木星/冥王星 Se(セプタイル)の事例はあまり見かけないので参考になる。
木星/冥王星 Se(セプタイル)の事例はあまり見かけないので参考になる。
【以下コピペ】
「特異能力といって、なにか、その他の能力を期待すると思います。大体、それらがオカルトやカルトに
属します。そして、妄想に終わります。あるいは、"ただのへんな人"です。大体、これで、大抵の気功鍛錬は、甲斐なく終了してしまいます。」
【コピペ以上】
彼またやらかしてますね。
オカルトとカルトという異なる概念の相違が全く分かってないわけです。
学問がないということは恥にも繋がります。無学の癖にデカい面していると恥をかくことになりますよ。
マザー・テレサが凡人であることに気付く眼力もない凡人さん。
あなたにあるのは、気功の練功を含め"行"を長時間こなす能力だけです。
マザー・テレサと呼ばれるカトリック修道女は、世界中では霊性の高い聖女として扱われている。
カトリック教会も異例の速度で列福し、そして列聖した。
カトリックには世界中の基督教信仰が形骸化している中、良き仕え人として働いたということで、世界中の信徒のお手本としたかったのだろう。
だが、彼女は、十字架に懸かって復活しおおせた後の私の目から見てもそうなのだが、その数年後に西洋占星術家から教わった直居サビアンという技法を用いて鑑定しても、凡人としか思えない。霊性の高い度数が見られないのである。
このような人物を持ち上げているようでは、その人(件のデカい口を効いている気功家のことです)の目は節穴であることを意味する。
またマザー・テレサは晩年、書簡の中で孤独に苦しんでいたことが明らかになっている。これは実は"凡人"を通り越して"凡俗"レベルである。
実際比叡山の21年籠山行を達成した行者さんも、NHKのインタビュアーから「孤独を感じませんでしたか?」と問われ、「いや孤独は全く感じなかった。それは常に人々の奉仕の為に仕えることばかりを考えていたからだ」というものだった。
私もこの15年間以上の年数、ずっと家に閉じこもって生活しているが、全く孤独を感じない。それは2002年以来20年以上ずっと「私を一切の他者に仕える者としてください」その他、バーバラ・アン・ブレナンの5つのアファーメーションをヒントに、
「私は神に自分の意志を委ねる」。
「私は自己のハートと魂を神に手渡す」。
「私は人生の最高目的の為に奉仕する」。
「私は人生で最高のものを受け取るに値する」。
「私は神の神聖な顕現である」。
と、合計6項目の祈りを20年以上続けてきたからだ。
その他彼女と私の出来たことは、既に20年以上前の時点でも才能的にも雲泥の差があるのだが、個々で一々挙げても仕方が無い。
ともあれ、気功その他宗教の実践の能力」(占星術のホロスコープ上第6室に火星があると、崇山少林寺で教える、坐禅・武術・気功)を教えるが、その適性が出てくる。根っこは同じなのだ。
件の気功家にはこの適性が非常にあり、その点は立派なのだが、宗教はそれだけで極められるものではない。
やはり、霊性の高い度数を幾つも持っている必要がある。勘違い・思い違いをしてはならない。思い上がってはならない。
世の中、少し他の人に秀でた面がある人には「自分よりスゴイ人間はこの世にはいない」と思い込むサガがあるようだ。だがこれは大きな落とし穴になる。この人も、そしてなんぴともゆめゆめ思い上がってはならない。そうでないといつか必ず痛い目に遭う日が来る。
リブログした下記記述によると、↓
「不動宮の牡牛座・獅子座・蠍座・水瓶座の15度地点は、
日常において無意識に分離している魂と思考、感情、肉体を統合するエネルギーを吸収し、
神の姿として復活する為の入り口になっているという事なんです。」
とのこと。そして、
「 最終的には、復活し、統合(天昇)する事にエネルギーが向かっています。」
とというのこと。
松村潔は「固定宮15度には宇宙からの大きなエネルギーが流入する」と言っている。
固定宮15度に興味があるなら、こちらの記事も読んでおいた方が良さげ。
かの気功家(としては一級の人物ではあるが、自分こそが真理を掴んだ人間であると思い上がっている人物)さん、またやらかしてますね。
