半田“H.and.A”安政 Weblog
Amebaでブログを始めよう!
ブログ更新がとても久々になってしまいました。
拝啓、皆さまお元気してますか?
こんなこっちゃブロガー某イガリくんに指差されて笑われちゃうね。

さて!2年ぶりに写真展を東京・大阪にて開催します!!
前回の写真展は写真集“ONE”発売記念写真展でした。
その写真集発売記念写真展(ややこしい)から2年分の写真を展示します。

--------------------

Yasumasa Handa Photo Exhibition"ONE3"

【展示バンド】
COUNTRY YARD
Dizzy Sunfist
DRADNATS
THE FOREVER YOUNG
FUCK YOU HEROES
THE 外国人
GOOD4NOTHING
HOTSQUALL
Ken Yokoyama
locofrank
Northern19
OVER ARM THROW
SHANK
SiM
S.M.N.
SPREAD
STOMPIN'BiRD
UNLIMITS

【写真展会場】
東京会場:東京・渋谷 ギャラリールデコ (東京都渋谷区渋谷3-16-3 5F)
2015年11月17日(火)-22日(日) 11:00-19:00
※最終日22日は17:00まで

大阪会場:大阪・心斎橋 ダブル・エー・ギャラリー(大阪府大阪市中央区西心斎橋1-9-15 大京心斎橋ビル3F)
2015年11月25日(水)-29日(日) 11:00-19:00
※最終日29日は17:00まで

【入場料】
各会場¥500
(イラストレーターTM Paint氏特製記念ステッカーご進呈!)

【恒例!写真展記念Tee】

時間がないTee By TM Paint
\2,500

--------------------

お時間のご都合がある方は是非お越しいただけたらと思っております。

Twitterには書いたりしてたんですが
写真集“ONE”を出したとき、
そして写真展“ONE”を始めた時からずっと紙で見る写真の良さを推してて
まず紙の写真と携帯やパソコンで写真を見るのとでは、
脳的に写真の捉え方が違うのだそうです。
プリントした写真の方がじっくり細かく見るし
拡大しない限りディスプレイよりプリントは高精細。
ネットで見た事ある写真でも必ず違って見えるはず。

だから、写真展は友達と来て友達や時間を気にしながら見るより、
じっくり見れるぼっち来場をオススメします。笑

ちなみにその脳科学的な話は↓
PCやスマホの画面は間違いに気づきにくい、その理由とは?
- NAVER まとめ http://nav.cx/2Ng6h

映画館で観る映画は反射光、テレビで観るのは透過光。
だから同じ映画でも印象が違うそうですよ。

プリントした写真がどれだけ細かいのかって例えば、
好評いただいたSiMの武道館の上からの写真、
携帯やパソコンでパッと見で「わー」ってなっていただけたかと思いますが
プリントで見るとSHOW-HATEとSINくんがバーンて竿を掲げてたりするんだなこれが。
そこまで見えるのがプリント写真なんですね。

なんでここまで言うかというと、
「写真展って初めて来ました!」っていう方が本当に多くて。
楽しみ方を知ってもらいたいなっていうのがあるんです。
某イガリくんは前回の大阪での写真展に来てくれて
じーっくり見てくれて興奮してくれて、
それのせいで(?)、HAZIKETEMAZREのDVD付録のフォトブックを作ったとか。
知らんけど(笑)
あの時本当に感動してくれたみたいで嬉しかったです。
閉館時間過ぎてもずっと写真見ながら話してました。
あの日その場所に居れた人にも居なかった居られなかった人に
その日のバンドが発信した気持ちが写真から届けばいいなぁって思います。

あとは
「このバンド、名前は知ってたけどこんな顔してライブしてるんですね。
 この人たちの音楽聴いてみます!」
って行ってもらえたりするのがとても嬉しい。
ライブカメラマン冥利に尽きる、というか。

音に色をつけるのが僕らの役目で、
伝えたいことやその日の感情や湿度、熱気が
時間が経っても写真で呼び起こさせれたりできたらなと。
音楽って記憶や思い出と共にあるものだから、
色も形もないものを残すっていうこと自体おこがましかったり
残ってなくても良いものかも知れないけど
それで伝えられる物事があるなら残してもいいじゃないって思うんです。

そうそう
今回の写真展が自分仕切りでやる写真展は
当分最後だと思うっていうのをTwitterで言いましたが
なにやら勘違いされた方もいらっしゃったので…。
写真撮るのやめるワケじゃありませんのであしからず。笑

写真展やり始めたのは4年ほど前、
まだまだ写真を見てもらえる機会が少なく
是非バンドの気持ちが乗せられた写真を見てもらいたいなと思って始めたのがきっかけでした。
最近ではありがたい事に写真を見えもらえる機会が増えて、
まぁ、だから写真展をやめるっていうワケではないんですが
その辺りがちゃんとクリアになって、写真展やるってなった時に明かします。
気にしないでください。放置しておいてください。
きっとまたやると思うので。

あと、今回札幌・仙台・福岡でやらないのは
日程の都合などなど理由があります。
大阪の写真展は本当は、東京でだけで写真展をやって
夏前からずっと休みがなかったから
24日あたりから沖縄に行こうと思ってたんです、一人でw
でも、先日心斎橋のGREEN STUDIOに行った時
スタッフの平谷くんと話をしていて気持ちが盛り上がって
大阪でもやりたい。
沖縄とか行ってもな。一人だしw
と思って、その2日後には会場を押さえてました。

各地で写真展やるのは、前回のように写真集発売記念で、と考えています。
その時はまた来ていただけたら嬉しいです。

そんなこんなで明日は設営です!
東京、そして大阪の会場でお待ちしています◎




半田安政
ハロハー(パクり)。

ブログも気分のままに綴るとは言え気分次第過ぎてすっかり放置気味ですが、
昨日は久々にマキシマム ザ ホルモンのライブを見に行ったので書いてみました。

{4DFAF616-02D2-483F-A083-E2BF537B8396:01}
おなじみのSTUDIO COASTのコレ。カッコイイよね。
それでは、の「は」を「HA」にするか「WA」にするか絶対迷ったよね。


