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日本軍戦闘機の真実

旧日本軍機のこれまで知りえた真実を少しずつ書いてい行きます。
軍事マニアでも戦史家でもありません。
勝手な思いあります。
従って、内容についてのご批判や評価はご遠慮させていただきます。

太平洋戦争で使用された旧日本陸海軍機のアメリカ軍による識別呼称というか、ニックネームが面白い。

元々、アメリカにとって後進国の日本軍機など興味の対象にもなっていなかった。

開戦当時、情報はほぼ無し。

中国大陸戦線でのレポートは無視され、日本軍機など完全にバカにしていたハズだ。

真珠湾攻撃で開戦すると、アメリカ軍は驚いた。

特にフィリピンのクラーク基地空襲は、近海の空母機動部隊から発進した戦闘機隊がいるものと。

そうすと、日本海軍は一体何隻の空母を持っているのか・・・

タイトルと違う話で脱線しました。

要するに、アメリカ軍にとって日本陸海軍機を識別する呼称が必要になった。

まずは零戦

ゼロあるいはジークと呼んだ。

陸軍の一式戦、隼はオスカー。

海軍の雷電はジャック。紫電はジョージ。

面白いの陸軍の二式戦、鍾馗のトージョー。

トージョーは、東條英機のコトだと思うが、トニー(飛燕)やフランク(疾風)のように米国人名が当たり前なのに、トージョー!

何故かわかりません。

ちなみに海軍航空隊の搭乗員達は零戦のことを何と呼んでいたか・・・

レイセン、ゼロセン・・も正しいが、実際はアレ、コレだ。

なにせ開戦から終戦まで海軍の戦闘機はほぼ零戦だけなので、こんなもんです。

初期型の21型から32型になったときは、一号戦と二号戦という呼び名もありました。

ちなみに32型、速度向上と横転運動性能向上のため翼端を切り詰めましたが、航続力が落ちて不評でした。それなりに効果のあるマイナーチェンジだと思いますが・・

ちなみにこの32型はアメリカ軍からハンプと呼ばれていました。違う戦闘機という認識ですね。

運動性能抜群と言われる零戦ですが、この横転運動(機軸に対する回転運動)は、零戦の弱点。

このあたりは・・・また。