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時間に縛られない編集者のブログ

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いま気になる「なぜ?」「どうして?」を考える

『あ~あれから40年』といえば綾小路きみまろ。長い間夫婦生活を続けていると、もう一緒にいるのはイヤ。『同じ墓になど、入らない!』、と思う夫婦があっても不思議ではありません。

 

そんな社会状況の中にあり、同じ墓どころか、『同じ骨壺に入れてくれるように』と言い残した人がいます。作家・藤原ていさんです。夫は有名作家・新田次郎さん。ご夫婦そろって作家として活躍しました。

 

藤原ていさんは、先月15日に98歳で亡くなりました。

新田次郎さんは、すでに1980年に突然亡くなり、すでに37年たっています。

 

このご夫婦の息子さんに藤原正彦さんがいます。『国家の品格』を書いた数学者です。

満州で生まれた正彦さんは、当時3歳でした。この時に終戦協定を破って侵略してきたソ連軍から逃げるために、ていさんは、母親一人の手で、3人の子どもを日本まで連れ帰ったのです。地獄のような、死と隣り合わせの逃避行でした。

 

乞食のようなことまでしないと、とても生きていけない時代です。父の新田次郎さんは、満州気象台の残務処理で一緒には帰れなかったのです。

 

夫婦仲は見かけ程よくなかったようですが、実際は、まるで逆でした。突然亡くなった夫に気落ちし、家族は何くれとなく面倒を見、心配をしていました。そんな時に、正彦さんが『わが夫・新田次郎』という母親の書いた作品の中に、『自分が死んだら、お父さんの骨の上に自分の骨を重ねてほしい』と書いていたのを見つけたのです。

 

新田次郎さんが亡くなった時に、ていさんは、そのつもりで、大きめの骨壺を準備していたのです。

 

息子さんたちは母親の希望通り、母親の遺言に備え、近々、遺骨を一つに移すそうです。感動的な話です。

 

藤原正彦さんとは本を作りました。本人からも様々な話を聞いていました。それだけに、母を失った悲しみはどれほどか良く分かります。

 

同時に、遺言に従って、ひとつの骨壺に埋葬する思い、息子としての気くばりに感動を覚えるのです。

 

☆☆

もし、夢の中で宝くじが当たり、思いがけず大金が入ったとしたら、どうしますか?

私は、夢が長く続いてほしいと思います。夢だと分かっているからです。

 

ジャッキーチェーンのように、空中を飛び回り、敵をやっつけることができる能力があったら、私はオリンピック選手になりたいと思います。

 

その方が、爽やかだし、みんなから喝さいを受けます。想像することは、とても楽しいことです。

しかし現実にはそんなことは出来ません。まあ、宝くじもいちばん下の賞は当たるでしょうが、Ⅰ万円だってなかなか当たりませんよね。

 

理想と現実はかなり違います。

江戸時代に、犯罪者を自白させるためにさまざまな拷問器具が作り出されました。

三角形の木の棒を足の膝の間に挟み、座らせ、その上から石の重しを置くなど、怖いものがたくさん発明されました。明治大学の博物館にはそんな拷問器具が収蔵されています。

 

中でも生爪を剥ぐという拷問はどれだけ痛いものか、考えるだけで気絶しそうです。

いや、考えるから怖くて痛いのです。

 

抗がん剤の影響で、今、私の指先の痺れは、痺れを通りこし、生爪が剥がれそうになっています。特に親指、人差し指、中指の3本は、皮膚と爪の間が開き、そこに黴菌が入ったら、指先が溶けてなくなってしまうのではないかとさえ思えるようになっています。

 

手のひらの痺れと共に、生爪がいまにも剥がれるのではないかという状態になっているのです。爪の先からは、黄色みがかった液体が染み出てきて、とても痛いのです。

 

想像してみてください。とても我慢が出来ないでしょ。副作用の中で、一番つらいのがこの指先の痺れと痛さです。

 

とは言え、こうしてキーボードを使って文章を書いているですから、我慢のできない痛みではありません。

 

きっとこの文章を読んでいる人の方がよほど『痛い!』と感じているのではないでしょうか。

 

拷問の効果は、人間の想像力に働きかけることによって抑止力を生んできたのです。現実はさほどのことではないにもかかわらず、空想し、想像することによって増幅させることができたのです。

 

想像し、空想する力は、人間だけに与えられた才能です。動物たちにはありません。だから人間は絵を描き、文章を書き、相手に自分の気持ちを伝えたのです。現実より、想像の力の方が、大切だったのです。

 

とは言え、早くこの不定愁訴を取り去りたいのです。がんを取るか、指先の痺れを取るか?