ホルモンのライブを単に見に行くっていうのは二回目で、

その一回目は「ぶっ生き返す」リリースTOURのアンコール公演“蘇生”以来でした。
その時は塁さんがカメラマンで入っていて
「半ちゃん来る?撮る?見る?どっちでもいいよ!」とメンバーから言われ
じゃあ見に行く!つって見に行ったのが一回目。
今回もカメラマンは居たし、「おいでよーどっか来れないの?」とのご好意をいただいて
新木場にお邪魔したのでした。

ライブの時は二階席から見させてもらったんですが、
どうしてもステージはもちろん、フロアも注視してしまう元スタッフの気持ちが抜けずw
ポンポン投げられるペットボトルにイライラして当日の帰り道はその件についてツイートしたのみで終わったんですが、
メンバーに感想のメールを送ったら「ペットボトルの事はいいから感想書けや半田!」
とのお言葉をナヲさんからいただいたので改めてツイートした次第でありますw
以前コーストのホルモンライブ撮影中に盗撮してるヤツをあの人ごみの中から見つけ出して
しょっぴいた事があったのでどうしてもね、そっちのアンテナが働いちゃったのでした。
てへぺろ。

ホルモンとはカメラマンとしての関わりはもちろん、
ミミカジルスタッフとしての関わり(在籍2008-2011年)もあって
ちょっと特別な存在だったので、ブログにも書き残させていただきます。
ツイートしたのに加筆してまとめてみました。

新木場STUDIO COASTは、
Dropkick MurphysやENTER SHIKARIとの2マン、“PANTS SPRING'08”などなど、思い出深い場所。
久々に見たホルモンは照明もLEDやムービングが多様されタイミングが楽曲とバッチリで見てて、
「お!いいねー!」なんつって“心のシャッター”を押していたのはここだけの話。
ステージから離れて見てても視覚的にも素晴らしいステージだった。
ウネるグルーヴがとても素晴らしく、
自分の中の新木場の重低音のある良い音ってホルモン基準だなぁと改めて思いました。
いつもクールなPA石川さんがノリノリでお仕事してるのがPA卓に見えた時なんだか嬉しかった。

のっけからメインディッシュ曲の連発、そしてオーディエンスとの応酬が素晴らしかった。
ホルモンのこってりとした縦横無尽の楽曲と、それにむさぼりつく“腹ペコ”達とのぶつかり合いはホルモンのライブ特有の風景。
DVD“Deco VS Deco”に収録されているぶっ生き返すTOURファイナルのZepp TOKYOでの一曲目“What's up,people?!”の
ステージ上のムービングカメラが捉えてた、
照明によって真っ赤に染まった場内でヘドバンするホルモンの四人と
相対する腹ペコ達の本気のヘドバンのぶつかり合いが
物凄くカッコよくて、
初めてDVD見た時に鳥肌と感動の涙を流したんだった。
あのシーンはマジでヤバい。一見の価値アリ。

昨日演奏された曲で印象深かったのは“ルイジアナ・ボブ”。
“ルイジアナ・ボブ”は“恋のメガラバ”の収録曲だが、
ホルモンと本格的に交わった北海道での恋のメガラバTOUR(その時はOVER ARM THROWと一緒に周ってたので同行していた)を思い出した。
リハで必ずやるルイジアナ・ボブのカッコ良さにヤラれたのが懐かしい。

ホルモンマネージャーのしみゆうさんと僕が「似てる」といじられたのがその時で、
それが理由で一気に仲良くなった。笑
また、帯広のホテルで、打ち上げ会場まで皆で行くため外で待ち合わせしていて
部屋から下で待つ僕を見つけたダイスケはんが僕の携帯に電話して来たのを
僕は何故か電話に出ず(電話掛かってきたのを携帯の画面で確認したのも見られてたw)、
そのままポケットに携帯をしまい、後から「なんでシカトしたん!」って言われて
自分でもなんでそんな事をしたのか全くもってさっぱり分らなかったという怪奇現象もあった。笑
恋のメガラバTOURファイナルは今はなき渋谷AX。
そこもOVER ARM THROWとの2マンで、ホルモンのリハをトイレで聴きながら大きいほうをしてたら
カッチカチ過ぎて「ひっくり返った」ため、本番は苦痛に顔を歪めながら撮ったりっていう思い出もある。笑

“ROLLING1000tOON”は旧KAZOO HALLで見た時の記憶が蘇った。
その日はNOBも出てたかな。検索したら出てきました。
「11/20(木), 甲府. KAZOO HALL, NOB & SMITH presents "豚汁 vol,1 "マキシマム ザ ホルモン"延髄突き割るTOUR "」
だったんだそうです。
まさしくコレ!外で豚汁が販売されてて美味しかった。笑
そもそも「延髄突き割る」というタイトルだったのにアニメの曲として相応しくない曲名だという事でこの名になった曲。
当時からホルモンはあらゆる事と闘っていたんだなと。

ホルモンには「他人には言えない裏話」が山のようにある。
例えば、「この歌詞がダメだったからこうした」とか「なんでこれが日本じゃダメなんだ!」とか山のようにあって。
「この歌詞が日本で出せないならsdrftgyふじこlp;」っていう事もあった(
詳しくは書けないw)。

“生きる力”と書いてSTOMPIN`BiRD」ならば
“あらゆるコンプレックスとの闘い”と書いてマキシマム ザ ホルモン」なんだなぁって本当に。

“ROLLING1000tOON”がリリースされて12年、
沢山のオーディエンスがこの曲でワッショイと言わんばかりに暴れてる画を当時の彼らが想像できていたかどうかなんて知りえない事だが
この曲タイトル騒動から始まって、
ありとあらゆる規制や決まり事、不測の事態が挙げるとキリが無いほどホルモンには常に付きまとっていた。
それらと常に闘い続けて前進してきたのは本当に凄いと思う。
その事を踏まえた上で「延髄突きわーる」ってなってるフロアを見ると
感動せざるを得なかったのである。この時の脳内は完全に走馬燈だった。

