「こうあるべき」というこだわりが強いと、自分にも他人にも攻撃をしかけてしまうだろう。


攻撃が自分に向かえば、自分を傷つけてしまうし、他人に向かえば他人を傷つけてしまい、最悪人間関係が壊れてしまうこともあるだろう。


人は自分の考えを守るために闘ってしまう。自分の正義を守るためだ。

それは、他人も同じだ。


脳の働きや心のことについて、少しばかり勉強してきたが、その勉強してきたことが実は全部同じことだったことが少しずつわかってきた気がする。


人は自分が見たいように見るし聞きたいように聞くという。


自分のこだわり、考え方がそのように理解してしまう。


自分とは違うこだわり、考え方を排除しようとしてしまう。


それが、人というものだ。生きていくためにそのように脳に組み込まれているらしい。


ではどうすればいいのだろうか?どうすれば生きやすくなるのだろう?



仏教では雑念を捨てるとある。


それは、自分のこだわりを捨てることなのだろう。


生きやすくなるために何をすべきか?


それは、何かを身につけることではなく、雑念を捨てることなのだろう。


足し算より引き算ということだろう。


私は、日々自分を正当化する考えを聞かされているのだろう。


だが、時々、自分や他人を批判する考えを聞かされる。


自分の「こうあるべき」でない時だからだろう。


現実と闘うこととは、自分の「こうあるべき」でない時だろう。


人の本性である「こうあるべき」という考えを認め許すことができたら、どんなにか良いだろう。


残念ながら私には、「こうあるべき」という考え、残念を捨てることはできそうにない。

考えが勝手に出てきてしまうからだ。


私に出来ることはただ一つしかないようだ。


それは、自分の「こうあるべき」という考え、こだわりに気づくことしかできない。そうしていきたい。