今、一番読みたい本。
この間、ベストハウス123でやっていた記憶喪失になった坪倉優介さんという人の話。
最初は見てなかったから詳細は曖昧だけど…
坪倉さんは大学時代、事故に合い一命を取り止めたが記憶をいっさいがっさい無くしてしまった。
家族もわからなければ自分すらわからない。
出来事や昔の記憶も友達の記憶さえもない。
母親のサポートの元、生活をしていくが出来事や人物の記憶だけでなく坪倉さんは『行動』の意味も記憶からなくなってしまっていた。
今、私達が当たり前にすること行動1つ1つがわからない。
ご飯を食べること、食べるとはどういう意味ですか?食べるのはどうやってやるんですか?
歯を磨くのはなぜ?
虫歯になるのはなぜ?
虫歯とは何か?
ある物を見て
『開けると白い煙がもくもく立ってピカピカ光るものがあって、これは一体なんだろう?』
こう表現したという。
これは炊飯器を開けた時に見た白いご飯粒の事だったらしい。
日常生活が常にそういった疑問だらけの日々で、母のすすめもあり大学に復学するも…
毎日、紙に書いた地図を見なければ学校に行けない。
赤信号の意味がわからないので止まれないし止まらない。
授業にいたっては何を言ってるかサッパリわからなかったので、黒板に書かれた文字をただ記号のようにして書いたという。
そんな感じなので大学時代の友達にもからかわれたりして、学校に行かなくなってしまった。
「眠りなさい」と言われなければ、眠ることもせず3日も4日も起きていたし、
ご飯も食べずに過ごす事もあったと言う。
「お風呂に入りなさい」と言われれば、その温度が水だろうと極度に熱かろうと「それがお風呂で、これに入るのがお風呂」だと思い、
水が冷たく凍えようが、お湯が熱湯で体が赤くなっても普通の事だと思い入っていたらしい。
私達が自分の小さい頃の昔のアルバムを見ると、記憶はなくてもなんとなく懐かしい気持ちになるが…
坪倉さんは全く知らない、何も感じない写真でしかなかったそう。
でも、ある時にアルバムを見ていたら涙は出ないが胸が温かくなるようななんとも言えない気持ちになった時があった。
それは、お母さんに抱っこされている自分の写真を見た時に、『お母さん』『僕のお母さんだ』という認識がよみがえった。
それをキッカケに少しずつ脳になんらかの変化が現れ記憶を戻していった。
というより、1から色んな事を覚えていったのかもしれないが普通になってきたのかもしれない。
喜怒哀楽の表現も知らなかった坪倉さんは、お母さんの表情が気になったという。
笑顔のお母さん。
見る度に、明るい気持ちになっていい顔してるなって思っていたらしい。
そして鏡を見て笑顔の練習をした事もあったとか。
ある時、自分の生きてる意味がわからなくなった時に家出を繰り返していた夜、お母さんの涙を見て思ったそう。
『この目から流れている物は何だろう?でも胸がとても苦しくなって、お母さんにこんな思いをさせてはいけない事だ。こんなに胸が苦しくなるような思いをするのは、きっと良くない事なんだ。二度とこうゆう思いはしたくない』
と、家出をしたり、自暴自棄になったりすれのをやめたという。
坪倉さんのそういった、当たり前ではないところからの不器用な素直な感情の表現が、純粋でストレートな言葉で口に出してくれるから胸が熱くなる
人間はいつから、何もかもが当たり前になってしまい、本当は心の奥で気付いてる感情を時に気付かないフリをして過ごして来たのかと思う。
そして茂木さんが言っていた言葉も印象的だった。
坪倉さんは今、仕事をしていたり何をしていても、愚痴や不満もマイナス思考も何もないと言った事に対して。
坪倉さんは命を落としそうになって、記憶を無くしてしまって人より何倍も大変な思いをしたからこそ、
嫌な感情の部分も神様が無くしてくれたんではないかと。
深イイ
なんとなく、わかる気がする。
私も怪我をし、骨折二ヶ所と、鼻や頭蓋骨や骨盤にヒビが入って、脳挫傷もあり…
入院して2ヶ月、足が思うように動くまで計10ヶ月くらい不自由に過ごしていたからか、
10ヶ月、仕事もせずに退屈に過ごす時間があったからか…
しばらく何の仕事をしても愚痴1つなく、何もかもが楽しく過ごせていた
今はヨガと出会ったからなのか、人に対してもマイナスの感情をあまり抱かなくなった
外から入る、マイナスの言葉だったり、愚痴や不満を聞いても一緒に言いたくない話したくないと思うようになった
大変な思いをした分、嫌な物を取り除いてもらえたのかもしれない
―*―*―*―*―*―*―*―
とかいって、最近は人のも仕事のも愚痴や陰口みたいな事を言ってる気もする…
働ける事に感謝
仕事ができる体に感謝
接してくれる人に感謝
退院した頃の、綺麗な純粋な気持ちを思い出せるから坪倉さんの話は忘れないようにしようと思う。
本を探して買おう。
この間、ベストハウス123でやっていた記憶喪失になった坪倉優介さんという人の話。
最初は見てなかったから詳細は曖昧だけど…
坪倉さんは大学時代、事故に合い一命を取り止めたが記憶をいっさいがっさい無くしてしまった。
家族もわからなければ自分すらわからない。
出来事や昔の記憶も友達の記憶さえもない。
母親のサポートの元、生活をしていくが出来事や人物の記憶だけでなく坪倉さんは『行動』の意味も記憶からなくなってしまっていた。
今、私達が当たり前にすること行動1つ1つがわからない。
ご飯を食べること、食べるとはどういう意味ですか?食べるのはどうやってやるんですか?
