タイトルが!!(((( ;゚o゚))))ガクガクブルブル

何が終わりってこれですよ^^



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もう次シリーズが出るからね。

エースが(も)好きな皆さん、エース缶全部揃えてますか??^-^


エース缶は、3種類ありますよ^-^ 以下がその3種
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で、裏画像の3種^-^
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そしてやっぱりエースファンとしてはゾフィーはもちろん、裏のヤプール画像もあるしゾフィー缶も必須ですね^-^

へへ~んw^^ ちゃっかり特別に♪とッお~く、かッがやくぅ~♪の輝くエース缶を特別に掲載しますww

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で、さらにエースで初登場したウルトラの父も押さえなくっちゃw^-^
裏が強敵ヒッポリト星人だしね^-^

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ちなみにウルトラの父にマントが着いたのは、最初サンタクロースの格好で登場して復活のが、きっかけですよo(^o^)o


それから・・・


フフフ・・・www ここまでで、気づいた方いらっしゃるかも知れないけれど、

てかウルトラファンならもう気づいてる方が多いでしょう~o(^o^)o・・・ちょっとしたクイズが含まれています(笑)



わかるかなぁ?(笑)^^・・・・o(^o^)o

解答はメッセでw^-^ コメントには、普通の書き込みと答え書かずに「わかった」などでww^^


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前の去年の日記に引き続き今年も書きます。

そして1月17日は父の誕生日、そして僕も被災した阪神淡路大震災が起こった日です。

もう15年ですか・・・。早いですね。被災した皆さんも、そのことによっていろいろな変化があったでしょうね・・・。

僕の場合は、17年住んでいた家が全壊になりました
危なかったですが、何とか生き残らせていただきました。

家は基礎などが狂って赤紙が貼られて立ち入り禁止でしたが、
2000台番目に当たってようやく入れた仮設住宅で、暮らした後も
諸事情で住んでいました。
今、考えてもかなり注意されながらも、よくも寝泊まりしてたなぁと思います。

その頃は12月に勤めていた会社を辞めて、無職でした。

ちょっとおかしくなっていたのか、なかなか仕事につけませんでした。

しばらくしてやっと就職したと思います。

仮設住宅に入れる前で、震災後、数ヵ月後にやっと見つけたボランティアで、
安く貸してくれた天王寺の一軒家から通っていました。

仮設住宅もなかなかきつかったけど、それでもようやく落ち着けた感じでした。

それでもいろいろとあって全壊した家に、冬にはかなり寝泊まりしたけど、
エアコン、ファンヒーター、電気カーペットを全開してもやっと上がった室温は15度でした。

基礎が狂い、壁、床が隙間だらけ。
これは今となっては笑い話に出来るけど(当時もかw)、川から上がって
隙間から入った蟹が家の中に居ました(爆)

様子を見に来てくれた連れが爆笑してました(笑)

家の中に蟹が歩いてるってどんだけ隙間だらけやねんって!

キツイ生活の中での、ちょっとした笑った事件?ネタでした(^o^)

今年は笑える日記にしたが・・・実際は・・・ね。

昨日の日記に過去に書いたのを載せました。

http://ameblo.jp/yasuron/entry-10436810059.html

父にもお誕生日の電話もしてみますo(^o^)o
川を越えて、勤めていた会社から大量の水を貰い、周りに配っていた尊敬する父です

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2009年01月17日に書いた日記です。

1・17は父親の誕生日でもある。

だが、阪神淡路大震災が起きた日でもある。

前日にはウォシュレットを購入し、自分で取り付け、明日から使おうとして寝た。

 ところが、突然ドンッ!とする揺れで、目が覚めた。「えっ??」とおもったら、おもいっきり家の中がユサッ、ユサッと大きく揺れた。

 いつも電気をつけて寝ているので、その大きな揺れを間近に見てびっくりした。

古い家なので、うちだけだろうと思ったら、町中たいへんな事になっていた。

 住んでいた家は全壊だった。僕以外は泊まりで出かけていて、一人で寝ていた。

 家の中は滅茶苦茶で、特にいつも寝ている位置には当時としてはかなり重い32型のテレビがゴロンと転がっていた。

 いつもの場所で寝ていたら、大怪我もしくは死んでいたかもしれない。

 その日に限ってそこでは寝ていなかった。

なぜか天井からは水が大量に落ちてきた。

照明の根元からモワーッ煙が出たので、急いでブレーカーを落とした。
火事も起こすとこだった。 

 後日、ブレーカーを入れてもまだ煙が出てきたので、また落とす事にした。

 もちろん家の中はぐちゃぐちゃになっていた。
その散々たる家の中は、ショックから家に手はつけれず、それよりももっと被害の大きい神戸にバイク隊で救援に走った。

 救援をしに行くことにしたのだが、精神的には家の中の散々な様をみるよりも、そこに行くことで逃げていたのかもしれないとも思える。

神戸までの道のりのヒドイ有り様を目の当たりにしながら、数台で走った。

その光景は家の中にいてTVの中の小さい様子を見るのではなく、景色全体が悲惨な様相だった。

 そして全国から寄せられる物資の運搬、仕分け、即席お風呂の番をしたり、いろんな活動をしたりして、人の暖かい気持ちをすごく感じた。


 父親も会社までの道のりが通れたので、会社から水を大量にもらってきて、近所に配ってたりしていた。

 兄弟の中で唯一家族全員の誕生日を覚えているのだが、父親の誕生日だった事はすっかり飛んでしまい、後日そういえばその日はと、思い出した。

 
 その後、仮設住宅に住んでいました。
 仮設住宅に入る前は、市からの紹介で一般の有志の方が申し出て頂いた家で、大阪市天王寺区の鶴橋で、安く貸していただきました。場所は住んでた市からは、かなり離れていました。
 
 1月に震災を受けて、6月にやっと2000番台まで周り、順番が来て入ることの出来た公園の中にある仮設住宅でした。

 引越しも終えて一時期とはいえ、やっとゆっくり気を落ち着けて家の中に居た時、小学生らしき少年の声が聞こえました。
     「あ~あ、前はここでサッカー出来たのになぁ~・・・」

                  ・・・素直な少年の正直な声でした・・・。

事情はわからないとはいえ、やるせない気持ちがしました。


 そしてそこは公園の中なので、12世帯しかありませんでした。
そこに住めないと思ったのか、空いているところもあり、寂しいものでした。

 そしてだんだん引っ越していくところも出てきて、寂しいものです。


そういえば、今住んでいるところは、地震がおきてから、まさか引っ越してくるとは思いもしなかった。

そして地震後、「あれ?そういえば、何でここに住んでるんだっけ?」何年かは、そういう気持ちは消えなかった・・・。

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