そんな事をボーっと考えながら見てるウチに本編最後の曲。
そしてナヲさんの「最っ高の麺カタこってりを私の中にください!そしてスゲーの産んでやる!
せーの!麺カタこってり!やったー!!最後!恋のスーペールーマー!!!!!」ってマジで最低で最高過ぎるwww
そう、最低なのに最高なのが彼らなのだ。
イケメンバンドじゃやれない・やらないw事をホルモンはずーっとやってきた。
ロッキンジャパンで3曲同じ曲(アバラ・ボブ×3)やるとかねw
したたかな嫌がらせをし、それでも「最高だ!」と言ってくれる“腹ペコ”を育ててきた。
改めてそれが歌詞に出てくる「減らせFAN」なんだろうなと。

スタッフとして2008年から11年の3年間、そしてその他の幾多のステージをカメラマンとしてホルモンと共に闘った歴史が、
本当に走馬燈のように脳内を駆け巡る“封印”ライブだった。
闘ってきたのはメンバーとそれを支えるチームホルモンのスタッフ達。
レーベル・マネージメントの1000極さんタナケンさんの気苦労も半端なものではなかったと思う。
現ミミカジルスタッフの“長万部”こと赤塚くんのハゲあがりっぷりも頷けるw
そして僕自身も大変だった事を身に染みて経験した。
その上での昨日の新木場STUDIO COASTでの熱気しかない(マジで暑かったんですけどw)のライブを見れば
当時の気苦労なんて笑い話になるというもの。
ミミカジルに入るとなった頃、福岡での打ち上げ後に街を上ちゃんと二人で歩いてて
「色々大変だと思うけど頑張ってねぇ」って言われたのを思い出したな。

あと、2008年のヨーロッパツアーロンドン公演ではENTER SHIKARIの前座で、
照明も音量も前座だからとパワーダウンさせられてのライブにも関わらず
「俺らが日本のマキシマム ザ ホルモンだ!」とばかりの
日本国内じゃ絶対見られないであろう物凄いソリッドなキレキレのライブを英国人の前でブチかましていた。
それを見れたのは僕の中ではとてつもない財産。
結果、2DAYSだった2日目の公演は、
照明・音響共にメインアクトと同じ扱いになった。
あれは物凄くカッコ良かったなぁ。

とにかく、とても良いライブを見させていただいた。
封印が解かれた時にはまた大暴れしていただきたい。
そしてお呼びが掛かれば馳せ参じる所存だ。

新作映像作品“Deka VS Deka”も物凄い楽しみ。
このご時世、新木場公演が終わるまでちゃんと黙ってた皆凄いね。
全国の会場で告知してた内容、昨日まで本当に知らなかったもんなぁ。
{D7B6CFEC-9862-43F9-AEA2-A824A960D85B:01}

2015年になってから早いもので一週間。
毎年恒例の横浜F.A.Dでの年越しからもう一週間も経った。
撮り納め、からのカウントダウン撮影。よってその場で撮り初め。笑
正月を正月らしく過ごしたのはいつの事だろう…。

昨日1月7日はdustboxの2nd DVD“Here comes a miracle”の発売日。
もうご覧になりましたか?
晴海ふ頭での2014年夏の嘘みたいな一日が素晴らしくパッケージされていて、
写真
もDVDをはじめ、ポスターやTシャツに使用されています。
ワンマンショーだったので演奏曲も新旧織り交ぜているし、
すべてのdustboxファンはマストバイなんじゃないでしょうか??
あのステージは朝9時から設営が始まって、23時にはまた何事もなかったかのような
晴海ふ頭に戻ったのです。

ここが

こうなって

こうなった

っていう。
この日は本当に天気が悪くて、
雨が降るのか降らないのかっていうくらいの天候だったんだけど、降らなかった。
まだ梅雨もあけていない頃だったし野外ということで
週間天気予報を毎日見ていた記憶がある。
ちなみに梅雨明けしたのは翌日の7月22日。
まさにミラクル。笑
そんな奇跡の一日が収められた今作、是非。

このタイミングで写真集“ONE”に収録されたdustboxの写真を解説したいと思う。

「写真集“ONE” 解説 -dustbox編-」

本題に入る前に、少し写真集の掲載順について話しておこう。
全25バンドというバンド数を168ページというページ数の中に収めるにあたって
掲載順をどうしようか?という壁に当たった。
答えは「ABC順」という単純な答えに至った。
その中でも、マキシマム ザ ホルモン→くるり、という流れは
2バンドが東北4箇所をツアーで回った時に撮影させていただ時のくるりの写真だったので
この流れになった。
S.M.N.は正しくはSの次が「.(ドット)」なのでSのバンドの中でも最初に来るのだが、
ここはドット抜きでのアルファベット順にした。
dustboxは表紙が彼らのライブの写真だったので、
そのままdustboxが全25バンドの中でトップを飾る、という結果になった。

15周年のDVDで思い出したのだが、
新木場STUDIO COAST(日付は2010年4月22日)にて行われた
10周年記念ワンマンライブを収録したDVDもリリースされている。
その10周年記念の新木場STUDIO COASTでのワンマンライブで、ある事件が起こった。
ドリンクカウンターのある場所の壁に写真を貼って展示したのだが、
ライブ終演後にその写真が全て持ち去られてしまったのだ。

数日前に同じくSTUDIO COASTで行われたHawaiian6のライブでも写真が展示され
メンバーがMCで「終わったらあの写真持ってっていいぞ!」という一幕があったようだが
dustboxのライブでは誰もそんな事は言ってなかった(爆)
むしろ「作品にはお手を触れないでください」的な注意書きを貼っておいたほどだった。

メンバーからは「持ってくほどの良い写真だったんだよ!」と慰めの言葉を貰い、
うん…そうだなぁ、と、嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになり、
Twitterで「持ってったヤツは大切にしてくれ!」と書いた所
「終演後に見ようと思ったのに目の前で取られていってしまった」という返信が多く、
僕の心はすぐに憤りへと変わった。
見たい人が居たのに見せることが出来なかったのでは話が変わってくる。
しかし、幸か不幸かこの出来事は僕の行動力となり、
「じゃあdustboxの写真展をちゃんとギャラリーでやろう」と考え、
それから約半年後の11月、「No Teras,No Joy.」と銘打った写真展を渋谷のギャラリーで開催させた。

