月々日々に――池田先生の折々の言葉 2024年6月25日

無事故は即、勝利である。油断しない
ことが、事故を起こさない根本だ。
「深き用心」を忘れてはいけない。


※2011年8月10日付聖教新聞「御書とともに」を基にしています。

名字の言 仕事と介護の両立に挑む「ビジネスケアラー」2024年6月25日

 「ビジネスケアラー」をご存じだろうか。働きながら親などの介護をする人を指し、超高齢社会の日本で増加傾向にある▼経済産業省によると、2020年時点での家族介護者は約678万人。その数は30年まで増え続け、うち約4割がビジネスケアラーで、約318万人に上ると予測されている。仕事と介護の両立に挑むが、“同僚に迷惑がかかる”“介護に専念したい”と、離職する人も少なくない。社会との関係が薄れて孤立し、家族と共倒れしてしまう恐れもある▼福岡のある男子部員は昨年、若年性認知症の母との二人暮らしを開始。働きながらの介護は壮絶で、何度も離職が頭をよぎったが、地域の同志の励ましに救われた。介護従事者を紹介してもらい、助言を受けることもできた。彼は言う。「自分は一人じゃないんだ、と教えてもらいました。今後は僕が誰かの力になりたい」▼御書には、苦しい状況にある人も「助ける者が強ければ倒れない」(新1940・全1468、通解)と。善き友の支えがあれば、人は強くなれる。試練に負けない自分になれる▼めまぐるしい変化の時代だからこそ、人と人、心と心を結ぶ連帯を広げたい。地道な草の根の活動が、社会を支え、命を守る礎となる。(剣)

〈闘魂TALK〉 日興上人と五老僧の違いって?2024年6月25日

 三代会長が築いた創価学会の歴史や教学を学ぶ連載「闘魂TALK」。今回は、ヤング男子部世代である部長・蓮人さんの疑問に、総区副青年部長の先輩・幸助さんが答えます。

Q 日興上人と五老僧の違いって?

A 「御本尊」と「御書」に対する捉え方

 蓮人 勤行の御祈念文で「日興上人に南無し、報恩感謝申し上げます」と祈っていますけど、そもそも日興上人って、どんなお方か詳しくは知らなくて……。
 
 幸助 なら一緒に学ぼう! 日蓮仏法を行ずる僕たちが、どこまでも範とするべきお方だからね。
 
 蓮人 日蓮大聖人が6人の本弟子を定められたことは学んだことがありますが、日興上人と他の五老僧は何が違ったんですか?
 
 幸助 まず何より、日興上人は、師匠である大聖人に誰よりも常随給仕された。大聖人が権力からの迫害によって伊豆や佐渡に流罪された時もお供され、師匠を厳然と守り抜かれたんだ。
 
 蓮人 日興上人が、不二の弟子といわれる所以ですね。
 
 幸助 大聖人の御入滅の後も、その不二の精神は一切変わらない。日興上人が「立正安国論」とともに数度にわたり鎌倉幕府に提出した申状では、「日蓮聖人の弟子 日興」と宣言され、大聖人と同じように烈々たる気迫で、時の権力に対して諫暁された。でも五老僧は、そうした日興上人のお姿と全く異なっていたんだ。
 
 蓮人 それはどういうことですか?
 
 幸助 五老僧は大聖人を師匠としながらも権力による迫害を恐れ、「天台沙門(=天台の弟子)」と名乗った。神社への参詣を容認するなど、大聖人の教えに違背し、謗法を犯したんだ。
 
 蓮人 五老僧は大聖人を、あくまで天台大師伝教大師の末流という存在でしか捉えていなかったんですね。
 
 幸助 さらに日興上人と五老僧との決定的な違いは、師が魂魄をとどめられた「御本尊」と「御書」に対する捉え方にあると言える。大聖人は佐渡流罪以降、十界の文字曼荼羅を顕され、師の甚深の意義を受け止められた日興上人は、その文字曼荼羅を等しく御本尊として尊崇されたんだ。一方、師の御真意が分からない五老僧は、釈迦仏像を本尊としている。
 
