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(新)やすのブログ
今後ともよろしくお願いいたします。
突然ですが、ブログの引っ越しをしました。たった1年と数か月分の期間で更新頻度も少ないので、最初は楽勝だと思っていました。ところが、実際に引っ越し作業をやってみると、現実は意外に大変だったのです。
ところで、なぜ今ブログの引っ越しなのか?実は1年前にエントリーを書き始めた時、それ以前にたまたま取得した無料のブログサイトのアカウントを流用し、何も考えずにスタートさせてしまいました。現在まで約70件の記事を書いてきたのですが、使ってみると、その機能の一部にに不満を抱くようになりました。例えば、無料のブログサイトでは不要な広告が入ったり、レイアウトが思うようにカスタマイズできなかったり、アクセス解析が思うようにできなかったりと、痒いところに手が届かず、何かと不自由だったのです。
また、毎日ブログを更新していて、読者の数も多いサイトでは、ほとんど有料の専門のサイトで運営されており、レイアウトもシンプルで読みやすく、ブランド化されていてとても魅力的でした。自分のブログの内容と更新頻度はさておいて、まずは自分も形から入ってみようという考えが、背中をそっとあとを押してくれました。
有料のブログに乗り換えるにあたり、いろいろと手探りでスタートしたものの、最初は戸惑うことばかり。その中で、オリジナルドメイン(****.co.jpの****の部分)の取得や、レンタルサーバーのホスティングサービスの契約、そしてブログのレイアウトの構成と記事の引っ越しの作業は、どれも私にとって初めての経験でした。特にホスティングサービスの仕組みについては、業務の経験上知識としては知っていましたが、実際に自分で契約をして設定をすることにより、既存の知識に加えて経験としての裏付けができました。また、実際の記事の引っ越しでは自動化できる部分とそうでない部分とがあることがわかり、ブログの引っ越し屋というようなニッチなビジネスが存在することも知りました。(自分はすべて独力で移動)
そんなわけで、やはり何事も自分で経験してみることが大事だという、きわめて基本的な原則を再確認することができました。語学も投資も自分の専門分野の勉強も、自分に必要なことのすべては、書籍や新聞やWebからの情報取得に膨大な時間を使う以前に、まずは自分で小さな一歩を踏み出してみることが大事なのだと思います。そしてそれが経験と自信になり、更に深いレベルでの知識を吸収するスピードを深めてくれるはずです。
新しく生まれ変わったサイトはこちらです。今後ともよろしくお願いします。
(新)やすのブログ
ところで、なぜ今ブログの引っ越しなのか?実は1年前にエントリーを書き始めた時、それ以前にたまたま取得した無料のブログサイトのアカウントを流用し、何も考えずにスタートさせてしまいました。現在まで約70件の記事を書いてきたのですが、使ってみると、その機能の一部にに不満を抱くようになりました。例えば、無料のブログサイトでは不要な広告が入ったり、レイアウトが思うようにカスタマイズできなかったり、アクセス解析が思うようにできなかったりと、痒いところに手が届かず、何かと不自由だったのです。
また、毎日ブログを更新していて、読者の数も多いサイトでは、ほとんど有料の専門のサイトで運営されており、レイアウトもシンプルで読みやすく、ブランド化されていてとても魅力的でした。自分のブログの内容と更新頻度はさておいて、まずは自分も形から入ってみようという考えが、背中をそっとあとを押してくれました。
有料のブログに乗り換えるにあたり、いろいろと手探りでスタートしたものの、最初は戸惑うことばかり。その中で、オリジナルドメイン(****.co.jpの****の部分)の取得や、レンタルサーバーのホスティングサービスの契約、そしてブログのレイアウトの構成と記事の引っ越しの作業は、どれも私にとって初めての経験でした。特にホスティングサービスの仕組みについては、業務の経験上知識としては知っていましたが、実際に自分で契約をして設定をすることにより、既存の知識に加えて経験としての裏付けができました。また、実際の記事の引っ越しでは自動化できる部分とそうでない部分とがあることがわかり、ブログの引っ越し屋というようなニッチなビジネスが存在することも知りました。(自分はすべて独力で移動)
そんなわけで、やはり何事も自分で経験してみることが大事だという、きわめて基本的な原則を再確認することができました。語学も投資も自分の専門分野の勉強も、自分に必要なことのすべては、書籍や新聞やWebからの情報取得に膨大な時間を使う以前に、まずは自分で小さな一歩を踏み出してみることが大事なのだと思います。そしてそれが経験と自信になり、更に深いレベルでの知識を吸収するスピードを深めてくれるはずです。
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勤務先で人員削減の発表があり、東京オフィスに勤務している数名が、一斉に会社を離れることになりました。日本の景気が数値上では上向いてきたとは言え、一部の製造業を除き、ほとんどの現場では、それを実感できるようなレベルにはほど遠いのではないでしょうか。
私の会社でも、今年に入り少しずつ明るいニュースも入ってきてはいますが、決してゆとりがあるような状況ではありません。会社は、リーマンショックの直後から、全従業員に対しコスト削減の意識を徹底して持つように要請し、それまでの経費に対する常識は、その後ほとんど通用しなくなってしまいました。