その後、dustbox以外のバンドの写真を展示した写真展“ONE”、“ONE2”を開催し
心底からは「ありがとう」とは言えないものの、
写真展を開催するきっかけを与えてくれたこの出来事には感謝している。
気にしてないと言ったら嘘になるが、もう気にしてはいない。
だから、もし持って行った方が今これを読んだとしても気にしないで欲しい。
僕はもう気にはしていない。
避けては通れないから書いたけど、
今後この事を話題にしないとここに誓う。
写真さえ大切にしてくれていたら、後は何も言うことはない。

では、本題に入ろう。

dustboxとの出会いは、表紙について書かせていただいた前回のブログに
詳細に書いてあるのでそちらをご覧いただくことにして、今回は割愛させていただく。
とにかく、dustboxは10年近く撮らせていただいている。
北は北海道、南は沖縄。韓国へも一緒に行った。
この12年間の中で一番撮影回数の多いバンドだと思う。

「見開き写真」
メンバーが爆笑しているのが印象的なこの写真。
フリーペーパー『FOLLOW-UP』の表紙もこの写真が飾った事がある。
この写真の撮影日は2008年9月9日。
会場は赤坂Blitzで、この日はアメリカのNo Use For A Nameの来日公演で
dustboxがゲスト出演した時のもの。

dustboxはライブの最後の最後にはSugaさんとJojiさんがReijiさんのドラムのキメに合わせて
ジャンプして終わるのがお決まりなのだが、
この日、ドラム台からジャンプするために上がったJojiさんがバランスを崩して
「ドコダタッタッタッタッタ…」というところでえっちらおっちら…
無理矢理キメようとしたけどやっぱりダメで(笑)、
3人がそれで爆笑、という瞬間のなんともdustboxらしい写真なのです。
dustboxらしさっていうのは人間性なんだなぁっていうのが解かりやすい一枚で
ギリギリ3人が収まっているのでdustbox掲載写真の1枚目を写真に決めた。

No Useとの共演はこれが2回目で、
1回目は2006年9月19日渋谷CLUB QUATTROだった。
この頃は“13 Brilliant Leaves”のリリースツアー中。
滋賀B♭→福井Chop→渋谷CLUB QUATTROというスケジュールの中での一日で、
終演後No Useの楽屋でNo Useメンバーとdustboxメンバーで記念写真を撮った。
ヴォーカルのTony Slyが亡くなってしまった今、貴重な一枚となってしまった。

時は経ち、新宿ACB HallにてTony Sly、Joey Cape(LAGWAGON)の2人が
アコースティックライブを行った時、Sugaさんがゲスト出演し
その公演を見に行った事がある。
その頃はNo Useの楽曲を日本のバンドがカバーしたアルバム“iLECHE CON COVER!”が発売された時で
そのジャケット写真は僕が撮影していたので終演後Tonyに挨拶をした。
保存用と聴く用に、と2枚CDをいただいていたので、
ジャケットにTonyにサインをして貰った。
Sugaさんが「ちょっとTonyと写真撮って!」という事で
楽屋でSugaさんのカメラで記念写真を撮影した。
「僕も…まぁ終演後でバタバタしてるし、きっとまた機会があるのかも知れないし」
と思い、僕は記念写真を撮ってもらわなかったのだが、
今思えば躊躇せずに撮ってもらったら良かったなぁなんて思っている。
いつ何があるかなんて、誰にも分らないのだ。

『TonyにサインしてもらったCD』


「dustbox 3ページ目(写真2枚目)」
そう言えばこの写真集、ページ数を入れていない。
写真のレイアウト上ページ数を入れるスペースがなかったのが理由で
どのページを言っているのか分らなくなるかも知れないが、
写真集を見ながら内容を読んでいただけたら伝わる…と信じているので
ご不便をお掛けするがその点了承していただきたいと思う。

Sugaさんがギターを叫びながら弾いているのが印象的なこの写真の撮影日は
2011年7月14日、今は残念ながら閉店してしまった清水JAMJAMJAMでの一枚。
この日はGOOD4NOTHINGとの2マンで、
イベントタイトルは『dustbox presents "BURN SOUL DOWN"』。
ちなみにこの日の前日は岐阜Rootsにて
『GOOD4NOTHING presents " Searching For Freedom"』が開催されていた。
イベントタイトルがお互いの企画名を交換し合っての開催となっていて、
両日共にとても最高な一夜になったのを覚えているし
特にこの清水JAMJAMJAMは灼熱酸欠必至で、
出し切ってぐったりするメンバーの写真が残っていた。
確か、お互いの曲をカバーしあったりもしていたと思う。
ちなみにドラム後ろの壁に貼られているのは
段ボールに手書きで書かれたイベントドロップ。

「dustbox 4ページ目(写真3枚目)」
Reijiさんの後ろ姿のこの写真。
着ているTシャツが映画“Heavy Metal In The Country”のTシャツっていうのが
とても印象的なこの写真。
Reijiさんの音楽ルーツを感じますね。
よくSKID ROWのTシャツ着てたなぁと思ったり。

この写真の撮影日は2009年5月21日。場所は川崎CLUB CITTA。
この日はOVER ARM THROWの初代ドラマー玄さんのラスト前のライブ、
『Some Missing Night War Vol.2』。
後輩のOVER ARM THROWへ対する気持ちに溢れたステージだったと記憶している。
川崎CLUB CITTAでライブするとSugaさんはほとんどの確立で
最後ギターを持ったまま客席にダイヴする(笑)
それには古くからの歴史があるそうで、なかなか面白いエピソードなのだが、
それはまた機会があれば。
この日のOVER ARM THROWのライブの模様は
彼らの1st DVD「NO SWEET WITHOUT SWEAT」に収録されている。
気持ちが溢れてしまって貰った時に見た以来見れてないDVD。
ちなみに、セットリストも写り込んでいてよく見るとそこからも読み取れるが、
この日のdustboxの最後の演奏曲は“Next Story”だった。

