○○の条件を満たしていない人を非難する。
○○が出来ない人を排除しようとする。
そういう人間って本当は、日常的に自分自身を責めている。
自分の心と体を犠牲にしてでも
○○の条件を満たさなければ、と思ってる。
それが出来なかったら、自分に存在価値は与えられないと、
愛されないと思っている。
自分をそういうふうに扱っているから、他者の存在も同じようにジャッジしようとする。
相模原の障害者施設でおこった殺傷事件の容疑者が
どんな生育環境で過ごしたかは分からないけれど
上記のような心理のはたらきは多分、あったと思う。
今年2月ごろの、彼の発言で
「障害者は周りの人を不幸にする。いないほうがいい」
というのがあって、多くの人がこれを
奢りたかぶったとんでもない思想で、矯正するべきだと意見している。
でも重要なポイントはきっと、そこじゃなくて
容疑者は自分のことを
「周りの人を不幸にする、いないほうがいい存在」だと考えていたんだろうと思う。
矯正するなら、そっちの方だ。
本当は、
○○の条件を満たさなくても自分は大切な存在だった
○○が出来なくても愛される存在だった
出来ないことがたくさんあっても大丈夫なんだ、って
条件に関係なく自分を大切だと思うこと。
自分と仲良しになれたら、そこではじめて
世界の人々の多様性を自然に受け止める基盤ができるんだよね。
それを思い出さなくちゃね。
と、言っても
実現できるのは容疑者自身しかいないんだけどね・・・