自分がものすごく大切に思っていることや
守りたいもの、を
そこにあった石ころみたいに、なんの気なしに蹴飛ばされる。
みたいなのって
蹴飛ばす人にとったら単なる石ころなだけで
足元に落ちてて
なんかちょっと邪魔だったから
コンって、蹴飛ばしただけ。
みたいな感じなんだろうと思う。
そしてきっと
私も誰かの大切なものを
悪気なし、に
ちょっと通りまーす的な感じで蹴飛ばしたりしてしまってるんだろうなと思う。
だから
蹴飛ばされないように
置く場所を間違わないこと、も大切だなと思うんだけど
私は言いたいことはわりと言うタイプに見られるし
現に、結構言わなければ事が前に進まないときにはしっかり言う。
でもなぜだか
自分の大切なことを
大切にしてほしかった人に
ちょっと嫌だったな
なんかすごくそれ悲しいな
と思ってしまったときは
それ、をなかなか言えない。
だから
いつも結局何度も
相手の都合を理解したふりや
自分が本当は大切にしたいことなのに
その時ばかりは大切にするのをやめたりして
なんとなく受け入れた気になって
何度目かにそう感じたとき
フッと
つきものがとれたみたいに
その人との間に流れてたものに
なんの思いもなくなる。
相手からしたら
なんだか急な話で、わけもわからず
迷惑な話だと思う。
けれど
本当に
もう、なんにもどうにも
話すことも会う時間もなにもかもが
無理になってしまう。
私たちは
時間も心身の力にも全て限りがある。
その中で
誰に会いたいか
誰と話がしたいか
誰といることで
自分の命や存在が軽んじられないか。
それはすごく重要に思う。
だけどそれは相手も同じで
これは単にわかってくれないから相手が悪い、って話ではもちろんなくて、私自身の課題である部分も大いにある。
私は人に褒められるようなことは何も成し遂げていないし、社会に貢献していることなんて何一つない。
ただ自分が生きることに精一杯で
誰かの助けの上で命を繋げていられてるから
そんな自分に自分で
尊顔とか敬意をもてとかは
なんとも言いづらいし、そんな偉そうにするつもりはまったくないのだけど
私の周りには
こんなに何の役にも立ってない私を
なんの役に立たなくても
何かを成し遂げなくても
私の命を尊重してくれる友人がいてくれる。
私を面白がって
時に大げさに褒めてくれることに
本当に感謝している。
ときに分かり合うとか
理解し合うというのは
そこに信頼や愛があったとしても
いや、あるからこそ難しいことがある。
どんなに似ていても
細かい価値観みたいなものは
意外と共有できない部分もあって
というのも結局は
頭ではなんとなく想像がついても
人間はやっぱり
自分の経験したこと
その時その場所で体感したものにしかわからないことがあって
それを同じ温度で共有することは難しい。
ひっそり頑張ってることや
こっそり悩んでることを
皆わざわざ人に1から10まで見せたり説明したりしないし
目指す方向や大切にするものも
状況によって変わってしまうこともある。
それをどんな時でもいつでもすり合わせていくのは
ものすごく難しい。と思う。
相手と向き合い続ければいいかと思いきや
それはそれで
自分のことも相手のことも見えなくなってしまうこともある。
離れて見えることもあるし
離れて見失うこともある。
自分のこと、や
不意打ちに自分に振りかかること
相手のこと、
相手に振りかかること
そのどれもを
解決したり守ったり戦ったり
そんな全部、どうしたってできない。
だから
それはそれでしかたないよね。
で終われればいいのだけど
それもそれでそういうわけにもいかない。
じゃあどうすりゃいいのよって
話だけど
お互いが相手の尊厳を守っているか
相手の命を尊重できているか
多分根底にそれをちゃんと持っていたら
どこかでどんな形かはわからないけれど
きっといつかお互い優しさをもって、向き合えるんじゃないかと思ったりする。
優しさって技術だったりもするから
優しく振る舞うことで
自分でも自分が優しいと思い込んでしまうのがおそろしいけれど
優しさを乱暴に扱わず
優しさを優しく扱いたい。
見えない部分が
見れてない部分があるってこと
忘れてはいけない。
でも
私はそれ、を思いすぎて
時々自分の思いや意思をさらけ出せなくなることがあるから、それは気をつけなきゃいけないな。
というわけで
なんの話をしたかったのかはよくわからないんだけど
ブログの書きかけの下書きがあったので
投稿してみたわけで。
みんな、間違ってないよ
そこにいていいよ
十分十分
人の話なんて聞きたくない時は聞かなくていいよ