「dustbox 5ページ目(写真4枚目)」
「dustbox 6ページ目(写真5枚目)」
Sugaさんの笑顔が印象的な右ページの写真。
そしてちょっと怖い印象もあるJojiさんの左ページの写真。
この2枚の写真は2012年10月7日、渋谷O-WESTにて撮影したもの。
この日はHOTSQUALLの“Driving squall TOUR 2012″FINAL。
HOTSQUALLもdustboxと同じくらいの時期から撮らせていただいているバンドで、
チケットはSOLD OUT。
dustboxの“13 brilliant leaves”のリリースツアーファイナルは
STOMPIN`BiRDとHOTSQUALLの3マンだった。
その時のお返しというばかりのライブをしていたと思う。
Jojiさんのこの顔は、ツアーファイナルに呼ばれた対バンとしての
重たいバトンを渡すという使命を背負ったライブをしていた証拠だと思う。
この2枚の写真が同じ日から選出したのは
この写真しかなかった訳ではなくて、この写真の印象が強かったからだ。
『目は口ほどに物を言う』という言葉があるが、
この写真にしよう、と思わされたのは表情と目が物語るもモノがあるからだ。
この日のライブの気合がどれだけ大きいモノだったかを物語っていると思う。
この写真集は全25バンドの寄せ集めたバンドの写真集という訳ではなく
掲載した25バンドの間に、見えない糸が繋がっているのも
暗に言いたかったからでもある。
そのバトンを受けたHOTSQUALLのライブは
“HOTSQUALL FILMS -Driving squall TOUR 2012 FINAL”に収録されている。
解かりやすいくらいのとても良いライブをしていて、
DVDを見た事のある方にはうなずいていただけると思う。
これはそんな一日から切り出した2枚の写真だ。

「dustbox 7ページ目(写真6枚目)」
dustboxは宮城県で2012年に開催された『AIR JAM2012』に出演した。
出順は1日目のトップバッター。
この日僕はAIR JAM2012のオフィシャルカメラマンとして会場へ。
いつも撮影しているバンドがAIR JAMに出演、そしてオフィシャル写真も担当、となると
さすがに鼻息も荒くなるというもの。何より、嬉しかった。

この写真の撮影は2012年9月15日、国営みちのく杜の湖畔公園。
前述の通り、『AIR JAM2012』での一枚だ。
どこから撮ったのかと皆さんお思いかも知れない。
これは会場がオープンする前にステージの舞台監督さんにお願いして
ステージの鉄骨をよじ登り、
リモコン操作でシャッターが切れるカメラを設置して撮ったものだ。
本番中に行けない場所ではないが目立ってしまうし、
ライブ中に目立つべきはバンドマン。
トップバッターの我らがdustboxの立った全景を撮れるのはそこしかなかったので
この方法をとった。

この日、『AIR JAM2011』の時と同じく
TEPPEIさん、塁さん、ツカサさんをはじめ
諸先輩と共にオフィシャルカメラマンチームで会場入り。
到着するとdustboxはリハーサルの最中だった。
ステージに挨拶しに行くと何かいつもと違う事にすぐ気が付いた。
ベースキャビネットの上にはNOBの鎌田くんの写真。
ギターアンプの上にはNOBの“Colors”リリースツアーTシャツがかかっていた。
この写真もよく見ると写真立てと畳まれたTシャツが
それぞれに置かれているのがお分かりいただけると思う。
それにはとても嬉しくなった。

僕はいわゆる『ハイスタ世代』ではあるけども、『実際ライブに行った事のないハイスタ世代』で、
『AIR JAM2011』でHi-STANDARDを目の当たりにするまでHi-STANDARDを見たことがなかった。
僕より年上のバンドマンは皆実際ライブに行って見てたりして
影響を受けたバンドマンも多かったんだと思う。
それはNOBも、きっと。
この日イベントが始まる前からTwitter上では沢山のバンドマンが
dustboxに想いを託していたのを見掛けた。
僕もその場には居たがその想いを託した人間の一人だ。
12時になると『AIR JAM2012』はdustboxのライブで幕を開け、
途中、Sugaさんの「映画かぁーーーーーん!(あんまこれ言うと怒られるw)」に
いつも通りのdustboxにホッとしたりしながらあっという間に終わってしまった。
ステージを降り、楽屋に戻るJojiさんの手に
しっかりと鎌田くんの写真立てを持っている写真が残っている。
東日本大震災をきっかけに“日本のために”再始動したHi-STANDARD。
そしてAIR JAM。
そこに立ったdustbox。
携われた事にとても感謝しているし、
この写真の掲載を快諾してくださったAIR JAM関係者の方に重ねて感謝する次第だ。

「dustbox 8ページ目(写真7枚目)」
168ページという、このサイズの冊子の最大ページ数の中で
今まで撮りためた写真を選考するのに一週間家に引きこもった。
各バンドの写真を選ぶ時に各バンドの楽曲をかけながら悩みに悩んで選び抜いた。
dustboxの写真も例外なく膨大な撮影データの中から厳選し、
さらに8ページというページの中に収めるのに苦労した。
ただ、最後はほとんど勢いに任せて並べてみたのが
案外しっくりきたので満足している。
ある方には「全部が強い写真ばかりだから勿体ない」と言われたが、
各バンド6~8ページに収めるのだから
トータルで見て抑揚をつけるのがそもそも無理な話なのだ。
(もちろん6~8ページの中でも多少は抑揚の意識はしたつもり。)
dustboxの写真だけでも一冊の写真集が作れるくらいの量があるが
この写真で写真集“ONE”のdustboxの収録ページは最後。
新木場STUDIO COASTで、前述した10周年ワンマンライブの時の
ステージ上からの記念写真でdustboxのページの締めとした。

dustboxが10周年でも僕がその10年間を共にしたわけではないが、
その場に居合わせたのには縁がある。
15周年の晴海ふ頭ワンマンでも、同じように記念写真を撮ることが出来たのは
被写体を追い続けるカメラマンとして喜ばしいことかも知れない。
僕の10年間の活動の総まとめというこの写真集制作にあたり、
重要な一日であり、一枚だと思う。
写真展“No Tears,No Joy.”では、A0サイズにして展示した。

ライブ写真っていうのはバンドとオーディエンスの生きた証だ。
演奏してなくても「ライブ写真」って事でいいじゃないか、という答え。
dustboxというバンドの人生に携わることが出来て、幸せに思っている。