- 臨済宗を中興した白隠が、京都北山へ、白仙子をたずねたとき、机上にのっていたのは、「老子」と「易経」。そのくらいだったと思います。たった、これだけ読んでいる隠者が、日本の禅宗を助けたことになります。-
これはごく初歩的な事実誤認である。
白隠禅師に『軟酥の法』を教授した白幽子の机上にあった3冊の本は、「老子」「金剛般若経」「中庸」である。
白状すると実は私も20年もの間『易経』『老子』『般若心経』と記憶違いしていた。何故「易経」と誤解していたのかというと、私自身が易経を(老子と同様に)非常に重視してきた人間だからである。
白幽子のわずか三冊の蔵書の一つが「易経」だった、というと実に尤もらしく聞こえる。だがこれは事実とは違うのだ。私も10年以上前にこの記憶違いに気付いた時に意外の念を持ったことを記憶している。
以前書いたものを蒸し返すことになるけど、彼は以前各宗教の聖典の一つとして聖書、しかもよりによって旧約聖書までを挙げて「これら全てを読んでから宗教を語りなさい」などと書いている。でも、そもそも聖書なんて難解極まりない文書(これが極めて難解であること自体が分かりにくい点が聖書の恐ろしい点である)を、この人が1,000年かけても理解出来るものではないから、恥をかかないうちに態度を改めた方が良いとも思う。ま、この人が私の才能と力量を見切ることは不可能ですが。
世の中には"一寸スゴい人"は案外大勢いる。そしてこういった人たちの共通項は、「世の中には自分よりももっとスゴい人間がいる」と思わない点である。そしてやたらと他者をバカよばわりする。こういう手合いは実は結構多い。
逆に私はというと、20世紀のうちに才能を開花して、人類を代表する一つの古典を極めた立場になった後、「他人様に対して『上には上がいるってもんだ。気をつけろ!』という言葉を他人様にむけて言うまい」と心に決めた。
それから20年以上経っているが、現時点まで未だこれを未だ破っていないことは幸いだと思っている。
そして、現在でも常に自分が知らないことを知っている人に対して、相応の敬意を払うよう心がけている。彼にこれが出来る日がいつ来ることやら・・・・。
いつも「自分だけが真理を掴んでいる」と言わんばかりの口調で書いている気功家さん。
>観音経でしたら、すこしがんばれば、だれでも読めますね。
>法華経普門品(ホウッケキョウ・フモンボン)です。
>もっと楽をしたければ、観音経の中の百字偈(ヒャクジノゲ)だけ、毎日、読んでもいいです。
観音経の中でも"偈"で5分。
これなら確かに忙しいサラリーマンでも誰でも毎日読めるでしょう。
っていうか、この人何言ってるんですかね。
"百字偈"と言ったら理趣經でしょうが。
- 真言密教も当然、超能力ですが、真言行がたいへんなことくらいは、一般的によく知られているような虚空蔵求聞持報告(こくうぞうぐもんじほう)でも、あれは何遍でしたか、30万遍(回)でしたか、ともかく、たいへんですね。 -
あのですね、虚空蔵求聞持法ばかりは1単位が108万遍と昔から決まってるのですよ。
あれは厳しくて30万遍では許して貰えないところがキツイところ。
中途半端な知識で偉そうに他人様に教えてはいけません。どうもこの人の言う事は目に余る箇所が多い。
気功については専門家なのは分かるけど、佛教の話まで素人愛好家の半端な知識でしたり顔して教えないで欲しい。これでは最早読み手に対する罪悪ですよ。
この人は一体だれから佛教学を習ったのか?問いたいくらいである。
ま、いたら師匠の恥になるだろうけど。
アメブロで、
「法界定印」を書き間違えて「法界上印」と記載し、
「旧約聖書」を誤って「旧訳」と記す。
別の時には、
「沙門」を「しゃもん」と読むべきを「さもん」と読み、
「愚禿」を「ぐとく」と読めずに「ぐしゅう」と読む。
普段「自分はなんでも知っている」「自分こそが真理を掴んでいる」と言わんばかりの態度で世の中の人を莫迦にした態度でブログを書いていながら、この体たらくではミットモナイとしか言いようがない。
2012年12月にもどうこうという話はあったが、どうやら段階的・螺旋状に事態は進行していくものなのかもしれない。
自分も占星術のホロスコープからサビアンという技法で読んでいくと、自分も初めから決まっている筋書きを演じさせられる人生を送っている気がする。