テクノロジーの発達により、ビデオ会議を使用して、海外のオフィスや顧客とリアルタイムで会議を開くことも増え、その結果大きな出張費を削るところからスタートし、すべての出費が厳しくチェックされるようになりました。徹底的な固定費の削減に努めるため、会社も引っ越しや組織変更を繰り返し、やっとかすかな希望の光が見え始めた直後の出来事でした。
会社が大規模な人員削減を発表したのは、実は初めてではありません。最初は忘れもしない2009年の冬。いつもと変わらない寒い日の朝、出社後すぐに上司から呼びだされ、その日に人員削減があることを知りました。(上司も前日の夜に知ったそうです) その中には自分と同じ部署の同僚数名が含まれており、あまりのショックで愕然としたことを覚えています。
今回のニュースを知った時に、以前と同じようにショックではあったものの、あまり大きな驚きはありませんでした。景気に左右される業界なので、いつ何が起きてもおかしくないという気持ちは常に持っていましたし、今でもその気持ちは変わらずにいます。それよりも、今まで尽くしてきた会社を離れていかなければならない仲間たちに対して、「お疲れ様」という心からの言葉と、今までいろいろな仕事で協力をしてくれて「ありがとうございました」という感謝の気持ちが、心の中から沸々と湧き上がってきて、なんとも言えない感情に耐えるのに必死でした。
会社からその旨を伝えられた人たちは、その後あまり長時間会社にいることは稀で、自分の荷物の整理と、簡単な引継ぎを行い、すみやかに会社を出るように伝えられています。しかしその人が、黙って資料や私物の整理をしているときに、残されたチームメンバーが通常の業務を続けなければならず、オフィス全体がとても微妙な雰囲気です。誰もが必要以上のことは話さず、ただでさえ静かなオフィスが、より一層静まり返ってしまいます。今まで良好な人間関係を築けていても、この時ばかりはお互いに複雑な感情を持ってしまうのは、仕方がないことだと思います。
今回に限らず、今まで行われた組織変更に伴う人員整理は、会社のマネージメントチームとしても苦渋の決断だったと思います。やり方はドライですが、離れていく人たちに対して、最大限の尊厳を持って接しているのがわかりました。そしてこれは自分の業界で働いていれば、特別なことではないのです。その時のビジネスの状況により、時には経営陣が厳しい決断をしなければならないのは、理解できます。同時に、自分の中では複雑な感情が燻ったままです。誤解を恐れずに言えば、残された従業員たちの現在の安定は、会社を去って行った人たちの犠牲の上に成り立っているということを、心のどこかで感じているからだと思います。
いつの日からか、このような出来事は、日本ではもはや大きなニュースではなくなってしまいました。しかし、それが現実に自分の目の前で起こると、やはり切なくなってしまいます。会社を守るために従業員を削減しなければならない。頭では分かっていることですが、従業員がいなければ成り立たないのも会社だと思うと、なんだか複雑な気持ちです。そんな日々ですが、少しずつ春の気配も感じられる季節になってきました。「冬きたりなば春遠からじ」自分はできることを毎日こつこつとやり続けて、春を待つつもりです。
ここ数か月、自分が従事しているITエンジニアとしての仕事が、近い将来にコモディティー化してしまうという現実を、考えない日はありません。先日このブログにも書きましたが、自分の周りの状況の変化を見ていると、この運命から逃れることができないと認識せざるを得ません。そしてその影は、すでに兆候として目の前に現れてきています。
勤務先のIT業務の一部を、インドの会社にアウトソーシングを始めたのが4年前。それ以前にグローバルで2000人ほどいたITのメンバーが、一夜にして40%も削減され、その直後にアウトソースのソリューションが導入されました。そしてその規模は毎年拡大してきています。
更に、近々変更予定になっている社内プロセスでは、ユーザにコンピュータ関係の問題が起こった場合、例え隣に私が座っていたとしても、ファーストコンタクトをアメリカのヘルプデスクにすることが求められるようになるということです。今までであれば、東京オフィスの従業員たちは、PC関連の問題があるとすぐに私たちのチームにコンタクトをすることができたのですが、現在グローバルスタンダードという名の元に、制度の変更を求められているのです。
アメリカのチームが電話で解決できない問題だけを、各オフィスのITにエスカレーションするという仕組みは、日本語での素早い対応に慣れているユーザにとって、最初は不評でしょう。しかしそれも、慣れてしまえば何の問題もなくなっていくかもしれません。会社の説明では、私たちのチームが、本来の業務やITのプロジェクトに専念できるようにするための決定事項だということですが、経営の合理化によるコスト削減を同時に狙っているのは明らかです。加えて今後クラウドベースのシステム導入が加速すると、それに反比例するように、私たちのITエンジニアのテリトリーは縮小していくものと思われます。
そんな状況ですから、自分や周りにいつ何が起こってもおかしくないと思っています。そういう覚悟を持っていれば、万一の事があったとしても自分を責める必要もないし、過度に自信をなくしてしまうこともありません。ただし、いつかきっとやって来るだろうその日ための準備は、今からしておいたほうがいい。それだけは、何度強調してもしたりないくらいです。