…という事で、とても長くなりましたが、写真集“ONE” 解説 dustbox編でした。
どうしても長くなるなぁ。結構あっさり書いたつもりなんですが。
でも、思い出を書き留めておくのもオツで良いかも知れないし。
それにいつまでも沢山の物事を覚えているとも限りませんし(汗)

移動行程とかまるで忘れてたりします。
2006年の滋賀B♭→福井chop→渋谷CLUB QUATTROの
福井→渋谷の移動ってどうしてたか全然覚えていません。
Jojiさんがシャンプーをバッグの中にブチまけてしまって
「これじゃ“産ませてよぉ~”だよ~!」と言いながら
福井chopの前でホースで水出して洗ってたのは覚えてます。笑

今日はこれから仙台へ。
遅筆なので次回更新はこれまたいつになるかわかりませんが、
次回は「写真集“ONE” 解説 -Boobie Trap編-」です。

■写真集“ONE”
http://www.showcase-prints.com/?pid=64583981

(写真集詳細・ご購入はこちらから)
{D7B6CFEC-9862-43F9-AEA2-A824A960D85B:01}

今月の2日、写真集“ONE”発売から一年が経ちました。

この間に各地で発売記念写真展やスライドショー写真展をやらせていただいて、
そして沢山の方々のお手元に写真集を届ける事ができ、
発売できて本当に良かったと思っています。

写真っていうものは一瞬を切り取って
見る側にその一枚から情報を読み取らせるもの。
まぁ、これは記録写真や報道写真における写真の見せ方であって、
芸術的な写真で言うと話は変わって来ちゃうとは思うんですけど、
ライブ写真って記録写真的な要素と
芸術というか、写真というものの美しさとか
写真だから残せる・見える一瞬を人に伝えられるツールだと僕は思っています。

写真だけで完結出来れば十分、だと思ってはいるんですが、
写真集に載っているライブハウスの場所や日付、
その日は何のイベントだったか
なんでこんな表情してるのか等々、
「書く書く」と言っては全く書いていなかったんですが、
補足なんてしてみたら更に楽しんでいただけるのかなと思い、
写真集発売から一年という節目を迎えて
「これはさすがに書かないとな」と思って書き始めました(笑)。

10年分の「イイトコどり」の詰まった写真集ですが
案外写真それぞれの時の写真を撮った時の事って覚えているもので、
眺めていると当時の気持ちがフラッシュバックしてきます。

次回更新がいつになるか、いつ終わるかは全く分かりませんが、
これはちょっと全26章(表紙+25バンド分の思い出)を書かせていただこうかなと思っています。

文章については上手くもないし素人だし文章力もないし、
思い入れが強くなったりするといきなり「です・ます調」が一気に無くなるのでご了承をば(笑)。
説明だと「です・ます調」じゃなくて言い切った書き方の方が伝わったりするしね。とか言って。



「表紙の写真について」
今回のブログにも貼ってあるけど、
この写真集表紙になった写真は
僕の写真を以前から知ってくださっている方なら見たことがあるはず。
知らない方のために説明しておくと、
この写真は2011年5月に渋谷のミームマシンギャラリー(残念ながら閉館…)で開催した
写真展『“ONE”』のメインビジュアルとして使用した写真。
そして、dustboxの“Jupiter”という曲のPV冒頭にいきなり出てくる写真でもある。

撮影日は2007年11月15日。
撮影場所は残念ながら今年5月31日に閉館してしまったSHIBUYA-AX。
この日はdustboxのアルバム『Seeds of Rainbows』のレコ発ツアーのセミファイナル。
HOTSQUALLとSABOTENが共演していた。

dustboxの『Seeds of Rainbows』は2007月8月22日発売日だったが、
まず、その前作『13 Brilliant Leaves』のツアーファイナルが渋谷O-WESTで行われて
その時の熱量たるや凄いものがあった。
dustboxを初めて撮らせていただいたのは2005年11月のこと。
それ以前に横浜F.A.DでSUGAさんに話しかけた時はSUGAさんは
会話を始めた最初、僕の事を橋本塁さんと勘違いしていた。(笑)
誤解も早々に解け、快く撮影をOKしていただけた。
翌2006年、STOMPIN`BiRDのツアーで高崎 club FLEEZEに行った時の事。
当時ライブハウスの敷地内になぜかカレー屋さんがあって
その日dustboxは埼玉の後輩を連れて来ていて、
Reijiさんはその後輩に死ぬほどカレーを食わせ、死ぬほどカレーを食わせた後
オナラを嗅がせ、カレーをリバースさせていて皆で爆笑した記憶がある。(笑)
Jojiさんともこの日に初めて話をさせていただいて、それはご本人も記憶してくれていた。
dustboxの楽曲も人柄にも惚れ込むには時間は全くかからなかった。

その後『13 Brilliant Leaves』のツアーが始まり、
日に日にライブハウスでの熱量が増していくのを肌で感じつつ、
ツアーにも同行させていただき写真を各地で撮っていった。
リリースツアーも終わり、COUNTDOWN JAPANの初出演を果たし、
翌2007年『Seeds of Rainbows』が完成し、8月22日に発売された。
このアルバムを聴いた時の感動は凄かった。
「これは凄いことが起きるんじゃないか!?」そう思わせてくれるアルバムだった。
その発売直後の8月26日クラブチッタ川崎で行われた「SET YOU FREE」というイベントに
出演したdustboxのフロアの光景は物凄いものだった。

もうただの地獄絵図(笑)


『Seeds of Rainbows』を聴いた時の直感は見事にフロアの大爆発で確信。
きっとこのCDはこの光景のための“種”だったのかなと思った。
『Seeds of Rainbows』リリースツアーは9月17日の千葉LOOKを皮切りに
この表紙の写真のセミファイナル、そしてファイナルのさいたま新都心VJ-3まで行われ、
全29本の内の7本に押しかけた。決して多くはないけども、各地での思い出は少なくはない。

