私は古本屋さんで、シェアカフェという形でごはんやをしていますが、その古本屋に関わる人たちは個性豊かな人が多くいます。
オーナーが芸術関係に関わりがある人で、音楽やものづくりや文章や絵など、表現活動をする人の行き来が多いです。お店自体の雰囲気が独特で、このお店が好きで、として来る人はなんというか、一般的な人という表現に対する、個性的な人といえる人が多い気がします。
もう少し説明してみると、接してみたら、どういう反応が返ってくるかがわからない人が多いです。お店にふらりと入ってくる人をみると、あ、おもしろそうな人が来たな、と思うことがよくあります。
それに対して、隣にある本屋さんから来られる方たちは、インテリジェンスな雰囲気で、このお店に入ってきてしまったお客さんとは、明らかに違うなとよく思います。
頭がよいかよくないかというと、あんまり頭が強いタイプの人は、うちのお店に関わる人は少ないかもしれず、例外的に頭がよくても、それ以上に、身体や心で動くタイプが多いという印象です。それなりに高学歴の人もいるので、頭がよくないといっているようで怒られるかもしれませんが、心のままに動き、心のままに話をする人が多いです。
頭がよいほうがよいかどうかというと、例えば、その人の魅力だったり、好き嫌いにしても、脳の機能がどうであるかということは、あまり関係がないといえると思います。
また、脳みそは、死んだら焼かれてしまったらお終いです。あの世には持っていけないので、ここばかり鍛えるような人生たら、何の努力だったんだろう、と後悔することになるそうです。
もちろん、仕事上や家庭生活であっても、できることがある、役に立つ、能力が高い、ということは、困っている人を助けられることであり、人に喜ばれることです。
ただし、心が主体で、その心が、頭をどう使っているかという関係性です。
頭がよくても、心が悪いとなったら、ただの脅威にしかなりません。
倫理観が科学技術の発達に追いついていない世の中は、末恐ろしくなります。
心が極端によくない人なら、日本の将来のために、勉強なんかするなと思うぐらいです。
人のため、世の中のためということがベースであるのなら、能力の高さというのは、どんどん磨かれていったらよいと思います。
ただ、さらにもっというと、能力が高すぎると、自分は凄いと思って謙虚さから離れてしまうのも人間なので、そういった意味では、世の中や人のためになっても、その人にとってはよいことにはならないといえます。能力が高い人ほど、そういった意味で、自分の心へ、充分すぎるぐらいの配慮が必要だといえます。
結局、何が言いたいかというと、子供も大人も、心の教育をもっとしたほうがよい。ということが言いたいです。絶対的に足りていない。。
そもそも、心がよくなかったら、何にもいいことはないですよね。
幸せの度数は、心の度数だからです。
何の仕事についているか、家や車の大きさ、美醜、友達の数、究極的には、5体満足であるかどうかでさえ、幸福かどうかに関係がないことです。
幸福度にこれらが関係があると思っているうちは、まだ、本質がみえていない。心が惑わされているだけということになります。