とは言っても、これからのグローバル競争社会の中で、自分の市場価値を最後まで高く保ち続けていくためには、ただやみくもに努力をしても報われないと思っています。努力や根性の精神論だけで、その厳しい世界を乗り越えていくことは、到底私にはできません。それよりもまず最初に考えなくてはいけないことは、自分はどこで戦うのかというポジショニングだと思います。自分の強みや世の中に貢献できることに、好きなことや興味のあることをバランスよく混ぜ合わせ、最終的にどういう状態になっていればハッピーなのかということを理解して初めて、自分には何が足りず、それをどう伸ばしていくのかという戦略が生まれてくると思うのです。
大げさに聞こえるかもしれませんが、私が探しているものを一言でいえば、「自分の存在価値とは何なのか?」ということです。強みは何で、どんな分野でオンリーワンになれるのか?他人を幸せにしてその対価として報酬を得ることができ、更に自分も満足できる生き方をするためには、今どうあるべきなのか?という究極の問いに対する答えです。そしてそれは、「お金の心配をしなくてもいい生活」とか、「仕事のストレスからから解放される未来」ということでないはずです。それらはあくまでも、何かををやり遂げた後に自ずとついてくる結果であり、それ自体が目的ではありません。
忙しい日々を過ごしていますが、走り続けながらも真剣に考えていく必要があります。私にとって残された時間は、それほど残っていないように思えるのです。
我が家でインターネットを使って買い物をする割合は、他の家庭に比べるとかなり多い方だと思います。最近はポイントシステムの都合上、楽天ではなくYahooショッピングを使うのことが多いのですが、なんと言っても飛びぬけて利用回数が多いショップがAmazonです。最近送料の見直しが行われたものの、豊富な品ぞろえと安心できるブランド、そしてスケールメリットを生かした勝負価格で、家電からおもちゃまで他社を圧倒しているような印象を受けます。
Amazonと言えば、書籍のラインアップもダントツ。小さい本屋で見つけることができない書籍や、出版からしばらく経ってしまった本でも、たいていは送料無料で手に入れることができます。ですから、買う本のタイトルが決まっている場合や、複数の本を一度に注文するような時には、高い頻度でAmazonを利用しています。一度Amazonで本を買い出すと、その後は自動的にオススメ本として、その著者の他の作品や、関連するジャンルの新刊本を紹介してくれる機能もあり、情報収集の面でも役に立ちます。それでも、私は少し時間ができると、近くの本屋まで足を延ばします。
いろいろな書店をのぞいてみると、実はそれぞれに個性があることがわかります。同じ新刊コーナーでも、各店が推したい本が違ったり、手作りのポップで購買意欲をそそるのが上手なところもあれば、文庫本の取り扱いがメインの駅ナカ書店もあったりします。
地域によっても取り扱っている本が様々で、勤務先周辺の大きな系列店の書店では、ビジネス関連の本でメインフロアをすべてを埋め尽くしているところが多いのに対し、、自宅の周辺ではベストセラーや話題の本がメインだったりと、それぞれのエリアでのニーズが違うことがわかります。
そして本屋の中で数十分過ごすだけで、今まで全く興味のなかった分野の本のタイトルに出会って思わぬ発見をしたり、平積みされている本のスペース配分からどの本が売れているのかを感じ取ったり、タイトルを眺めて時代の流れやトレンドを読みとったりすることもできます。これは逆にオンライン上ではできないことで、自分にとってはとても興味深く、意味のあることだと思っています。
例えば、最近私が書店から得たキーワードは、中国論、日本経済(政治)、健康、AKB、円、マネージメント、生き方(働き方、死に方)などです。これらを並べてみるだけで、今の日本の抱えている問題や、人々の興味がどこにあるのかということが、ぼんやりと頭の中にイメージとして浮かんでくるのです。そしてそのイメージを頭の片隅に入れておくことによって、日々接するニュースにも、少しずつ敏感に反応できるようになってきたような気がします。
そんなわけで、昼休みやちょっとした空き時間を使って、暇さえあれば本屋に行くのが現在の私の習慣になっています。リアルな書店とオンライン書店を、うまく使い分けて快適な読書ライフが満喫できる現代に感謝です。
自分の子ども達が外で遊ぶときには、妻か私のどちらかが必ず付き添っていましたが、息子の小学校の入学をきっかけに、マンションの中庭限定で、息子を一人で外出させることがあります。こんな些細なことでも、少しずつ息子が独立していくことに対して、嬉しさと同時に寂しさも感じてしまうのは、なんとも不思議で複雑な気持ちです。
そんな親心とは関係なく、息子は、日々友達との遊びを通して、様々な社会の縮図を学んでいるようです。マンションの中庭に集まる小学生たちの中には、学年や出身幼稚園をベースにした数多くのグループが存在しているのですが、息子はそのどれにも属さず、友達を見つけては鬼ごっこやかくれんぼなどをして遊んでいます。しかしそこは子どもだけの世界。ギリやタテマエの世界は存在せず、友達とうまく遊べなかったり、たまに上級生から嫌がらせを受けているようなのです。
嫌がらせといっても、暴力行為ではありません。ただ、遊びの仲間に入れてもらえないとか、運動が苦手なのを理由に、サッカーのグループに入れてもらえないとか、そういう類のことです。ただ、息子としては、少し傷ついているのは事実で、彼なりのSOSを私たちにを送ってきているのかもしれません。