そんな僕なりの想いのこもったツアーのSHIBUYA-AXでの、
ステージ上にいる3人は照明で白くぶっ飛んで写りこんでないけども
その3人が放つ光をオーディエンスが受け止めようと手を上げ、広げているこの写真が
ずっとお気に入りで、普段から撮らせていただいているバンドを展示した写真展“ONE”の
メインビジュアルにさせていただき、遂には初めての写真集の表紙にまでさせていただいた。
あのライブハウスの、ステージとフロアが一体となってブワっと輝くあの瞬間が
この一枚に押し込める事ができた気がしていて、
dustboxのあのツアーのあの頃の僕の純粋な気持ちから撮れた一枚だと思っている。

どうして横に見るのが正しい写真を縦に使ったのかというと、
とにかく、この写真を表紙にしたかったからというのが理由。
しかしながら、横位置の写真を横位置の写真のまま使うと上下に余白ができてしまい、
タイトルなどのレイアウトが困る、などを思うこともなく、
この写真は縦に使うって事でいいんじゃないかな?と思っていた。
写真集のタイトル、つまり題字も
「出来るかわからないけどこんな感じがいいな…」という希望もあってこのレイアウトになった。
写真集のレイアウトを担当してくれたデザイナー/イラストレーターのTM Paintと二人で
当時これを「FLJ方式」と名づけていた。
理由はコレを見ていただければ一目瞭然だと思う。

そして、次は写真集の表紙を飾った題字の話に移らさせていただく。



「写真集の題字について」
題字の話をする前に、写真集のタイトルである“ONE”について書きたいと思う。

この“ONE”という、「一、いち、ひと、ひとつ」という意味を持つこの数字には、
ずっと惹かれている。
写真を撮るという行為は、無限にあるこの世の中の中で
唯一無二の、二度とない時間を切り取るということ。つまり「オンリーワン」だ。
その二つとない唯一の時間、場所、空間、演奏、熱、バンド、オーディエンス、関わるスタッフ、
そしてそれを切るとる僕、どれをとってもオンリーワンなのだ。
その儚さがとても寂しく、切なく、だからこそ美しく感じる。
そこで撮った瞬間を集めたもの、だから僕は写真展、そして写真集には“ONE”というタイトルをつけた。

今までの写真展は“ONE”・“ONE2”・“ONE BY ONE”というタイトルを今までつけてきた。
(ギャラリーにおける初めての写真展はdustboxの写真展“No Tears,No Joy.”だったが)
2011年5月に開催した写真展“ONE”は、東日本大震災の後の開催だった。
開催を決めたのは震災の数日後だったと思う。
写真展までの2ヶ月間、目まぐるしく状況が変わる中で何が自分に出来るかを考えていた。
自粛ムードでライブを体感出来ない人のためにも写真でライブを体感してもらおうと、
文字にするととてもチープに感じるが本当にそう思った。
写真展の“ONE”入場料を来場者からいただき、
会場設営費を差し引いた額の半分は、当時現地で炊き出しをしていたIdol punchのラッコさんに托し、
もう半分は、体育館に身を寄せていた南三陸町の友人宛に物資を見繕って送らせていただいた。
また、写真展“ONE2”は会場設営費を差し引いた全額を
東北ライブハウス大作戦へ寄付させていただいた。
被災地から、ライブが見れなくてわざわざこの写真展まで足を運んでくれた方もいて、
「ライブハウスに来れたような気持ちになりました」と、とても喜んでくれたようだ。
沢山の来場者の皆さんにはとても感謝している。
僕なりの気持ちを寄せた、繋がる・繋げるという意味での“ONE”と“ONE2”だった。

僕が撮影するバンドには「ONE」という名前の楽曲がある。
どのバンドの“ONE”もとても素敵な楽曲達だ。

ふと思い出したから書いておくけど、
locofrankが2012年にリリースしたミニアルバムのタイトルが「ONE」というタイトル。
ある日、ボーカルのマサユキさんから電話が突然掛かって来た。
「なんかしたかなぁー恐いなぁーなんだろうなぁー…」と、
滅多に電話が掛かってこない人から正直ビビりつつ(笑)、電話に出た。

「もしもし半ちゃん?あのーちょっと話があんねんけど」
「え!なんでしょう??」
「新しいCD出すんやけど、タイトルにONEって使わせてもらいたいんやけど、ええかな?」

ONEという言葉が僕のものみたいになってたようで慌てて

「全く問題ないです!いやでもほら、あのバンドとかこのバンドにもONEって曲ありますし…!」
「…あ…まぁ…そうやな(照)」

いらん事言ってしまったなぁと思いつつも、わざわざ電話をいただけて本当に嬉しかった。

題字の話に移ろう。

この“ONE”という題字、皆さんもご存知のあの横山健さんに描いていただいたものだ。
Ken Bandを初めて撮らせていただいたのは2012年7月、盛岡CHANGE WAVE。
その日はDRADNATSを撮りに行っていた。
それ以前はライブハウスで挨拶をさせていただいたりしていたが、
会場につくやいなや、PIZZA OF DEATHの物販担当FTCさんに
「あれ?半ちゃん何しに来たの?DRADNATS撮ってウチの社長撮らないの??」という恐ろしいフリに
僭越ながら、そして恐縮ながら応えさせていただいた結果だ。
DRADNATSのヤマケンさんに「というワケなので横山さん紹介していただいて良いですか…」
と、言うと「え?でも健さん半ちゃんの事知ってるでしょ??」と言われつつ、
「いや一応ね…改めて…(滝汗)」と言ってリハーサル終わりの横山さんにお話させていただき、
快くOKをいただいて、それが今日まで至っている。
Ken Bandの前に2011年のAIRJAMでHi-STANDARDのKENNY(愛をもって敬称略)を撮らせていただいたのだが、
ヘタクソながらもギターキッズの僕には改めて恐縮と興奮のスリルを味わわせていただいている。

2011年、PIZZA OF DEATHは東北を巡るフリーライブツアーを行った。
その名も「We Are Fuckin' One Tour」。
背中にこの言葉の描かれているTシャツを目にしたことがきっと皆さんもあるだろう。
会場でそのTシャツを販売し、その売上げで東北をフリーライブするというものだった。
このツアーのAIR JAM 2011直前の八戸ROXXと久慈UNITYへ出演したdustboxを撮りに行っていて
「We Are Fuck`n ONE Tour」の熱量と想いを今でも覚えている。

