【チチカカ湖の冒険】(ジャパラリア・エッセイ2026年4月号)
ナスカの地上絵を見た後、チチカカ湖に向かった。そこは世界で最も標高の高い場所にある湖(約3,800メートル)で、インカの初代皇帝カパックは天からここに降り立ったという。 夜行バスでナスカを出発し、中継地点となるアレキパに到着すると、美しい街並みの向こうにミスティ山(5,822m)が見えた。その姿かたちはまるで富士山のよう。地元の言い伝えによると、月が地球から分離したとき、月はアレキパを置き忘れて嘆いたという。 アレキパに数日滞在して高地に慣れた後、チチカカ湖行きのバスに乗った。バスはくねくねとした山道をゆく。思えばリマを出発してから1,000キロ以上もバスに揺られているのに、ため息が出るほど雄大なアンデス山脈がこれでもか、これでもかと続いている。険しい峰々を越えるにつれ、それまでの乾季が雨季となり、乾いた岩山が緑の生える山に変わった。 チチカカ湖畔の街プーノに到着した私は、ウロス島に向かう舟に乗った。島といっても水生植物を積み重ねたもので、小さな浮島があちこちに浮かんでいる。私はケチュア族の家族が営む水上コテージに宿を取った。 湖に面したテラスには簡易ベッドがあった。枕に頭をつけて横たわると、真っ青な天蓋の下、大きな入道雲がゆったりと動いている。さざ波すら聞こえぬ、音のない世界。いつしか私は深い眠りに落ちていた。 どれだけ時が経ったろう。午睡から目覚めた私は沐浴のつもりで湖に飛び込んだ。しかし足がつかないほど深く、氷のように冷たい水。湖から上がっても温水シャワーが出ず、歯がガチガチ鳴って止まらない。コカ茶を何杯も飲み、湖で獲れた鱒のグリルを夕食に食べた後、ようやく身体の震えは引きはじめた。 翌朝、プーノに戻ってタクシーをチャーターした。ボリビア国境に近い岩窟遺跡、アラム・ムルに向かうのだ。そこは「次元の扉」や「神々の門」と呼ばれる聖地である。 伝説によると、その昔、黄金の円盤が空から落ちてきて、インカの祭司が正面扉の小さな窪みにそれを置くと、異次元へ続く岩の扉が開いたという。私は扉の向こうに広がる未知の世界に参入したいと思った。 タクシーは湖岸の一本道を飛ばした。外側から眺める湖は、ウロス島から見た湖よりいっそう輝いてみえる。青い湖、白い浮雲、緑の草原、そして黄色い菜の花。天国のような光景がいつまでも続いた。 アラム・ムルは人里離れた草原の中にあった。石門を潜って緩やかな砂利道を登っていくと、褐色の大きな岩の塊が出現した。神殿のような正方形の一枚岩を、もこもことした巨大な奇石が覆いかぶさっている。 岩の前にシャーマンの男性が立っていたので安堵した。私は聖なる岩に祈りを捧げる儀式をお願いした。するとコカの葉を3枚渡され、それぞれの葉に願いを込めて、草原に置いてくるように言われた。愛、平和、霊性という言葉がとっさに浮かび、葉が風で飛ばされぬように小石を持ち上げると、大きな黒蟻が二匹飛び出してきた。 岩の前に戻ると、まずは右手の溝に全身を入れるように言われた。その溝中にはアンデスの先住民が信仰する「母なる大地」の神、パチャママのエナジーが流れていると言う。ちょうど身体がすっぽり入る窪みで、そこに顔と身体を押し付けると、岩が発するビリビリするような磁力に包まれ、放心状態になってしまった。 次に、正面扉の前でひざまずき、扉の上の丸い窪みに眉間をこすりつけた。異次元に参入できるよう祈りを捧げるのだ。そして最後に、父性を象徴する天の神、パチャカマックのエナジーが流れる左手の溝に両手をあげて入った。この間ずっと、シャーマンは私の背後に立ち、ケーナを吹いたり、マラカスを振ってくれていた。 すべての儀式が終わった。しかし次元の扉は開かず、どんな神秘も降りてこなかった。私はそれを少し残念に思った。きっと私の思念がそうさせたのだろう。神秘は一切の願望がない時にしか起こらないのだから。 ところが宿に戻ってハっとした。儀式の写真を見ると、心にしみるケーナの音が呼びよせたのだろうか、肉眼では見ることのできない紫の虹が現れていたのだ。