今月の2日、写真集“ONE”発売から一年が経ちました。
この間に各地で発売記念写真展やスライドショー写真展をやらせていただいて、
そして沢山の方々のお手元に写真集を届ける事ができ、
発売できて本当に良かったと思っています。
写真っていうものは一瞬を切り取って
見る側にその一枚から情報を読み取らせるもの。
まぁ、これは記録写真や報道写真における写真の見せ方であって、
芸術的な写真で言うと話は変わって来ちゃうとは思うんですけど、
ライブ写真って記録写真的な要素と
芸術というか、写真というものの美しさとか
写真だから残せる・見える一瞬を人に伝えられるツールだと僕は思っています。
写真だけで完結出来れば十分、だと思ってはいるんですが、
写真集に載っているライブハウスの場所や日付、
その日は何のイベントだったか
なんでこんな表情してるのか等々、
「書く書く」と言っては全く書いていなかったんですが、
補足なんてしてみたら更に楽しんでいただけるのかなと思い、
写真集発売から一年という節目を迎えて
「これはさすがに書かないとな」と思って書き始めました(笑)。
10年分の「イイトコどり」の詰まった写真集ですが
案外写真それぞれの時の写真を撮った時の事って覚えているもので、
眺めていると当時の気持ちがフラッシュバックしてきます。
次回更新がいつになるか、いつ終わるかは全く分かりませんが、
これはちょっと全26章(表紙+25バンド分の思い出)を書かせていただこうかなと思っています。
文章については上手くもないし素人だし文章力もないし、
思い入れが強くなったりするといきなり「です・ます調」が一気に無くなるのでご了承をば(笑)。
説明だと「です・ます調」じゃなくて言い切った書き方の方が伝わったりするしね。とか言って。
「表紙の写真について」
今回のブログにも貼ってあるけど、
この写真集表紙になった写真は
僕の写真を以前から知ってくださっている方なら見たことがあるはず。
知らない方のために説明しておくと、
この写真は2011年5月に渋谷のミームマシンギャラリー(残念ながら閉館…)で開催した
写真展『“ONE”』のメインビジュアルとして使用した写真。
そして、dustboxの“Jupiter”という曲のPV冒頭にいきなり出てくる写真でもある。
撮影日は2007年11月15日。
撮影場所は残念ながら今年5月31日に閉館してしまったSHIBUYA-AX。
この日はdustboxのアルバム『Seeds of Rainbows』のレコ発ツアーのセミファイナル。
HOTSQUALLとSABOTENが共演していた。
dustboxの『Seeds of Rainbows』は2007月8月22日発売日だったが、
まず、その前作『13 Brilliant Leaves』のツアーファイナルが渋谷O-WESTで行われて
その時の熱量たるや凄いものがあった。
dustboxを初めて撮らせていただいたのは2005年11月のこと。
それ以前に横浜F.A.DでSUGAさんに話しかけた時はSUGAさんは
会話を始めた最初、僕の事を橋本塁さんと勘違いしていた。(笑)
誤解も早々に解け、快く撮影をOKしていただけた。
翌2006年、STOMPIN`BiRDのツアーで高崎 club FLEEZEに行った時の事。
当時ライブハウスの敷地内になぜかカレー屋さんがあって
その日dustboxは埼玉の後輩を連れて来ていて、
Reijiさんはその後輩に死ぬほどカレーを食わせ、死ぬほどカレーを食わせた後
オナラを嗅がせ、カレーをリバースさせていて皆で爆笑した記憶がある。(笑)
Jojiさんともこの日に初めて話をさせていただいて、それはご本人も記憶してくれていた。
dustboxの楽曲も人柄にも惚れ込むには時間は全くかからなかった。
その後『13 Brilliant Leaves』のツアーが始まり、
日に日にライブハウスでの熱量が増していくのを肌で感じつつ、
ツアーにも同行させていただき写真を各地で撮っていった。
リリースツアーも終わり、COUNTDOWN JAPANの初出演を果たし、
翌2007年『Seeds of Rainbows』が完成し、8月22日に発売された。
このアルバムを聴いた時の感動は凄かった。