 蓮人 「創価学会『勤行要典』」の御祈念文にある日興上人への報恩感謝が「御本尊への報恩感謝」の項にある理由が分かりました。
 
 幸助 宗開両祖の御精神に背いた日蓮正宗(日顕宗)は、宗門事件の時、宗門側に来なければ御本尊を下付しないと言い放った。
 
 蓮人 まさに御本尊を信徒支配の道具にしたってことですね。

宗門は大聖人違背の五老僧の末流

 幸助 日興上人は御書についても“後世の門下に対して仏法の極理が師伝されたもの”として、大聖人のお手紙や論文を各地から集め、全てを「御書」と呼んで大切にされた。
 
 蓮人 日興上人のおかげで、今も僕たちが日蓮仏法の教えを正しく学ぶことができているんですね。
 
 幸助 しかし五老僧は、大聖人が庶民に分かりやすく仏法を説くために書き残された仮名交じりの御書を、「先師の恥辱を顕す」(新2178・全1604)と非難し、御書の紙をすき返して再利用したり、焼いたりしたんだ。日興上人のお姿を範として御書を根本とし、実践を貫いてきたのが創価学会だよ。
 
 蓮人 戸田先生の発願で『日蓮大聖人御書全集』が発刊されましたもんね。
 
 幸助 一方、御書を軽視したのが宗門なんだ。戦時中に軍部権力に屈服し、弾圧を恐れて神札を受容する大謗法を犯した。そして御書の発刊を禁止し、重要な御文を14カ所も削除した。
 
 蓮人 まるで、五老僧と同じですね。
 
 幸助 日興上人は、五老僧のような存在を戒め、後世の門下が大聖人直結の信心を貫くため、26箇条の御遺誡を示された。
 
 蓮人 「日興遺誡置文」は僕も勉強したことがあります。「いまだ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべきこと」(新2196・全1618)など、広宣流布のための規範が示されていますね。
 
 幸助 御遺誡に反する宗門は、御書にはない、法主を絶対とする「法主信仰」を唱え、権威、保身、名聞名利に狂乱していった。宗門は五老僧の末流みたいなもんなのさ。
 
 蓮人 「御本尊根本」「御書根本」の学会こそ、日蓮大聖人と日興上人の御精神を正しく継承している団体であることがよく分かりました。
 
 幸助 「理」が深まれば「信」が深まり、「行」の力強い実践につながっていくんだ。また語り合おう!幸助 日興上人は御書についても“後世の門下に対して仏法の極理が師伝されたもの”として、大聖人のお手紙や論文を各地から集め、全てを「御書」と呼んで大切にされた。
 
 蓮人 日興上人のおかげで、今も僕たちが日蓮仏法の教えを正しく学ぶことができているんですね。
 
 幸助 しかし五老僧は、大聖人が庶民に分かりやすく仏法を説くために書き残された仮名交じりの御書を、「先師の恥辱を顕す」(新2178・全1604)と非難し、御書の紙をすき返して再利用したり、焼いたりしたんだ。日興上人のお姿を範として御書を根本とし、実践を貫いてきたのが創価学会だよ。
 
 蓮人 戸田先生の発願で『日蓮大聖人御書全集』が発刊されましたもんね。
 
 幸助 一方、御書を軽視したのが宗門なんだ。戦時中に軍部権力に屈服し、弾圧を恐れて神札を受容する大謗法を犯した。そして御書の発刊を禁止し、重要な御文を14カ所も削除した。
 
 蓮人 まるで、五老僧と同じですね。
 
 幸助 日興上人は、五老僧のような存在を戒め、後世の門下が大聖人直結の信心を貫くため、26箇条の御遺誡を示された。
 
 蓮人 「日興遺誡置文」は僕も勉強したことがあります。「いまだ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべきこと」(新2196・全1618)など、広宣流布のための規範が示されていますね。
 
 幸助 御遺誡に反する宗門は、御書にはない、法主を絶対とする「法主信仰」を唱え、権威、保身、名聞名利に狂乱していった。宗門は五老僧の末流みたいなもんなのさ。
 
 蓮人 「御本尊根本」「御書根本」の学会こそ、日蓮大聖人と日興上人の御精神を正しく継承している団体であることがよく分かりました。
 
 幸助 「理」が深まれば「信」が深まり、「行」の力強い実践につながっていくんだ。また語り合おう!
 
