長崎に旅行の3〜4日目
九十九島のホテルを出発して昨日乗ったバスの逆ルートで佐世保駅へ。
佐世保駅から電車で長崎駅に向かう。
長崎では中華街の中のカンデオホテルズに宿泊。
ホテルに荷物を預けて長崎市内では1番行きたかった大浦天主堂へ最初に行った。
その後、大浦天主堂すぐ近くのグラバー園に行った。
グラバー園から造船所がよく見えて、大変迫力のある景色だった。
グラバー園の中の地面にハートの石があった。
日暮れ後はバスとケーブルカーで稲佐山へ行き長崎の夜景を見た。
これは失敗、日が暮れる前「薄暮」の時間に稲佐山へ登っているべきだった。
明るさが刻々と暮れていく、そしてライトが点灯していく、その様を見るべき。
ここから大浦天主堂のパンフレット内容を少し・・
1582年本能寺の変の後、実権を握った豊臣秀吉は、始めキリスト教に好意的だったのに、1587年次第に拡大するキリスト教に不安を感じ、博多で宣教師の追放令を出し国外退去を求めた。
しかし南蛮貿易には執着心があったため、追放令は次第に骨抜きになっていった。
その頃1596年フィリピンへ向かっていたスペイン船が台風で土佐に漂着。
その船員が「スペインは世界の強国。宣教師を派遣して現地人を改宗させ、占領する」旨を話したため、激怒した秀吉は宣教師らを処刑するよう命じた。
キリスト教の修道士、信者ら24人が捕まり、京都や堺で引き回され長崎まで真冬の道を歩かされた。
途中2人が自発的に加わり、1597年長崎で十字架にかけられた。
この大規模な殉教は西洋に伝わり1627〜1629年に26人は福者となる。
その後1862年に聖人に列せられた。
1864年に創建された大浦天主堂はこの日本26聖人に捧げられた。
秀吉の死後、徳川幕府は禁教令を出した。
隠れキリシタン、踏み絵、鎖国、出島、等等、次々と、学生時代の社会科の時間に出てきた言葉が書かれている。
悲しい歴史が、大浦天主堂に併設されているキリシタン博物館に沢山紹介されていて胸が痛くなる。
長崎といえば原爆が真っ先に思い浮かぶけど、それより更に前から辛い悲しい歴史があることを再確認した。
翌日は長崎の平和公園、浦上天主堂。
原爆資料館は怖くて行けなかった。
見なければならないのだろうけど・・・
その昔20代後半に両親と広島に行き、原爆資料館に入った。
その時、母がとても嫌がったが、歴史を見たほうがいいよと促して一緒に入館した。
私も年齢を重ね、戦争や痛みや、それぞれに人生があったことのリアルさが、今回まさに私も母と同じ気持ちになった。
入りたくない・・
あの時の母に申し訳ない。
その後、市内のめがね橋など見て中華街で昼食を食べ、ホテルに戻り荷物をピックアップして空港に。
めがね橋の壁面にもハートの石が埋め込まれてた!!
今の長崎は西洋文化の建築も多くハイカラで素敵、地形や海岸の様子も私の住む千葉県とは全然違う。
観光するところが多くあり、食べ物も美味しい。
でもそれだけでは無い、歴史を思い、深く考える旅行になった。