「これは凄いことが起きるんじゃないか!?」そう思わせてくれるアルバムだった。
その発売直後の8月26日クラブチッタ川崎で行われた「SET YOU FREE」というイベントに
出演したdustboxのフロアの光景は物凄いものだった。
もうただの地獄絵図(笑)
『Seeds of Rainbows』を聴いた時の直感は見事にフロアの大爆発で確信。
きっとこのCDはこの光景のための“種”だったのかなと思った。
『Seeds of Rainbows』リリースツアーは9月17日の千葉LOOKを皮切りに
この表紙の写真のセミファイナル、そしてファイナルのさいたま新都心VJ-3まで行われ、
全29本の内の7本に押しかけた。決して多くはないけども、各地での思い出は少なくはない。
そんな僕なりの想いのこもったツアーのSHIBUYA-AXでの、
ステージ上にいる3人は照明で白くぶっ飛んで写りこんでないけども
その3人が放つ光をオーディエンスが受け止めようと手を上げ、広げているこの写真が
ずっとお気に入りで、普段から撮らせていただいているバンドを展示した写真展“ONE”の
メインビジュアルにさせていただき、遂には初めての写真集の表紙にまでさせていただいた。
あのライブハウスの、ステージとフロアが一体となってブワっと輝くあの瞬間が
この一枚に押し込める事ができた気がしていて、
dustboxのあのツアーのあの頃の僕の純粋な気持ちから撮れた一枚だと思っている。
どうして横に見るのが正しい写真を縦に使ったのかというと、
とにかく、この写真を表紙にしたかったからというのが理由。
しかしながら、横位置の写真を横位置の写真のまま使うと上下に余白ができてしまい、
タイトルなどのレイアウトが困る、などを思うこともなく、
この写真は縦に使うって事でいいんじゃないかな?と思っていた。
写真集のタイトル、つまり題字も
「出来るかわからないけどこんな感じがいいな…」という希望もあってこのレイアウトになった。
写真集のレイアウトを担当してくれたデザイナー/イラストレーターのTM Paintと二人で
当時これを「FLJ方式」と名づけていた。
理由は
コレを見ていただければ一目瞭然だと思う。
そして、次は写真集の表紙を飾った題字の話に移らさせていただく。
「写真集の題字について」題字の話をする前に、写真集のタイトルである“ONE”について書きたいと思う。
この“ONE”という、「
一、いち、ひと、ひとつ」という意味を持つこの数字には、
ずっと惹かれている。
写真を撮るという行為は、無限にあるこの世の中の中で
唯一無二の、二度とない時間を切り取るということ。つまり「オンリーワン」だ。
その二つとない唯一の時間、場所、空間、演奏、熱、バンド、オーディエンス、関わるスタッフ、
そしてそれを切るとる僕、どれをとってもオンリーワンなのだ。
その儚さがとても寂しく、切なく、だからこそ美しく感じる。
そこで撮った瞬間を集めたもの、だから僕は写真展、そして写真集には“ONE”というタイトルをつけた。
今までの写真展は“ONE”・“ONE2”・“ONE BY ONE”というタイトルを今までつけてきた。
(ギャラリーにおける初めての写真展はdustboxの写真展“No Tears,No Joy.”だったが)
2011年5月に開催した写真展“ONE”は、東日本大震災の後の開催だった。
開催を決めたのは震災の数日後だったと思う。
写真展までの2ヶ月間、目まぐるしく状況が変わる中で何が自分に出来るかを考えていた。
自粛ムードでライブを体感出来ない人のためにも写真でライブを体感してもらおうと、
文字にするととてもチープに感じるが本当にそう思った。
写真展の“ONE”入場料を来場者からいただき、
会場設営費を差し引いた額の半分は、当時現地で炊き出しをしていたIdol punchのラッコさんに托し、
もう半分は、体育館に身を寄せていた南三陸町の友人宛に物資を見繕って送らせていただいた。
また、写真展“ONE2”は会場設営費を差し引いた全額を
東北ライブハウス大作戦へ寄付させていただいた。
被災地から、ライブが見れなくてわざわざこの写真展まで足を運んでくれた方もいて、
「ライブハウスに来れたような気持ちになりました」と、とても喜んでくれたようだ。
沢山の来場者の皆さんにはとても感謝している。
