私と志水さんとの接点は、、志水さんの亡くなったご主人と仕事をご一緒し
たのが、そもそもなのです。1970年のことで、私は、5番目の助監督とし
て藤田敏八監督の「八月の濡れた砂」を担当しました。
私は、その年学校を卒業、そのまま日活撮影所にもぐりこみました。
その頃の映画界は、最悪の時期で、大手の映画会社が身売りをすると言う噂が普通の時代でした。
さて、志水さんでした、、、いま、役者の皆さんは、台詞を体の中に染み込ませる大事な時期で、疲れもピークで、勿論この私も、緊張とストレスで、ゼイゼイ言っているような毎日なのです。
そんなときに、ケイコやチヨットしたときに言う清水さんのバカ話に本当に救われます。
今回の役は、オバタリアンです、はるみ、は勿論、都はるみを念頭に置いてます。都はるみさん失礼!でしゃばりと貪欲さは、誰にも負けません。時々陪審員長の話している間隙をぬって、その言葉を盗んでしまう。
委員長がヘキヘキするような、でも本人は、全く気付いてないし、また悪いとも思っていない、そんな怪物のような役です。
家は成城ではないのに、なんかのときに言ったみたいで、それを突っ込まれると、、、の隣の喜多見、なーんて答える、まさにワイドショー大好き人間。モチロンあくまで役の話ですよ、あなた。」
さて紙面が尽きました、志水さんこれからもカルイー話をヨロシクね。