息子は純粋にそのような出来事をこちらに伝えてくるのですが、親としてはその対応に困ってしまいます。幼稚園生ならまだしも、もう小学生になったということは、自分自身で物事を解決していくことが少しずつ求められてくるからです。親が介入をして、遊びのグループに入れてもらうようにするのは簡単ですが、根本的な解決にはなっておらず、場合によってはそれが最悪の選択肢になってしまうかもしれません。これから息子が成長し社会に出れば、嫌でも目の前に大きな困難が立ちふさがることでしょう。その時までに、彼には自らの意思で問題を解決する力をつけてもらいたいというのが、私たち親の切実な願いです。ですから、むやみな介入をするのは逆効果で、私たち親の役割は、息子自身が問題を解決するためのきっかけを与え、それを手助けをすることだと思っています。
サッカーを練習して、友達を見返したいということであれば、私はとことん付き合うつもりですし、大縄跳びが苦手であれば、できるように導いてあげる。その上で、グループに入れてもらえなかった原因は、ただの友達の気まぐれなのか、それとも自分にも原因があるのかをしっかりと息子に考えてもらいたいのです。そして他人に嫌なことをされた時の気持ちを忘れず、他人を常に思いやって生きてほしいと、私は心から願っています。
もちろん、暴力やいじめを受けているということになれば、話は別です。親として子どもを守り、学校と連携をとり、再発の防止に全力を尽くすことは、言うまでもありません。しかしそうなる前に、自分の力で立ちふさがる問題を解決していく力を、学校の生活を通して、しっかりと身につけてもらいたいと思っています。
そんな親心とは関係なく、息子は、日々友達との遊びを通して、様々な社会の縮図を学んでいるようです。マンションの中庭に集まる小学生たちの中には、学年や出身幼稚園をベースにした数多くのグループが存在しているのですが、息子はそのどれにも属さず、友達を見つけては鬼ごっこやかくれんぼなどをして遊んでいます。しかしそこは子どもだけの世界。ギリやタテマエの世界は存在せず、友達とうまく遊べなかったり、たまに上級生から嫌がらせを受けているようなのです。
嫌がらせといっても、暴力行為ではありません。ただ、遊びの仲間に入れてもらえないとか、運動が苦手なのを理由に、サッカーのグループに入れてもらえないとか、そういう類のことです。ただ、息子としては、少し傷ついているのは事実で、彼なりのSOSを私たちにを送ってきているのかもしれません。
息子は純粋にそのような出来事をこちらに伝えてくるのですが、親としてはその対応に困ってしまいます。幼稚園生ならまだしも、もう小学生になったということは、自分自身で物事を解決していくことが少しずつ求められてくるからです。親が介入をして、遊びのグループに入れてもらうようにするのは簡単ですが、根本的な解決にはなっておらず、場合によってはそれが最悪の選択肢になってしまうかもしれません。これから息子が成長し社会に出れば、嫌でも目の前に大きな困難が立ちふさがることでしょう。その時までに、彼には自らの意思で問題を解決する力をつけてもらいたいというのが、私たち親の切実な願いです。ですから、むやみな介入をするのは逆効果で、私たち親の役割は、息子自身が問題を解決するためのきっかけを与え、それを手助けをすることだと思っています。
サッカーを練習して、友達を見返したいということであれば、私はとことん付き合うつもりですし、大縄跳びが苦手であれば、できるように導いてあげる。その上で、グループに入れてもらえなかった原因は、ただの友達の気まぐれなのか、それとも自分にも原因があるのかをしっかりと息子に考えてもらいたいのです。そして他人に嫌なことをされた時の気持ちを忘れず、他人を常に思いやって生きてほしいと、私は心から願っています。
もちろん、暴力やいじめを受けているということになれば、話は別です。親として子どもを守り、学校と連携をとり、再発の防止に全力を尽くすことは、言うまでもありません。しかしそうなる前に、自分の力で立ちふさがる問題を解決していく力を、学校の生活を通して、しっかりと身につけてもらいたいと思っています。
ビジネスで必須のスキルの一つは、コミュニケーション能力という事に、反論する人はまずいないでしょう。これは、ビジネスだけではなく、社会生活を営む上でも必須のスキルです。いかに専門性が優れていても、他人とうまくコミュニケーションができなければ、誰からも相手にされないということになりかねません。
私が社会人になりたての頃は、「コミュニケーションがうまい人」、イコール「誰とでも気軽に話せて、みんなから好かれている人」という印象を持っていましたが、今では、企業での人事評価としてのコミュニケーション能力というのは、それ以上のことが求められているのが当然であると認識しています。逆に言えば、誰とでも適切にコミュニケーションを取れない人は、職場では致命的なマイナス評価を与えられても、おかしくはありません。
ところで、メールでのコミュニケーションを考えた場合、宛先やccに誰を追加するのかを悩むことがよくあります。自分に届くメールには、基本的にすべて目を通すことが求められますから、逆に自分がメールを送信するときには、必要な情報だけを必要な人に厳選して送るように心がけています。読み手にとって不要な長文メールをccで送られても、混乱と怒りを招くだけだからです。しかし、今後その情報が必要になるかもしれない人をそのメールに含めるのかどうかを考えた場合、どこで線引きしたらいいのかを判断するのが結構難しかったりします。
また、メールの書き方にしても、相手に伝えたいことをはっきりと言わなければいけないものの、その伝え方をどうオブラートに包むのかということで悩むこともあります。「英語のメールはストレートでOK」というような意見も聞きますが、だからと言って歯に衣着せず、感情にまかせて言いたいことを書いても良いかと言えば、そんなことはありません。何かを依頼するにしても、少し言い回しを工夫してみたり、前後の文章を入れ替えて、論理的に判断させるように促したり、結構気を使うものです。いずれにせよ、自分の中でしっかりとした軸をつくり、そのルールに合わせてメールを送るようにすれば、少しずつメールでのコミュニケーションは上達していくと思います。