東日本大震災は僕達の価値観を変えた出来事だった。
色んな事を気付かされた出来事でもあった。
SLANG KOさん、BRAHMANのメンバー、そして健さん。
憧れの方々が人としてPUNKSとして現地で活動していった事に呼応した。
東北ライブハウス大作戦も然りだ。
「We Are Fuckin' One」という言葉はとてもすんなり僕には入ってきた言葉だった。
今こそ一つにならないでいつやるんだ。そう思わされた。

写真集はこの10年間の僕の撮ってきたものが凝縮されたものだ。これまでの時代も写りこんでいる。
表紙の写真が閉館したSHIBUYA-AXだったり、
今は亡きNOBの鎌田くんの写真があったり、
東北ライブハウス大作戦で造られたライブハウスでの写真がいくつもあったりする。
高校生でギターを手にした僕にはやはり健さんはギターヒーローだ。
原宿で買った大きめの数珠のネックレスしてた事もある(猛爆)。
そして、俺もそういう気持ちはあるよと言われたらもちろんそうでしょう、とも思うが
今こそ一つに、という今「ONE」という文字を描いて貰いたかったのは健さんだった。

横浜バンド7バンドで東北4ヶ所を巡る「爆裂ツアー」
宮古カウンターアクション公演前日の2013年6月28日、僕は渋谷 CLUB QUATTROにいた。
その日はKen Yokoyama×The Birthdayの2マン。
青春時代ド直球のヒーローが二人いる物凄い2マン。
終演後、沢山の来客の対応をする健さんの横でタイミングを見計らって話しかけてみた。

「この10年間の集大成である写真集を作ろうと思っています。
 是非題字を健さんに描いていただきたいんです。
 タイトルは“ONE”にしたくて、この文字を今描いて欲しいのは健さんなんです。」

恐れ多くも…とも思ったし、聞くだけ言うだけはタダ。正直、ダメモトだった。
でも答えは「OK、何でも相談してくれよ。」だった。
そしていただいた言葉に頭が真っ白になるほど嬉しかった。
このお願いをさせていただいた時、唯一の僕なりの条件を健さんに提示させていただいたが、
それはいつか明かせる時までこの場では控えさせていただく。
その条件が響いて「そんなに言うならやってみろ」という想いなのか、
それとも若手を応援する気持ちからなのか…
いや、そんな事だけでは快諾いただけないと思うが、健さんからOKをいただくことが出来た。
随分な気持ちを叩きつけさせていただいた5分ほどの時間だったが、願いは叶った。

機材を片し、会場内を出る時には宮古へ向かうバスの出発時間が迫っていて
談笑をしている皆さんに挨拶をし、ギリギリの時間で会場を後にした。
頭の中はもう題字の事で頭がいっぱい。
池袋に着き、盛岡行きの夜行バスに乗る予定だったのだがバス停が全く見当たらない。
そして目印のヤマダデンキが2つある。
ここまでで検討ついたと思うが、そうこうしている内にバスの発車時間が過ぎ、
気がついたら目の前を盛岡行きのバスが颯爽と走り抜けていった(爆)
バスの軽快な後姿になんとも情けなく、悲しい気持ちになったが、
そんな事どうでも良かった。
とても大きなことが一つ決まった夜だったのだから。
(横浜バンドが集結していた盛岡のホテルには翌朝移動して出発時間の3分前に到着w)
それから2週間ほど経った頃、PIZZA OF DEATHの方からメールが届いた。
そのメールには健さんが描いてくれた3パターンの文字が添付されていた。
その中からまさにイメージ通りの一つを選出させていただき、表紙の題字にさせていただいた。
後日「これにしました!」とご本人に伝えると
「あーこれね。一番普通のね。3パターン目のとか結構一生懸命に描いたのよ?」と言われ
健さんなりの茶化しと本気の混じったコメントに鬼のような恐縮をしつつも
でもそれがデザイン的なハマり度と、そして一番のイメージ通りだったので!と伝えると
分かってるよ、という笑顔をいただけて一安心した(爆汗)。
これが題字“ONE”にまつわるエピソードだ。
CDジャケットやセットリストに書かれた「あの文字」が僕の写真集のタイトルを飾っている事が
心から嬉しく、そしてとても誇らしく思っている。

写真集の表紙は写真集の顔だ。どんな一冊かを表すものでもある。
dustboxのあの写真と、健さんの題字、そして僕の名前。
表紙のデザインが決まった時点で満足度は物凄かった。
この表紙のフォトTeeを東北ライブハウス大作戦へのチャリティーTシャツとして写真展会場と
Showcase Printsで販売させていただき、
これを書いている時点Sサイズが残り1枚のみ残っている。
もしこれを読んでSサイズを着ていてお財布に余裕のある方がいたら是非ご購入いただけたらと思う。
http://www.showcase-prints.com/?pid=65715483
※完売しました!ご協力ありがとうございます。

表紙だけでここまで語ってしまったので、まだそれぞれのバンドについてのエピソードがあるのに
随分ハードルがあがってしまった感が半端ではないし、
あと25バンド分コンプリートするまでいつになるかわからないが
焦って書いても文章に込められないので遅筆はご勘弁いただきく思う。
ブログのテーマを「写真集“ONE”」に設定したので、
気付いた時にここに来ていただいて、ブログテーマで表示していただけたら
ダイレクトに表示されるので是非。

次回は「写真集“ONE” 解説 -dustbox編-」です。

■写真集“ONE”
http://www.showcase-prints.com/?pid=64583981
(写真集詳細・ご購入はこちらから)
{B786564D-28BE-4EFF-8A64-E8E476F85314:01}

今日で、ライブ写真集“ONE”の発売から丸1年が経ちます。

さっき表紙をボケっと見てて
改めてよくこんなの作れたなぁと思った所です。笑

25バンドの人達が「やれよ!」と言ってくれて、
横山さんが題字を書いてくださって、
僕のっていうより
25バンドとその周りの人たち、
そしてオーディエンスの皆さんのパワーが詰まり狂ってる一冊だなと思ってます。

“動く写真集”とか“聴こえる写真集”とか
その見た人の想いを脳内再生出来る写真って、素敵やん。照

1年って早いですね。

まぁ
この写真集に詰まった10年の方が早かったけどね。