 (「闘魂TALK」の解説編はこちら

〈闘魂TALK〉 解説編 テーマ:日興上人2024年6月25日

学会は遺誡のままに信心を貫く

 池田先生は、「日興遺誡置文」について、こうつづった。「日興上人が、大聖人に直結した不二の信心を貫くために定められた、永遠不変の規範にほかならない。思えば、この御遺誡のままに信心を貫いてきたのが創価学会であった」(小説『新・人間革命』第2巻「錬磨」の章)。創価学会は日興上人を範として世界広布を進めてきた。ここでは、日蓮大聖人の教えと御精神を継承された真の弟子「日興上人」について述べる。

日蓮仏法を正しく継承

 日蓮大聖人は、御入滅直前の弘安5年(1282年)10月8日、6人の本弟子(六老僧)を定められた。しかし、日興上人を除く五老僧は次第に大聖人の仏法から違背してしまい、日興上人ただお一人が、大聖人の仏法を正しく継承された。
 
 大聖人滅後、御遺言に基づき、弟子たちで身延の墓所を守る輪番制が定められた。しかし、日興上人を除く五老僧はそれを反故にし、参詣もしなかった。
 
 日興上人は、「師を捨つべからずと申す法門を立てながら、たちまちに本師を捨て奉り候わんこと、大方世間の俗難術なく覚え候」(新2167※新規収録)と、墓所をないがしろにするのは師の大聖人を捨てることにほかならず、世間の非難に言い逃れはできないと厳しく批判された。
 
 この頃、大聖人の門下への幕府の圧力は強まっていたと推測される。大聖人を迫害した平左衛門尉頼綱は、内管領(執権北条氏嫡流の家臣の長)として、絶大な権力を誇っていた。極楽寺良観も、鎌倉の三つの大寺院の別当(寺社の事務を統制する最高責任者)に任命されている。
 
 その中で、3度目の蒙古襲来の危機感も高まっていた。幕府は軍事力とともに神仏の加護で外敵を撃破しようと、蒙古調伏の祈禱をするよう、全国の寺社に命令。大聖人の教団も国家の安寧を祈るよう迫られていたと考えられる。
 
 五老僧は、“蒙古調伏の命令に従わなければ、住房を破壊する”という幕府の脅しに屈して、「天台沙門」と名乗る申状を幕府に提出し、天台宗としての異国調伏の祈禱を行った。
 
 一方、日興上人は、幕府や朝廷への諫暁をたびたび行われている。その申状では「日蓮聖人の弟子 日興」と誇り高く名乗られ、日蓮大聖人の「立正安国論」にそえられたのだ。
 
 また、身延の地頭・波木井実長が、五老僧の一人・日向の影響を受けて、謗法を犯すようになり、日興上人は日向や実長を諫められた。しかし彼らは受け入れず、かえって増長する一方だった。日興上人は、やむなく、身延の地を離れることを決意される。その時の心情を、次のようにつづられている。
 
 「身延山を罷り出で候こと、面目なさ、本意なさ申し尽くし難く候えども、打ち還し案じ候えば、いずくにても、聖人の御義を相継ぎ進らせて世に立て候わんことこそ詮にて候え。さりともと思い奉るに、御弟子ことごとく師敵対せられ候いぬ。日興一人、本師の正義を存して本懐を遂げ奉り候べき仁に相当たって覚え候えば、本意忘るることなく候」(新2171※新規収録)
 
 ご自身こそが大聖人の正法正義を守って、広宣流布の大願を遂げていくのだとの自覚を語られている。日興上人は、不知恩で師敵対の五老僧らと決別し、真正の弟子の道を選び取られたのである。

大聖人を末法の教主と

 日興上人と五老僧との決定的な違いは何だったのか。
 
 1点目に、日興上人が、日蓮大聖人を、上行菩薩の使命を果たされた末法教主として位置づけられた点である。
 
 「五人所破抄」で日興上人は、次のように仰せである。
 
 「先師聖人、親しく大聖の付を受けて末法の主たり」(新2185・全1610)、「日蓮聖人は、忝くも上行菩薩の再誕にして本門弘経の大権なり」(新2186・全1611)、「彼(=天台)は薬王の後身、これ(=大聖人)は上行の再誕なり」(新2187・同)
 
 師を「天台の末弟」のようにしか捉えていない五老僧に対し、日興上人は、大聖人を「末法の主」「上行菩薩の再誕」として深く尊崇された。
 
 創価学会もまた、末法において上行菩薩の使命を果たし、万人成仏の法を説き明かされた「末法の教主」である大聖人を、「末法の御本仏」と仰ぐ。

教学部任用試験の受験者を西方青年部長が激励(本年6月、神奈川・座間文化会館で)

教学部任用試験の受験者を西方青年部長が激励(本年6月、神奈川・座間文化会館で)

