラ


今となっては私の子供だからこそ

人生の中で余裕ができた頃に

出会えた孫に

全身全霊の愛情を

注いでくれてたんだと思いますドキドキ



父が亡くなる2日前

既に入退院を繰り返してた父と

偶然出会い


明日は仕事休みにしてね


とお願いしたにも関わらず

次の日には仕事に出て

亡くなる当日は朝から食事も出来ない位の

状態であったにも関わらず


片道車で15分の距離も運転出来ない中

止める母の言う事も聞かず

仕事関係の所までタクシーで行き


タクシーの運転手さんも

病院に行く事を勧めたのに

仕事場に行き

結局仕事場の中には入れず

うずくまった状態の所を

たまたまパートに出掛ける為に

通りかかった私が見つけて

救急車を呼んだのでした🚑



普段は違うコースで通勤してましたが

体調の悪い父を思って

その頃は

わざわざ仕事場の前を通るコースで

パート先に通っていたのが幸い?したのか


雨の中仕事場の前で

座り込んでる父と母を見かけました。


時間が無い私は

最初2人でゴミ拾いをしてるのかと

声を掛けて通り過ぎるつもりでしたが


様子が違う事に気づき


どうしたん?と聞くと

母は父が立たれへんねんタラーと答え


すぐに救急車を呼び

パート先に事情を告げて休みを貰い



しばらくすると救急車がやって来ました。



救急車にも自分で乗り込んだのに

ベッドに横になった父は

すぐに気を失いました。



父は肺を患っており

その時の酸素濃度は計測不能で

後々毎朝記録に残してた父のメモを見ると

朝の酸素濃度は60程でした。


コロナ禍に酸素濃度が90を切ると

重症レベルと聞いた事があり


それを知った時

父はなんと言う無茶をしたのかと

せっかく休んでくれとお願いしたのにと

悔やまれて仕方がありませんでした。


それでも気を失った父の手には

車のキーがあったのです。

きっと意識が遠くなる中でも

私に役立つかと思っての行動だったと

父の思いやりを感じる事が出来ました。



救急で運ばれたのち

一時は落ち着き母と私は

一旦帰宅する事となりました。


それでも仕事人間の父は

最後の仕事となる

得意先への郵送が気になり

私が請け負う事になり


コレは着払いはてなマーク元払いはてなマーク



元払いびっくりマーク



これが父と交わした最後の言葉でした。



元払いって汗





娘に対して最後の言葉が元払いって


どんだけ仕事人間やねんぐすん



その後父は急変し

呆気なく日が変わる前に亡くなりました。


その日主人は出張で

長男も研修旅行


認知症診断待ちの母と

友達の家に泊まる予定の次男が

急きょ病院に駆けつけ

父の死を看取りました。



その後私は人生初の父の通夜から

葬儀一式の事を

私1人で決めると言う大仕事に

取り掛かる事になったのでしたアセアセ



あと半年ほどで愛した長男の

結婚式に出席予定だったのに

どんなに残念だったかと思います。







今、母が風邪を引き

布団の中で咳き込む様子を見ながら


ふと不安になって

父の記憶が蘇ってしまいました。



もっと細かな事は

色々ありますが


忘れちゃならない事だけでも

ブログに残したくなりました。



長々と最後までありがとうございました😊