僕なりの気持ちを寄せた、繋がる・繋げるという意味での“ONE”と“ONE2”だった。
僕が撮影するバンドには「ONE」という名前の楽曲がある。
どのバンドの“ONE”もとても素敵な楽曲達だ。
ふと思い出したから書いておくけど、
locofrankが2012年にリリースしたミニアルバムのタイトルが「ONE」というタイトル。
ある日、ボーカルのマサユキさんから電話が突然掛かって来た。
「なんかしたかなぁー恐いなぁーなんだろうなぁー…」と、
滅多に電話が掛かってこない人から正直ビビりつつ(笑)、電話に出た。
「もしもし半ちゃん?あのーちょっと話があんねんけど」
「え!なんでしょう??」
「新しいCD出すんやけど、タイトルにONEって使わせてもらいたいんやけど、ええかな?」
ONEという言葉が僕のものみたいになってたようで慌てて
「全く問題ないです!いやでもほら、あのバンドとかこのバンドにもONEって曲ありますし…!」
「…あ…まぁ…そうやな(照)」
いらん事言ってしまったなぁと思いつつも、わざわざ電話をいただけて本当に嬉しかった。
題字の話に移ろう。
この“ONE”という題字、皆さんもご存知のあの横山健さんに描いていただいたものだ。
Ken Bandを初めて撮らせていただいたのは2012年7月、盛岡CHANGE WAVE。
その日はDRADNATSを撮りに行っていた。
それ以前はライブハウスで挨拶をさせていただいたりしていたが、
会場につくやいなや、PIZZA OF DEATHの物販担当FTCさんに
「あれ?半ちゃん何しに来たの?DRADNATS撮ってウチの社長撮らないの??」という恐ろしいフリに
僭越ながら、そして恐縮ながら応えさせていただいた結果だ。
DRADNATSのヤマケンさんに「というワケなので横山さん紹介していただいて良いですか…」
と、言うと「え?でも健さん半ちゃんの事知ってるでしょ??」と言われつつ、
「いや一応ね…改めて…(滝汗)」と言ってリハーサル終わりの横山さんにお話させていただき、
快くOKをいただいて、それが今日まで至っている。
Ken Bandの前に2011年のAIRJAMでHi-STANDARDのKENNY(愛をもって敬称略)を撮らせていただいたのだが、
ヘタクソながらもギターキッズの僕には改めて恐縮と興奮のスリルを味わわせていただいている。
2011年、PIZZA OF DEATHは東北を巡るフリーライブツアーを行った。
その名も「We Are Fuckin' One Tour」。
背中にこの言葉の描かれているTシャツを目にしたことがきっと皆さんもあるだろう。
会場でそのTシャツを販売し、その売上げで東北をフリーライブするというものだった。
このツアーのAIR JAM 2011直前の八戸ROXXと久慈UNITYへ出演したdustboxを撮りに行っていて
「We Are Fuck`n ONE Tour」の熱量と想いを今でも覚えている。
東日本大震災は僕達の価値観を変えた出来事だった。
色んな事を気付かされた出来事でもあった。
SLANG KOさん、BRAHMANのメンバー、そして健さん。
憧れの方々が人としてPUNKSとして現地で活動していった事に呼応した。
東北ライブハウス大作戦も然りだ。
「We Are Fuckin' One」という言葉はとてもすんなり僕には入ってきた言葉だった。
今こそ一つにならないでいつやるんだ。そう思わされた。
写真集はこの10年間の僕の撮ってきたものが凝縮されたものだ。これまでの時代も写りこんでいる。
表紙の写真が閉館したSHIBUYA-AXだったり、
今は亡きNOBの鎌田くんの写真があったり、
東北ライブハウス大作戦で造られたライブハウスでの写真がいくつもあったりする。
高校生でギターを手にした僕にはやはり健さんはギターヒーローだ。
原宿で買った大きめの数珠のネックレスしてた事もある(猛爆)。
そして、俺もそういう気持ちはあるよと言われたらもちろんそうでしょう、とも思うが
今こそ一つに、という今「ONE」という文字を描いて貰いたかったのは健さんだった。
横浜バンド7バンドで東北4ヶ所を巡る「爆裂ツアー」
宮古カウンターアクション公演前日の2013年6月28日、僕は渋谷 CLUB QUATTROにいた。