御本尊を明確に

 2点目に、日興上人は、大聖人が顕された文字曼荼羅の御本尊を信仰の対象とすることを明確にされた点である。
 
 日興上人は、「富士一跡門徒存知の事」で、五老僧との本尊観の違いを次のように示されている。
 
 「五人一同に云わく、本尊においては釈迦如来を崇め奉るべしとて既に立てたり。(中略)日興云わく、聖人御立の法門においては、全く絵像・木像の仏菩薩をもって本尊となさず、ただ御書の意に任せて妙法蓮華経の五字をもって本尊となすべし。即ち御自筆の本尊これなり」(新2180・全1605)
 
 五老僧が仏像に執着していたのに対して、日興上人は、大聖人の真意は文字曼荼羅の御本尊にあり、それを本尊として受持すべきであるとされた。そして、自ら文字曼荼羅の御本尊を書写し、多くの門下に授与されたのである。また日興上人には、大聖人が顕された文字曼荼羅に優劣をつける考えはなく、等しく尊重された。
 
 創価学会も、末法の衆生のために大聖人が顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した御本尊を、すべて「本門の本尊」としている。
 
 3点目に、「当門流においては、御書を心肝に染め」(新2196・全1618)と仰せのように、大聖人が著された著作や書簡を「御書」として大切にされたことも重要である(本連載5月1日付で詳説)。
 
 その御書を英語、中国語、スペイン語など10言語以上で刊行し、「本朝の聖語も、広宣の日は、また仮字を訳して梵・震に通ずべし」(新2190・全1613)という日興上人の言葉を実現し、日蓮仏法の人間主義を世界中に広めてきたのは学会にほかならない。

広布実践の規範

 「日興遺誡置文」の序文には「後学のために条目を筆端に染むること、ひとえに広宣流布の金言を仰がんがためなり」(新2195・全1617)と。広布を目指す門下の規範が示されており、学会の正義を明快に証明している。
 
 「富士の立義、いささかも先師の御弘通に違せざること」(同)。日興上人に連なり、「大聖人直結」「御書根本」の前進を貫いてきた団体は学会をおいて存在しない。
 
 「いまだ広宣流布せざる間は、身命を捨てて随力弘通を致すべきこと」(新2196・全1618)。池田先生は、この一節について次のようにつづった。
 
 「日興上人のこの御遺誡を現実に実践してきたのは、創価学会だけではありませんか! それは、学会が日蓮大聖人に直結した唯一の団体であり、地涌の菩薩の集いである、何よりの証明であります」(小説『新・人間革命』第2巻「錬磨」の章)
 
 一方、「時の貫首たりといえども、仏法に相違して己義を構えば、これを用いるべからざること」(新2196・全1618)との遺誡が現実となり、大聖人の仏法に完全に違背したのが日蓮正宗である。法主信仰、僧俗差別などの己義を構えた上、広布破壊の破和合僧の大罪を犯した。
 
 池田先生は、青年に呼びかけた。「日興上人の生涯は、師恩に報い、大聖人の正義を宣揚されることで、日蓮仏法における師弟不二の極理を成就された一生であったといってよい。それゆえに、真実の『師弟の宗教』が完成したと拝される。弟子で一切が決まるのである。この『弟子の大道』こそが、広宣流布の永遠の勝利を約束する。この師弟不二の真髄を私は、あらためて後継の青年たちに託したい。師が持つ『戦う心』を生涯持ち続ける誓願こそが、創価を継承する条件にほかならないからだ」(『大白蓮華』2008年5月号)
 
