他人の行動や発言から、「その人はそういう人だ。そういう行動をとる人だ。そういう考えをする人だ」と認識する。

 

前列の車に近寄ってくるように運転するひと、ため口で馴れ馴れしく話す人。

 

力を誇示するような人、だらしない人。

 

そう認識できる。

 

 

 

ただ、最近それは思い込みの一部であるかもしれないと思う様になってきた。

 

前列の車に近寄って運転するが、あおっているわけでは無く距離感が曖昧である。

 

ため口で馴れ馴れしくだらしなさを覚える事もあるが、やるべき仕事はこなしている。

 

 

 

一部の行動で、その人の全てを決めつけているような気がしてきている。

 

もちろん、そうである場合もある。

 

その偏見を持って人と接していても、もしかしたら違う側面があるかもしてない。そうであったら凝り固まって認識している自分が、無駄に凝り固まって苛ついているだけで労力を費やしているだけになり、その人の他の側面も否定するだけで、それを肯定できない、自分の考えを正しく是正できない、ただのアホに成ってしまう。

 

 

 

だから、そう思える様な、苦手な人とも交流を持とうと思う。

 

それで、その通りの人なら縁を切ればよい、ただ単に仕事の会話だけでよい。

違う側面が見えたら、自分自身も楽になるし余計な労力をせずに他の事に集中できる。凝り固まった考えのアホにならずに済む。

 

或いは、違う理由がある(あおって運転しているように見えても距離感が足りないだけ)かもしれないと、気にせず自分の事に集中できる(後ろを気にせず自分の運転ができる)ようになれ、労力を使わずに済む。

 

 

 

一部の行動や発言などで、その人の全体として認識せず気にせず、なにか良いところもあるはずと、考えて偏見やそれに費やす労力をなくす。

 

そして、自分は自分と、その使命を全うする。