こんにちは。
瞳子です。
 
 
 
 
 
 
 
 
何かをやろうとしたとき
お金や時間や仕事や体調や
何かが噛み合わなくなったりして
 
 
「タイミングじゃないのかな」
「やるなっていうサインかな?」
 
 
なんて思うことがある。
 
 
でもそれってほんとは
「お試し」なだけ。
 
 
ほんとにやりたいことなのか
問われてるんだなと近頃思う。
 
 
 
 
 
 
例えばやりたいことを
家族や友達に反対されたとき。
 
 
反対されたことで諦めるなら
それって「反対してもらうために」
言ったんだと思う。
 
 
実はすごく怖いから
止めてほしいのかもしれない。
 
 
怖いときは
やたらと思考が働くし
誰かの承認が欲しくなる。
 
 
反対までされなくても
相手が微妙な反応のとき
自分の気持ちが微妙だったりする。
 
 
 
 
やりたくないのではなく
新しいことに挑戦することへの怖さ
パターンを崩すことへの恐れが
それら妨害を引き起こしてるのかもしれない。
 
 
例えば
やりたいけど迷った挙句やらなくて
後々「やっぱりやれば良かった!」と思うとき
 
 
損したくなかった、とか
変化を恐れていただけと気づく。
 
 
そしてやらないことが
悪いことでもない。
「私は怖かったんだね」という
気づきがきっと大切だから。
 
 
その場合
その「怖さ」と
向き合うときなのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
どうしてもやりたいときは
勝手に動いてるか
やる前提で周りに説明してたりする。
 
 
子供の頃
お母さんにダメと言われても
遊びに出かけてたように。
 
 
やりたいという気持ちが
心の中にしっかりある。
 
 
家族は鏡だから
自分の気持ちを映してくれるだけ。 
 
 
何故か反対されるときは
自分の中にある不安が
そうさせてるのかもしれない。
 
 
相手の反応次第で諦めても
そこで反省する必要なんてなくて
ただ、「ああそうなんだ」でいい。
 
 
 
ただ分かって欲しいだけのときは
分かってもらえて納得して
やらないときも結構ある。笑
 
 
 
 
 
反対されても
熱が冷めないのなら
もうあとはやるだけなんだ。
 
 
それが成功するか
それが意味があるかどうかより
「私の願いを叶えるために動くこと」に
意味があるんだと思うから。
 
 
やりたい!と強く思った私の想いを
聴いてあげられるのは私しかいない。
 
 
そしてそれを叶えてあげられるのも
私しかいない。
 
 
やりたいことをやってみたら
思ったより面白くなくてガッカリしても
「願いを叶えた自分」はそこに残る。
 
 
結局損なんかしない。
 
 
 
 
 
 
 
それでも決められないときは
決めなくていいとき。
 
 
考えても考えても決めれないときは
決めようとするのをやめて
お茶でも飲もう。
 
 
心地良い気持ちの時に
きっと答えが降りてくる。
 
 
 
 
 
でもまあ
やる方が人生は面白いけれど。
 
 
 
 
 
 
 
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夜中にこっそりお菓子を食べたんだけど
どうやら食べかすを落としてたらしい。
 
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夫から送られてくるこれらの写真が
「それでいいんだよ」と教えてくれる。
 
そんな私だからいいんだよ、と。笑
 
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というより
面白がってるだけなのかも。笑笑