口頭でのコミュニケーションは、その場の空気やお互いの表情によって、同じことを言っても伝わり方が全く違いますから、もっと難しいと思います。先日、私と同じ部署のメンバー間で、新年早々ちょっとした衝突が起きてしまいました。その瞬間その場にいた私は、まさか自分自身が原因で、このような展開になってしまったとは全く理解していませんでした。しかし、後日両方の言い分を聞いてみると、その原因はまさに私のコミュニケーション不足にあったのです。自分の中では「ささいなことだからいちいち言わなくても良い」と判断していたことでも、相手から見れば必要な情報であったということです。そのせいで誤解が生まれ、その誤解が少しずつ膨らんでいき、最後に爆発してしまいました。
きっかけはほんのささいなことでも、それが一瞬で大きな問題になってしまうところに、コミュニケーションの恐ろしさがあると感じました。また、自分が相手のために良かれと思ってやったことも、時と場合によっては逆に作用して、誤解を生んでしまうようなことも度々あります。このようなことは、多かれ少なかれすべての人に共通して日常的に起こりうる問題だと思います。だからこそ、私たちは人間関係で悩んだり、コミュニケーションを難しいものと感じたりしてしまうことがあるのだと思います。
このような人と人との衝突は、生きていく上で避けては通れないものでしょうが、もちろん少ないに越したことはありません。一度衝突が起これば、それを回復するのにはものすごいエネルギーが必要ですし、最悪の場合、永遠にそのわだかまりを解消できないこともあるかもしれません。そのような悲惨な状況をできるだけ起こさないようにするためには、常に相手の立場で物事を考えながら、自分が行動するしかないと思います。口で言うのはとても簡単ですが、これを意識して日々実行するのは1日に中国語を15分練習し続けるどころのレベルではありません。
相手に媚びる必要も、無意味にへりくだる必要もありません。ただ、まずは相手の立場になって物事を考えてみる。その上で自分の行動を決める。ほんの少しの思いやりの気持ちを加えるだけで、その人の周りにはたくさんの応援してくれる人が集まり、その結果いろんなチャンスが引き寄せられるのだと思います。自分はその領域に一生かかっても到達できないかもしれませんが、そんなコミュニケーションの達人たちに少しでも近づきたいなと考えながら、最近過ごしています。
私が社会人になりたての頃は、「コミュニケーションがうまい人」、イコール「誰とでも気軽に話せて、みんなから好かれている人」という印象を持っていましたが、今では、企業での人事評価としてのコミュニケーション能力というのは、それ以上のことが求められているのが当然であると認識しています。逆に言えば、誰とでも適切にコミュニケーションを取れない人は、職場では致命的なマイナス評価を与えられても、おかしくはありません。
ところで、メールでのコミュニケーションを考えた場合、宛先やccに誰を追加するのかを悩むことがよくあります。自分に届くメールには、基本的にすべて目を通すことが求められますから、逆に自分がメールを送信するときには、必要な情報だけを必要な人に厳選して送るように心がけています。読み手にとって不要な長文メールをccで送られても、混乱と怒りを招くだけだからです。しかし、今後その情報が必要になるかもしれない人をそのメールに含めるのかどうかを考えた場合、どこで線引きしたらいいのかを判断するのが結構難しかったりします。
また、メールの書き方にしても、相手に伝えたいことをはっきりと言わなければいけないものの、その伝え方をどうオブラートに包むのかということで悩むこともあります。「英語のメールはストレートでOK」というような意見も聞きますが、だからと言って歯に衣着せず、感情にまかせて言いたいことを書いても良いかと言えば、そんなことはありません。何かを依頼するにしても、少し言い回しを工夫してみたり、前後の文章を入れ替えて、論理的に判断させるように促したり、結構気を使うものです。いずれにせよ、自分の中でしっかりとした軸をつくり、そのルールに合わせてメールを送るようにすれば、少しずつメールでのコミュニケーションは上達していくと思います。
口頭でのコミュニケーションは、その場の空気やお互いの表情によって、同じことを言っても伝わり方が全く違いますから、もっと難しいと思います。先日、私と同じ部署のメンバー間で、新年早々ちょっとした衝突が起きてしまいました。その瞬間その場にいた私は、まさか自分自身が原因で、このような展開になってしまったとは全く理解していませんでした。しかし、後日両方の言い分を聞いてみると、その原因はまさに私のコミュニケーション不足にあったのです。自分の中では「ささいなことだからいちいち言わなくても良い」と判断していたことでも、相手から見れば必要な情報であったということです。そのせいで誤解が生まれ、その誤解が少しずつ膨らんでいき、最後に爆発してしまいました。
きっかけはほんのささいなことでも、それが一瞬で大きな問題になってしまうところに、コミュニケーションの恐ろしさがあると感じました。また、自分が相手のために良かれと思ってやったことも、時と場合によっては逆に作用して、誤解を生んでしまうようなことも度々あります。このようなことは、多かれ少なかれすべての人に共通して日常的に起こりうる問題だと思います。だからこそ、私たちは人間関係で悩んだり、コミュニケーションを難しいものと感じたりしてしまうことがあるのだと思います。