その日はKen Yokoyama×The Birthdayの2マン。
青春時代ド直球のヒーローが二人いる物凄い2マン。
終演後、沢山の来客の対応をする健さんの横でタイミングを見計らって話しかけてみた。
「この10年間の集大成である写真集を作ろうと思っています。
是非題字を健さんに描いていただきたいんです。
タイトルは“ONE”にしたくて、この文字を今描いて欲しいのは健さんなんです。」
恐れ多くも…とも思ったし、聞くだけ言うだけはタダ。正直、ダメモトだった。
でも答えは「OK、何でも相談してくれよ。」だった。
そしていただいた言葉に頭が真っ白になるほど嬉しかった。
このお願いをさせていただいた時、唯一の僕なりの条件を健さんに提示させていただいたが、
それはいつか明かせる時までこの場では控えさせていただく。
その条件が響いて「そんなに言うならやってみろ」という想いなのか、
それとも若手を応援する気持ちからなのか…
いや、そんな事だけでは快諾いただけないと思うが、健さんからOKをいただくことが出来た。
随分な気持ちを叩きつけさせていただいた5分ほどの時間だったが、願いは叶った。
機材を片し、会場内を出る時には宮古へ向かうバスの出発時間が迫っていて
談笑をしている皆さんに挨拶をし、ギリギリの時間で会場を後にした。
頭の中はもう題字の事で頭がいっぱい。
池袋に着き、盛岡行きの夜行バスに乗る予定だったのだがバス停が全く見当たらない。
そして目印のヤマダデンキが2つある。
ここまでで検討ついたと思うが、そうこうしている内にバスの発車時間が過ぎ、
気がついたら目の前を盛岡行きのバスが颯爽と走り抜けていった(爆)
バスの軽快な後姿になんとも情けなく、悲しい気持ちになったが、
そんな事どうでも良かった。
とても大きなことが一つ決まった夜だったのだから。
(横浜バンドが集結していた盛岡のホテルには翌朝移動して出発時間の3分前に到着w)
それから2週間ほど経った頃、PIZZA OF DEATHの方からメールが届いた。
そのメールには健さんが描いてくれた3パターンの文字が添付されていた。
その中からまさにイメージ通りの一つを選出させていただき、表紙の題字にさせていただいた。
後日「これにしました!」とご本人に伝えると
「あーこれね。一番普通のね。3パターン目のとか結構一生懸命に描いたのよ?」と言われ
健さんなりの茶化しと本気の混じったコメントに鬼のような恐縮をしつつも
でもそれがデザイン的なハマり度と、そして一番のイメージ通りだったので!と伝えると
分かってるよ、という笑顔をいただけて一安心した(爆汗)。
これが題字“ONE”にまつわるエピソードだ。
CDジャケットやセットリストに書かれた「あの文字」が僕の写真集のタイトルを飾っている事が
心から嬉しく、そしてとても誇らしく思っている。
写真集の表紙は写真集の顔だ。どんな一冊かを表すものでもある。
dustboxのあの写真と、健さんの題字、そして僕の名前。
表紙のデザインが決まった時点で満足度は物凄かった。
この表紙のフォトTeeを東北ライブハウス大作戦へのチャリティーTシャツとして写真展会場と
Showcase Printsで販売させていただき、
これを書いている時点Sサイズが残り1枚のみ残っている。
もしこれを読んでSサイズを着ていてお財布に余裕のある方がいたら是非ご購入いただけたらと思う。
http://www.showcase-prints.com/?pid=65715483※完売しました!ご協力ありがとうございます。表紙だけでここまで語ってしまったので、まだそれぞれのバンドについてのエピソードがあるのに
随分ハードルがあがってしまった感が半端ではないし、
あと25バンド分コンプリートするまでいつになるかわからないが
焦って書いても文章に込められないので遅筆はご勘弁いただきく思う。
ブログのテーマを「写真集“ONE”」に設定したので、
気付いた時にここに来ていただいて、ブログテーマで表示していただけたら
ダイレクトに表示されるので是非。
次回は「写真集“ONE” 解説 -dustbox編-」です。
■写真集“ONE”
http://www.showcase-prints.com/?pid=64583981(写真集詳細・ご購入はこちらから)