 大聖人と共に難を忍び、広宣流布を進められた日興上人は、大聖人亡き後も、不惜身命の実践を貫き、師の広宣流布の御精神を誤りなく後世に伝え残そうと遺訓された。
 
 この日興上人の御精神と御闘争を現代に受け継ぎ、世界中に題目と御本尊と御書を弘めたのは、創価学会である。
 
 (「闘魂TALK」はこちら

〈大慈悲の心音 門下への便り〉 南条時光④=完2024年6月25日

 20代を迎えた南条時光。「熱原の法難」での奮闘から間もなく、次々と試練の嵐が襲いかかりました。弟との死別、自身の大病……。それでも一歩も退くことなく、誓いのままに、敢然と立ち向かっていった時光の闘争の背景には、いかなる時も弟子を温かく見守り続ける日蓮大聖人の存在がありました。
 晩年の大聖人は、広布の命脈を継ぐ時光が苦境を開けるよう、“本物の信心”の姿勢をたたえるなど、励ましを送ります。師の慈愛の言葉に勇み立った時光は、眼前の課題を乗り越え、後継の人材へと成長していったのです。
 弘安5年(1282年)10月13日、妙法流布に生き抜かれた大聖人は、61歳の崇高な御生涯を閉じられました。大聖人の御入滅後、時光は、師匠と結んだ“心の絆”を、生涯、忘れることはありませんでした。
 正応2年(1289年)、大聖人の精神を守り伝えるため、謗法に染まった身延を離れた日興上人を、時光は上野郷の自邸に招きます。日興上人は隣接地で弟子の訓育に力を注ぎました。日興上人のもと、大聖人の大願の実現へ、同志の“団結の要”として純粋な信心を貫いた時光は、後に官職を得るなど、武士としても社会的な立場を確立しました。
 「時光を見習っていけ」――戸田先生の言葉の通り、師弟不二に生き抜いた時光は、門下の鑑として後世の人々に仰がれているのです。

生死の苦悩を越える仏法の哲理

御文

 故五郎殿も、今は霊山浄土にまいりあわせ給いて、故殿に御こうべをなでられさせ給うべしとおもいやり候えば、涙かきあえられず。(春初御消息、新1929・全1585)

通解

 亡くなられた五郎殿も、(兄の信心に包まれ)今、霊山浄土で父に頭をなでられているだろうと思えば、涙を抑えられない。

 ◇ ◇ ◇

 最愛の家族に先立たれる悲しみほど、深いものはありません。弘安3年(1280年)、時光夫妻に、家を継ぐ男児が誕生し、一家が祝福に包まれる中、思いもよらぬ試練が襲います。時光の弟・五郎が突然、16歳の若さで霊山に旅立ったのです。
 その直前、時光は五郎を伴って、身延の大聖人の元を訪れていました。大聖人は立派な若人に成長した五郎に対して、「あっぱれ、肝がすわった素晴らしい青年であることよ」(新1903・全1567、通解)と、限りない期待を寄せられていたのです。
 共に妙法流布に生き抜く未来を思い描いていた弟の早世に直面し、時光の悲嘆はいかばかりであったか。訃報に接した大聖人は時光に、「夢か夢か、幻か幻かと疑い、噓ではないのかと思った」(新1904・全1566、通解)と、時光に寄り添うように御心境をつづられています。
 後年に著された本抄では、“五郎が霊山で、父に頭をなでられているだろう”と励ましを送られています。かつて時光の父が亡くなった折、五郎は母の胎内にいました。生前、巡り合うことができなかった家族が、信心という一点でつながり、三世にわたって永遠に結ばれていく――。大聖人の慈愛の言々句々が、悲哀に沈む時光の心に希望の光を差し込んだことでしょう。
 今世での愛別離苦があっても、信心で結ばれた故人との生命の絆がある限り、いかなる苦難にも屈しない。日蓮仏法の深遠な生命観に基づいた価値創造の生き方は、生死の苦悩を乗り越える哲理として輝きを放っています。

愛弟子を思う師匠の師子吼

御文

 鬼神めらめ、この人をなやますは、剣をさかさまにのむか、また大火をいだくか、三世十方の仏の大怨敵となるか。あなかしこ、あなかしこ。この人のやまいをたちまちになおして、かえりてまぼりとなりて、鬼道の大苦をぬくべきか。(法華証明抄、新1931・全1587)

通解

 鬼神どもよ。この人(=時光)を悩ますとは、剣を逆さまに飲むのか、自ら大火を抱くのか、三世十方の仏の大怨敵となるというのか。まことに恐れるべきである。この人の病をすぐに治して、反対に、この人の守りとなって餓鬼道の大きな苦しみから免れるべきではないか。

 ◇ ◇ ◇

 弘安5年(1282年)、24歳の時光は重い病を患いました。大聖人が亡くなられる8カ月前のことです。
 当時、大聖人も体調を崩されていましたが、時光の病状を案じられ、病身を押して本抄の筆を執られました。
 「鬼神めらめ」との叫びで始まる一節には、大聖人御自身が体を悪くされていることを微塵も感じさせないような、怒りにも似た覇気がほとばしっています。愛弟子を襲う死魔を打ち破ろうと、命を削る思いで鬼神を叱責する師匠の師子吼に触れ、病床の時光は、生命力を蘇らせたに違いありません。
 その後、更賜寿命を果たした時光は、大聖人滅後の50年を生き抜き、日蓮門下を陰に陽に支える“要の存在”として奮闘しました。
 師の心に呼応し、弟子が勝利を開く――。この師弟一体の前進こそ、創価の連帯に脈打つ不滅の魂なのです。