このような人と人との衝突は、生きていく上で避けては通れないものでしょうが、もちろん少ないに越したことはありません。一度衝突が起これば、それを回復するのにはものすごいエネルギーが必要ですし、最悪の場合、永遠にそのわだかまりを解消できないこともあるかもしれません。そのような悲惨な状況をできるだけ起こさないようにするためには、常に相手の立場で物事を考えながら、自分が行動するしかないと思います。口で言うのはとても簡単ですが、これを意識して日々実行するのは1日に中国語を15分練習し続けるどころのレベルではありません。
相手に媚びる必要も、無意味にへりくだる必要もありません。ただ、まずは相手の立場になって物事を考えてみる。その上で自分の行動を決める。ほんの少しの思いやりの気持ちを加えるだけで、その人の周りにはたくさんの応援してくれる人が集まり、その結果いろんなチャンスが引き寄せられるのだと思います。自分はその領域に一生かかっても到達できないかもしれませんが、そんなコミュニケーションの達人たちに少しでも近づきたいなと考えながら、最近過ごしています。
今年のやりたいことリストのトップは、なんと中国語を日常会話レベルでマスターすることです。日本と中国には政治的な対立はあるものの、その問題と中国語をマスターする必要性は、別の次元で考えています。現在勤めている会社には数人の中国人の同僚がいて、私たちとも和気あいあいと仲良くやっていますし、アジアリージョンのシンガポールと香港オフィスのカウンターパートたちも、みんな英語と中国語を話します。世界の人口は中国がダントツトップという事実を考慮すれば、英語の次の言語として中国語が話せるということは、個人にとってビジネス上で大きなアドバンテージになると思います。
今までもずっと中国語に興味を持っていましたが、その学習を始めることにいちいち理由をつけては躊躇していました。しかし、昨年後半に行った個人のSWOT分析により、改めてその必要性に気づき、今年のトップリストに入れてみました。わざわざこんなことをここで発表しているのは、そのことによって自分を後戻りさせない状況に追い込むためでもあります。今年の年末に、この場を借りてどこまで中国語が習得できたかを発表したいと思います。
ところで、語学を学ぶと一言で言っても、その方法は様々です。留学や語学スクールに通うことができれば一番いいのでしょうが、お金も時間もかかります。それに今年のゴールはあくまでも基礎会話の習得です。例えば、中国人の友達と簡単に中国語で日常会話ができるというレベルで十分です。資格試験を受けるわけではないし、中国語の新聞を読む必要もありません。ですから、今回は独学で勉強することにしました。
この勉強に費やす時間は朝のたったの15分だけ。しかしできるだけ毎日継続して行います。自分の経験を通して、英語の学習方法として一番効果的だと思っているシャドーイングを、ひたすら中国語でも実践してみるもりです。要は中国語入門のテキストなどについているCDをかけながら、意味がわからなくてもひたすら真似て音読を繰り返すだけ。最初は当然意味も分からず、時間の無駄のように感じるかもしれませんが、繰り返していくうちに、一つずづの断片的なピースとピースがつながって、徐々に言葉を習得できるのではないかと考えています。
これは幼児が言語を習得するのと似たプロセスだと思います。子どもは文法などを教わらなくても、最低限の語彙を使い、コミュニケーションをとることができます。子どもたちにできるなら、今の自分にもできるはず。英語の学習は中学校の文法の授業からスタートしましたが、中国語はシャドーイングでスタートしました。一日15分の継続で一年過ごせば、どこまで習得できるのか?自分自身で身をもって体験して、今年の後半にこの場を借りて皆さんの期待以上の報告をしたいと思います。
今までもずっと中国語に興味を持っていましたが、その学習を始めることにいちいち理由をつけては躊躇していました。しかし、昨年後半に行った個人のSWOT分析により、改めてその必要性に気づき、今年のトップリストに入れてみました。わざわざこんなことをここで発表しているのは、そのことによって自分を後戻りさせない状況に追い込むためでもあります。今年の年末に、この場を借りてどこまで中国語が習得できたかを発表したいと思います。
ところで、語学を学ぶと一言で言っても、その方法は様々です。留学や語学スクールに通うことができれば一番いいのでしょうが、お金も時間もかかります。それに今年のゴールはあくまでも基礎会話の習得です。例えば、中国人の友達と簡単に中国語で日常会話ができるというレベルで十分です。資格試験を受けるわけではないし、中国語の新聞を読む必要もありません。ですから、今回は独学で勉強することにしました。
この勉強に費やす時間は朝のたったの15分だけ。しかしできるだけ毎日継続して行います。自分の経験を通して、英語の学習方法として一番効果的だと思っているシャドーイングを、ひたすら中国語でも実践してみるもりです。要は中国語入門のテキストなどについているCDをかけながら、意味がわからなくてもひたすら真似て音読を繰り返すだけ。最初は当然意味も分からず、時間の無駄のように感じるかもしれませんが、繰り返していくうちに、一つずづの断片的なピースとピースがつながって、徐々に言葉を習得できるのではないかと考えています。