歯を磨くのはなぜ?
虫歯になるのはなぜ?
虫歯とは何か?
ある物を見て
『開けると白い煙がもくもく立ってピカピカ光るものがあって、これは一体なんだろう?』
こう表現したという。
これは炊飯器を開けた時に見た白いご飯粒の事だったらしい。
日常生活が常にそういった疑問だらけの日々で、母のすすめもあり大学に復学するも…
毎日、紙に書いた地図を見なければ学校に行けない。
赤信号の意味がわからないので止まれないし止まらない。
授業にいたっては何を言ってるかサッパリわからなかったので、黒板に書かれた文字をただ記号のようにして書いたという。
そんな感じなので大学時代の友達にもからかわれたりして、学校に行かなくなってしまった。
「眠りなさい」と言われなければ、眠ることもせず3日も4日も起きていたし、
ご飯も食べずに過ごす事もあったと言う。
「お風呂に入りなさい」と言われれば、その温度が水だろうと極度に熱かろうと「それがお風呂で、これに入るのがお風呂」だと思い、
水が冷たく凍えようが、お湯が熱湯で体が赤くなっても普通の事だと思い入っていたらしい。
私達が自分の小さい頃の昔のアルバムを見ると、記憶はなくてもなんとなく懐かしい気持ちになるが…
坪倉さんは全く知らない、何も感じない写真でしかなかったそう。
でも、ある時にアルバムを見ていたら涙は出ないが胸が温かくなるようななんとも言えない気持ちになった時があった。
それは、お母さんに抱っこされている自分の写真を見た時に、『お母さん』『僕のお母さんだ』という認識がよみがえった。
それをキッカケに少しずつ脳になんらかの変化が現れ記憶を戻していった。
というより、1から色んな事を覚えていったのかもしれないが普通になってきたのかもしれない。
喜怒哀楽の表現も知らなかった坪倉さんは、お母さんの表情が気になったという。
笑顔のお母さん。
見る度に、明るい気持ちになっていい顔してるなって思っていたらしい。
そして鏡を見て笑顔の練習をした事もあったとか。
ある時、自分の生きてる意味がわからなくなった時に家出を繰り返していた夜、お母さんの涙を見て思ったそう。
『この目から流れている物は何だろう?でも胸がとても苦しくなって、お母さんにこんな思いをさせてはいけない事だ。こんなに胸が苦しくなるような思いをするのは、きっと良くない事なんだ。二度とこうゆう思いはしたくない』
と、家出をしたり、自暴自棄になったりすれのをやめたという。
坪倉さんのそういった、当たり前ではないところからの不器用な素直な感情の表現が、純粋でストレートな言葉で口に出してくれるから胸が熱くなる
人間はいつから、何もかもが当たり前になってしまい、本当は心の奥で気付いてる感情を時に気付かないフリをして過ごして来たのかと思う。
そして茂木さんが言っていた言葉も印象的だった。
坪倉さんは今、仕事をしていたり何をしていても、愚痴や不満もマイナス思考も何もないと言った事に対して。
坪倉さんは命を落としそうになって、記憶を無くしてしまって人より何倍も大変な思いをしたからこそ、
嫌な感情の部分も神様が無くしてくれたんではないかと。
深イイ
なんとなく、わかる気がする。
私も怪我をし、骨折二ヶ所と、鼻や頭蓋骨や骨盤にヒビが入って、脳挫傷もあり…
入院して2ヶ月、足が思うように動くまで計10ヶ月くらい不自由に過ごしていたからか、
10ヶ月、仕事もせずに退屈に過ごす時間があったからか…
しばらく何の仕事をしても愚痴1つなく、何もかもが楽しく過ごせていた
今はヨガと出会ったからなのか、人に対してもマイナスの感情をあまり抱かなくなった
外から入る、マイナスの言葉だったり、愚痴や不満を聞いても一緒に言いたくない話したくないと思うようになった
大変な思いをした分、嫌な物を取り除いてもらえたのかもしれない
―*―*―*―*―*―*―*―
とかいって、最近は人のも仕事のも愚痴や陰口みたいな事を言ってる気もする…
働ける事に感謝
仕事ができる体に感謝
接してくれる人に感謝
退院した頃の、綺麗な純粋な気持ちを思い出せるから坪倉さんの話は忘れないようにしようと思う。
本を探して買おう。