〈SDGs×SEIKYO〉 解説編「誰もが働きやすい社会に」2024年6月25日

 「SDGs×SEIKYO」の解説編「ちーちゃんと考える 未来のカタチ」。今回のテーマは、SDGs(持続可能な開発目標)の目標8「働きがいも経済成長も」です。誰もがやりがいを持って働ける社会について考えます。

「誰もが働きやすいと思える未来へ」 作・迎朝子

「誰もが働きやすいと思える未来へ」 作・迎朝子

 しまった! 忘れてた!

 どうしたの?

 明日までにやらなきゃいけない、学校の宿題を思い出した! 母さん、ちょっといいかなあ?

 大丈夫よ。

 学校の「キャリア学習」の授業で、働く大人にインタビューをするっていう宿題が出たんだ。母さんはヘルパーの仕事をやっていて、やりがいを感じるのはどんな時?

 利用者さんや、そのご家族に「ありがとう」と言われた時かな。“誰かのために働けた”と思うと、やりがいを感じるよね。

 そっか。母さんは人の役に立てた時にうれしく感じるんだね。じゃあ、父さんは会社に勤めながら、働いていて大変だと思うことはある?

 そうだな……。残業が多いことと、休みが取りづらいことかな。

 どうして残業が多いの?

 うーん、人手不足っていうこともあるんだけど、みんながまだ残って仕事しているのに、自分だけ先に帰るのは悪いなって思ったりしてね。

 そうなんだ……。

 それでも、以前に比べれば残業も減ったし、有給休暇なんかも取りやすくなったかな。長時間労働の弊害が指摘されて、「ワークライフバランス」が重視されるようになってきたからね。

 「ワークライフバランス」って?

 仕事と生活の調和を図ることだよ。仕事だけじゃなく、育児や介護、家族と余暇を過ごしたり、趣味を楽しんだりといった時間を大事にできる労働環境が求められているんだ。最近では、男性の「育児休業」も促進されている。
 SDGsの目標8には“若者や障がい者を含む全ての女性と男性にとって、働きがいのある人間らしい仕事を実現する”とある。日本で進められている「働き方改革」も、一人一人がより人間らしい、豊かな生活を実現するためのものなんだ。

 なるほど。最近は、女性の社会進出も進んでいるよね。

 でも、まだ課題も多いの。女性は男性に比べて20%以上も賃金が低いし、企業の管理職(課長級以上)に就く割合は13%ぐらいしかない。女性の出産や育児に伴う休業制度も整備されてきたけど、男性と同じようにキャリアを積んでいけるかというと、実際は難しい場合が多いんだ。
 こうした不平等をなくしていかないといけない。ワラクが大人になる頃には、もっと働きやすくなっているといいね。

 うん。私の夢は「歌って踊れる通訳」になることだから!

 障がい者の方の雇用を進めることも大切だ。ワラクは「サイニングストア」って聞いたことないかな? 聴覚障がいのある店員さんが、手話や筆談を使って注文を取ったり、案内をしたり……。

 テレビで紹介されているのを見たことがあるよ。皆さん、とても楽しそうに仕事をしていたなあ。

 そうだね。年齢や性別、障がいの有無などにかかわらず、誰もが平等に、やりがいをもって働ける――それが目指すべき社会の姿だと思う。
あれ、宿題の趣旨からは少しそれちゃったかな?

 大丈夫。とても勉強になったよ。あ、もうこんな時間だ。急いでインタビューをまとめなきゃ!