これは幼児が言語を習得するのと似たプロセスだと思います。子どもは文法などを教わらなくても、最低限の語彙を使い、コミュニケーションをとることができます。子どもたちにできるなら、今の自分にもできるはず。英語の学習は中学校の文法の授業からスタートしましたが、中国語はシャドーイングでスタートしました。一日15分の継続で一年過ごせば、どこまで習得できるのか?自分自身で身をもって体験して、今年の後半にこの場を借りて皆さんの期待以上の報告をしたいと思います。
6連休のお正月休みもあっという間に終わり、今日は2013年の仕事始めでした。また明日から週末のお休みですが、海外のオフィスではお正月も二日から稼働しているので、その間に届いた仕事の依頼の準備をしたり、たまったメールを処理したりして来週からのスタートダッシュを切るのに、丁度良いリハビリになりました。
実はこのお正月休みの間、一つだけ意識していたことがありました。それは、毎日同じ時間に早起きをすること。昨年末にこのブログにも書きましたが、冬の朝の早起きは、夏に比べてキツイのです。それは気温の問題だと思っていましたが、どうやらそれだけではないということがわかりました。
その理由は、休み中の早起きは全く苦にならなかったからです。休みの間は、毎日朝起きるのが楽しみで、布団の中に潜り込んでいたいという欲求よりも、早起きをして何かをやりたいという気持ちの方が大きくなり、二度寝などすることなく気持ちよく起きることができました。睡眠時間がいつもより多いわけでもないし、寒さのレベルも変わっていないので、これは精神的な問題なのだと思います。
仕事で悩みや心配事があると、夢の中でさえ潜在的にそれらのことをを考えてしまい、できるだけ現実から目を背けようとする強烈な深層心理が働くのかもしれません。その結果、そのような精神状態が続くと、朝はギリギリまで起きられずに、現実逃避をしてしまっているような気がしてきました。そこに冬の寒さが加わると、よほど強い精神力がない限り、なかなか早起きを続けていくことは難しいのだと思います。
今年も仕事がらみのストレスから完全に解放されることはないと思いますが、昨年よりも少しだけ余裕を持って、穏やかな気持ちで年間を通して過ごせるようにしていきたいです。問題には必ず解決策があると信じてゆったりと構え、大局を見極め、必要なことを一つ一つクリアしていけば、それは不可能ではないはず。心に少しだけ余裕ができれば、早起きもそれほど苦にならないような気がしてきました。そして早起きをして得た時間を自分のために使って、プラスのサイクルをぐるぐると回し続けていきたいと思います。
実はこのお正月休みの間、一つだけ意識していたことがありました。それは、毎日同じ時間に早起きをすること。昨年末にこのブログにも書きましたが、冬の朝の早起きは、夏に比べてキツイのです。それは気温の問題だと思っていましたが、どうやらそれだけではないということがわかりました。
その理由は、休み中の早起きは全く苦にならなかったからです。休みの間は、毎日朝起きるのが楽しみで、布団の中に潜り込んでいたいという欲求よりも、早起きをして何かをやりたいという気持ちの方が大きくなり、二度寝などすることなく気持ちよく起きることができました。睡眠時間がいつもより多いわけでもないし、寒さのレベルも変わっていないので、これは精神的な問題なのだと思います。
仕事で悩みや心配事があると、夢の中でさえ潜在的にそれらのことをを考えてしまい、できるだけ現実から目を背けようとする強烈な深層心理が働くのかもしれません。その結果、そのような精神状態が続くと、朝はギリギリまで起きられずに、現実逃避をしてしまっているような気がしてきました。そこに冬の寒さが加わると、よほど強い精神力がない限り、なかなか早起きを続けていくことは難しいのだと思います。
今年も仕事がらみのストレスから完全に解放されることはないと思いますが、昨年よりも少しだけ余裕を持って、穏やかな気持ちで年間を通して過ごせるようにしていきたいです。問題には必ず解決策があると信じてゆったりと構え、大局を見極め、必要なことを一つ一つクリアしていけば、それは不可能ではないはず。心に少しだけ余裕ができれば、早起きもそれほど苦にならないような気がしてきました。そして早起きをして得た時間を自分のために使って、プラスのサイクルをぐるぐると回し続けていきたいと思います。
明けましておめでとうございます。
今年の年賀状に、迷った挙句このブログのURLを入れてみました。今まで読みに来てくださっていた方のほとんどは、Facebookの「友達」でしたが、これは今年の私の新しいチャレンジです。ここ何年も年賀状のやりとりだけしかしていなかった友人や恩師、親戚がこれを読むかもしれないと思うと少し緊張しますが、書くことによって現在の自分の考えやスタンスを定期的に知ってもらうことは、私にとって大事なことです。
2013年という一年は、私個人として、とても大きな転機になると思います。年齢も40代に突入し、男性では前厄だとか。私はあまり占いの類は信じないのですが、年齢から生じる体の変化や健康には特に注意していきたいと思います。
40代という響きは、今までの自分にとってまるで無関係のものでしたが、いよいよその時を意識せざるを得ないところまで来てしまいました。子どもの成長のスピードに驚くことはしょっちゅうですが、考えてみればその分だけ自分も年を重ねているという当たり前の現実に、当事者としてはなかなか気づかないものです。変化しているのは周りの世界だけで、自分も常に変わり続けているという意識が、今まであまりなかったのかもしれません。
仕事では毎日のように新しいチャレンジを求められるようになり、大きなプレッシャーが肩にのしかかってくる年齢でもあります。会社に貢献し、チームを盛り上げ、結果を出し続けることが今まで以上に求められます。そのための時間は有限で、ただがむしゃらに努力をしても方向性が違ければ、何の評価もしてもらえません。仕事と家庭を両立させながら、いかに自分のパーソナルな時間を創り出すのか、これを今年は真面目に考える必要があると思います。
世界情勢は相変わらず緊迫したままで、日本の視点で考えれば、近隣国との軍事衝突が起こってもおかしくないような深刻な状況です。更に世界経済を取り巻く危機的な状況や、相変わらず高い日本の地震発生のリスク、更に日本国政府が抱える膨大な借金の額と増税路線により、今までの価値観が一夜にして通用しなくなってしまうかもしれません。今すぐどうこうすることはないと思いますが、現実問題として、こういったことも常に頭の片隅に入れておく必要があると思います。
このように文章に書いてみると、なんとなく見通しの暗い夢のない一年のように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。見方を180度変えてみると、とてもエキサイティングな世界が広がっているとも言えます。
自分の健康も仕事も日本の置かれている状況も、目を瞑ってやりすごしたり、政治のせいにして批判することは簡単です。ただしその結果は、自分の運命として受け入れなければなりません。反対に、自分が自分の行動や生きる場所を選択することだってできるはずです。何を食べ、一日をどのように過ごし、どんな仕事と責任を引き受け、どんなお金の使い方をし、誰と付き合い、どこで勝負するのか。それらはすべて、自分で選択できるものばかりです。例え失敗したとしても、それが自分で選んだことであれば、納得がいくと思います。
すべての人が自分で選択する自由を持っているわけではありませんが、今の私にはその自由があります。そんなチャンスを与えてくれた両親や、いつも応援してくれている周囲の人に感謝しながら、この大事な一年をどう過ごすのか。あと2日間となってしまったお正月休みの間に、しっかりと自分の中で軸を作りたいと思います。
今年も本ブログをよろしくお願いいたします。
今年の年賀状に、迷った挙句このブログのURLを入れてみました。今まで読みに来てくださっていた方のほとんどは、Facebookの「友達」でしたが、これは今年の私の新しいチャレンジです。ここ何年も年賀状のやりとりだけしかしていなかった友人や恩師、親戚がこれを読むかもしれないと思うと少し緊張しますが、書くことによって現在の自分の考えやスタンスを定期的に知ってもらうことは、私にとって大事なことです。
2013年という一年は、私個人として、とても大きな転機になると思います。年齢も40代に突入し、男性では前厄だとか。私はあまり占いの類は信じないのですが、年齢から生じる体の変化や健康には特に注意していきたいと思います。
40代という響きは、今までの自分にとってまるで無関係のものでしたが、いよいよその時を意識せざるを得ないところまで来てしまいました。子どもの成長のスピードに驚くことはしょっちゅうですが、考えてみればその分だけ自分も年を重ねているという当たり前の現実に、当事者としてはなかなか気づかないものです。変化しているのは周りの世界だけで、自分も常に変わり続けているという意識が、今まであまりなかったのかもしれません。
仕事では毎日のように新しいチャレンジを求められるようになり、大きなプレッシャーが肩にのしかかってくる年齢でもあります。会社に貢献し、チームを盛り上げ、結果を出し続けることが今まで以上に求められます。そのための時間は有限で、ただがむしゃらに努力をしても方向性が違ければ、何の評価もしてもらえません。仕事と家庭を両立させながら、いかに自分のパーソナルな時間を創り出すのか、これを今年は真面目に考える必要があると思います。
世界情勢は相変わらず緊迫したままで、日本の視点で考えれば、近隣国との軍事衝突が起こってもおかしくないような深刻な状況です。更に世界経済を取り巻く危機的な状況や、相変わらず高い日本の地震発生のリスク、更に日本国政府が抱える膨大な借金の額と増税路線により、今までの価値観が一夜にして通用しなくなってしまうかもしれません。今すぐどうこうすることはないと思いますが、現実問題として、こういったことも常に頭の片隅に入れておく必要があると思います。
このように文章に書いてみると、なんとなく見通しの暗い夢のない一年のように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。見方を180度変えてみると、とてもエキサイティングな世界が広がっているとも言えます。
自分の健康も仕事も日本の置かれている状況も、目を瞑ってやりすごしたり、政治のせいにして批判することは簡単です。ただしその結果は、自分の運命として受け入れなければなりません。反対に、自分が自分の行動や生きる場所を選択することだってできるはずです。何を食べ、一日をどのように過ごし、どんな仕事と責任を引き受け、どんなお金の使い方をし、誰と付き合い、どこで勝負するのか。それらはすべて、自分で選択できるものばかりです。例え失敗したとしても、それが自分で選んだことであれば、納得がいくと思います。
すべての人が自分で選択する自由を持っているわけではありませんが、今の私にはその自由があります。そんなチャンスを与えてくれた両親や、いつも応援してくれている周囲の人に感謝しながら、この大事な一年をどう過ごすのか。あと2日間となってしまったお正月休みの間に、しっかりと自分の中で軸を作りたいと思います。
今年も本ブログをよろしくお願いいたします。