  
  
※ご感想をお寄せください
sdgs@seikyo-np.jp
  
※聖教電子版の「SDGs」特集ページが閲覧できます。
https://www.seikyoonline.com/summarize/sdgs_seikyo.html

6・25「幸福城部の日」 人間共和の園を永遠に2024年6月25日

 昨年9月に新出発した「幸福城部」が、きょう「部の日」を迎えた。永遠に師の心を胸に、愛する団地を“人間共和の園に”と信頼の輪を広げる模範の友の取り組みを紹介する。

埼玉・八潮団地

地域のための催しで信頼を拡大

八潮団地で信頼と友情の輪を広げる同志が、さらなる前進の誓いを込めて

八潮団地で信頼と友情の輪を広げる同志が、さらなる前進の誓いを込めて

 埼玉県の東南部に位置し、東京都と隣接する八潮市。市の北側を走る東京外環自動車道の近くに、市内唯一のUR賃貸住宅「八潮団地」がある。
 
 1971年(昭和46年)に入居を開始した同団地。当初は子育て世代の家族が多く、自治会や子ども会などの活動が活発だった。しかし、高齢化の影響もあり、月日がたつにつれて自治会員が減少。子ども会だけでなく、老人会の活動も次第になくなっていった。
 
 幸福城部の友は、そんな団地の課題に真っ向から挑み、希望の光を広げている。
 
 先月には、団地内で「春の健康フェスティバル」を開催。阿波踊りの団体を招待するなど目玉企画も好評で、当日は大勢の近隣住民が参加し、大成功のイベントとなった。
 
 イベントを推進する力となったのが、手作りのチラシとポスター。作製したのは、市岡照子さん(八潮栄光支部、支部副女性部長兼白ゆり長)だ。創価大学通信教育部での学びを通してパソコンの技術を習得し、今ではイラストや写真を用いてチラシなどを作製できるまでになった。
 
 市岡さんは、同団地に住み続けて約半世紀。誰にでも気さくに声をかけ、住民から「団地で市岡さんを知らない人はいない」と言われるほどである。
 
 団地に入居してから学会に入会し、団地に住む同志と共に学会活動に励んできた。

自治会役員として活躍する友が笑顔で語らう(左から名取さん、市岡さん、小松崎さん、加島義江さん・末雄さん夫妻)

自治会役員として活躍する友が笑顔で語らう(左から名取さん、市岡さん、小松崎さん、加島義江さん・末雄さん夫妻)

 “大好きな団地の皆さんが、生きがいを持って暮らしてほしい”との思いから、約20年前から自治会役員の活動を続けている。
 
 当初は「住民同士の交流の場を設けたい」と提案しても理解を得られず、受け入れてもらえなかった。しかし、誠実に地道に自治会活動に取り組むことで、次第に市岡さんの提案に賛同する人たちが出てきた。
 
 その信頼が実を結び、市立保健センターが協力する「八潮いこい体操」と、市社会福祉協議会が推進する「ふれあいサロン」を団地内に立ち上げることができた。
 
 どちらの集いも市岡さんが手作りでポスターを作製し、住民に参加を呼びかけた。ふれあいサロンでは、皆に楽しかったと言ってもらえるように工夫を凝らし、手品や特殊詐欺撃退講習などの企画を考案。最初は数人だった参加者が次第に増え、多い時には40人前後が集うように。今でも毎月、活発に取り組んでいる。
 
 また団地内の高齢者同士が、互いの特技を生かして生活を助け合う活動も積極的に。
 
 同じく自治会役員を務める小松崎訓代さん(支部副女性部長)や、名取陽子さん(女性部副本部長兼地区女性部長)らと地道な活動を続ける中、かつての活気が団地に戻ってきたと話題だ。
 
 市岡さんは笑顔で語る。「体操やサロンを通して、団地内で声をかけ合い、談笑する人が増えたんです。うれしいですね」
 
 友情の花を咲かせて、心豊かな人生を――池田先生が幸福城部に贈った指針を胸に、市岡さんら八潮団地の友は、団地中に笑顔の花を咲かせていく。

兵庫・房王寺住宅

ボランティア活動で住民を支援

房王寺住宅を舞台に、学会理解の裾野を広げる友が決意にあふれて

房王寺住宅を舞台に、学会理解の裾野を広げる友が決意にあふれて

 瀬戸内海を望み、六甲の山並みを背にする兵庫県神戸市。阪神・淡路大震災〈1995年(平成7年)1月〉を乗り越え、同市は今、多様性と国際性に富んだ都市として、活気に満ちあふれている。
 
 池田先生は2000年(同12年)2月29日、兵庫・長田文化会館を訪問。震災で最愛の家族や友人を失った友に励ましを送った。「人生は戦いです。幸福になるための戦いです」「どうか朗らかに! 朗らかな人には、だれもかなわない」
 
 同志は甚大な被害を受けながらも、師の励ましを胸に“負けたらあかん”の魂で歩みを進めてきた。
 
 同市長田区の房王寺住宅で広布に走る同志にも、友の幸福に尽くす先輩たちが築き上げた、地域貢献の伝統が力強く脈打っている。
 
 「ボランティアを“する側”の人間じゃなかったんですけどね。いつの間にかどっぷり漬かってしまいました(笑)」と語るのは、齋藤広さん(長田友舞支部、副支部長兼地区部長)だ。同住宅で自治会長代理を務めながら、ボランティア団体「房王寺さくら会 家事生活支援」の副会長として活動に励んでいる。
 
 さくら会の活動は、草刈りやゴミ出しのサポートをはじめ、多岐にわたる。高齢化が進む同住宅にあって、生活を支える充実のサービスに住民の喜びが広がっている。
 
 齋藤さんは、「『この御本尊全く余所に求むることなかれ。ただ我ら衆生の法華経を持って南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり』(新2088・全1244)の御文を心肝に染め、誠実な振る舞いを心がけてきました」と語る。

壮年部の同志と和やかに語り合う齋藤さん(右から2人目)。誰一人置き去りにしない地域づくりを目指して意見を交わす

壮年部の同志と和やかに語り合う齋藤さん(右から2人目)。誰一人置き去りにしない地域づくりを目指して意見を交わす

 近隣の住民と齋藤さんが顔を合わせると、すぐに“困りごと”の共有が始まる。地域の安穏と繁栄を真剣に願うからこそ、時間・場所にとらわれずに“会議”が行われる。そして、齋藤さんが中心となって住民の意見をまとめ、すぐに行動し、問題を解決していく。
 
 さくら会の活動は同住宅にとどまらず、区内でも行われており、誠実な取り組みに信頼が高まっている。
 
 友の声に耳を傾け、具体的な行動に移していく――その姿は歴代の先輩たちの振る舞いから学んだという。
 
 同住宅では、今も昔も多くの同志が信心に励む。強盛な祈りを根本に苦難に挑む友を励まし、勇気の行動を起こしている。工夫を凝らした座談会もにぎやかに開かれている。
 
 そんな広布の闘志たちの心に、深く刻まれている光景がある。それは1964年(昭和39年)9月13日、先生が出席した兵庫総合本部(当時)結成大会。席上、先生は「大阪の戦い」を通し、「祈りとして叶わざるなしである。私は長として、御本尊に願い切っていこう、働き切っていこう、会員のために勝ち切っていこう、この決心だった」と、中心者の一念の重要性を訴えた。
 
 齋藤さんをはじめ房王寺住宅の同志は“一人一人が、わが地域の幸福責任者”との自覚で団結固く前進する。その胸には、さらなる地域貢献への誓いが燃えている。

フランス文化省主催のイベントでユゴー文学記念館を市民に公開2024年6月25日

「自由」「平等」「友愛」の精神を伝えるビクトル・ユゴー文学記念館。ロマン派の旗手であった若きユゴーが訪れた歴史的建造物である

「自由」「平等」「友愛」の精神を伝えるビクトル・ユゴー文学記念館。ロマン派の旗手であった若きユゴーが訪れた歴史的建造物である

 フランス全土の2200以上の公園や庭園などを市民に公開する「ランデヴー・オ・ジャルダン」(主催=フランス文化省)が5月31日から6月2日(現地時間)まで行われ、各地でイベントが催された。池田大作先生が創立した「ビクトル・ユゴー文学記念館」(ビエーブル市)もこれに加わり、1、2の両日、一般公開した。
 
 期間中、フランスSGI(創価学会インタナショナル)のメンバーである俳優が文豪ビクトル・ユゴーの作品を朗読するなど、多くの来場者を歓迎。友好の輪が大きく広がった。
 

フランスSGIのメンバーが、同館の庭園に立つ塔の前でユゴーの詩を朗読(2日)

フランスSGIのメンバーが、同館の庭園に立つ塔の前でユゴーの詩を朗読(2日)

 約6500点もの文豪ゆかりの品を所蔵する同館は現在、フランスSGIの文化法人ACSF(フランス創価文化協会)が所有し、公益事業として運営する。
 
 1991年(平成3年)6月21日、同館の開館式に出席した池田先生は語った。「私は何よりもまず、この記念館が地域の方々に親しまれ、大いに地域に貢献していくことを願っております」
 
 今月で開館33年を迎え、これまで約28万人の人々が来館。ユゴーの精神を宣揚する同記念館は、地域に開かれた“文化の城”として輝いている。