『痛いの痛いの、どっちも飛んで行け~』という心境です。

 

総武本線にある、幕張本郷駅は、私の家の最寄駅です。津田沼駅と幕張駅の間にできた新しい駅で、これと言って変わった店があるとか、名所旧跡があるところではありません。

 

その中にあって、ちょっとした有名な中華料理屋さんがあります。私もよく食べに行きましたが、ある時から突然、若い女性で一杯になるようになりました。

 

そこが嵐の相葉君の両親のやっている店だと気が付いたのは、かなりたってからでした。混雑してくるとどんなお店でも味が落ちると言います。そのお店もそうだとは言いませんが、一時の混雑の時は、とても行こうと思いませんでした。

 

56年もたつでしょうか。今日、本当に久しぶりに行ってみました。混んでいたら止めようと思っていたのは当然です。しかし、ラッキーなことに、空いていました。

 

店の作りは同じですが、メニューも変わっています。当然、味も変わっているのだあろうな、と思いました。変わらなかったのは、待たされる時間だけでした。普通のお店より長く待たされます。まあ、先客もいるわけですから、仕方がありません。

 

メニューのノートも変わりました。注文が決まると、このメニューは下げられてしまいます。きっとお客さんが、待っている間にスマホで写真を撮り、ブログにアップするのでしょう。

 

値段はいわば企業秘密。公開されるのはまずいと思うのでしょうが、どうもそれだけではないようです。人気者店として、突っ込まれることがあってはいけない、という気配りがあるのようです。

 

店の前の通路には、『写真を撮ってもかまいませんが、他のお客様や従業員の写真は撮らないでください』と注意書きがありました。それもきっと相葉君の両親の店とは言え、多少そのことを宣伝として使っている、後ろめたさのようなものがあるのかもしれません。

 

さて味は昔とは全く違っていました。正直言えば ◎◎い!

最後にでてきた無料のジャスミン茶は、小さい器なのに、熱くて持てない。コース料理の最後に出てきたライチは凍っていてガリガリ。

 

凍ったライチをジャスミン茶に入れ、しばらくしてから飲んだり食べたりしないと、とてもとても。

さて、そんな有名店、幕張本郷にはありますよ。

 

最近の文章は、短く簡潔に書いたものが人気になっています。

長々と、なかなか結論の出ない文章は、読んでいる方に苦痛を与えるだけで、すっきりした美しさがありません。

 

『重』より『軽』が人気です。私の文章も、どうも、長々と書いてしまい、ある時に『もっと短いほうが良いよ』と意見をしてくれる人が現れました。

 

はっとしました。自分では長く書いているつもりはないのに、人からは長いと言われる。これではいけないと、その後から、文章は短く、をモットーーにするようにしました。

 

ところが『車は急に止まれない』のです。気付かずにいると、どんどん長くなってしまいます。つまり、何を言いたいのか分からなくなってしまうのです。

 

特にブログなどその最たるもので、好きに書いていました。きっと付き合わされていた人は、迷惑だったことでしょう。

 

ところが、がんが見つかり、副作用で、指先の痺れが激しくなると、ミスタッチが多くなってきました。せっかく書いた文章でも、読み直してみると、書いた本人さえ、何を書いたのかわからないほど、メチャクチャなものになっているのです。

 

変換ミスではありません。機械は正しく変換しているから、ひらがなが一文字、無理して入ったり、漢字が来たり、カタカナが入ったりするのです。

 

え~なにこれ? このままでは相手に送れません。もう一度打ち直しです。しかし、またまた同じところでミスタッチし、いつまでたっても進まなくなってしまいました。

 

指先の痺れはそのたびごとにきつくなります。しばらく文章を書いたり、メールを送ったりするのは必要最低のことだけにしました。

 

こんな時に、短く書くコツを覚えていればよかったのです。ところが慣れは、なかなか治りません。キーボードを変えたり、場所を変えたりしましたが、うまくいきません。

そこで、いっそしばらく離れていようと思いました。

 

しかし、書くことだけは止めたくなかったので、3年物のデスクダイアリーには、シャープペンで痺れを我慢しながら書き続けました。

 

ところが、美しい文字は書けません。手紙も、自分の名前だけなら、書けますが、やはり長い文章は書けません。あれもこれもダメになりました。そして1か月、キーボードに触らずにいました。

 

年が明けてからやっと、痺れる指先を我慢しながら、文章をうつことにしました。ゆっくりやれば、ミスもありません。『急がば回れ』に気が付いたのです。

 

そんなことで、これからは短い文章にしようと思います。なあに、ブログは相手に生きていることさえ分かればいいのですから、何も素晴らしい文章でなくとも良いと開き直ったからです。

 

あれ、これもまた、ちょっと長くなってしまいました。ごめんなさいね。

何事も、一つのことを成し遂げるためには、相応の時間がかかるものです。

良く言い表される言葉に『桃、栗3年、柿8年、梨の馬鹿野郎、18』というものです。

 

どんなものでもそれだけ時間をかけないと、実が結ばない、つまり、まっとうになるためには、時間が必要だというわけです。

 

さて、いま、我が家ではユズの収穫に追われています。と言って栽培をしている訳ではありません。1本の木に、沢山の実が付き、熟してくると、ヒヨドリがやってきて、ついばんでいくのです。ひとつ二つは構いませんが、どうも、もったいない気がしてなりません。

 

桃栗三年で調べてみると、『柚の大馬鹿18』というのがありました。他にも、『9年で成り下がる』と9年説もあるようです。

 

柚がそんなに長い時間がかかるとは思えません。我が家のユズは、3年くらいで実が付いたはずです。もちろんこの諺、種を植えてから完熟の実が実るまで時間のことで、いま時は、苗で買って来たものは、たいてい接木されていており、間違いなく同じものが実り、実着きも早いのです。

 

それに、種から育でたのでは、遺伝子が分解し、親と同じ形質をそのまま受け継ぐことはほとんどないのです。だから今は接ぎ木で育てています。

 

そうすると、もう一つ、『サルカニ合戦』を思い出してしまいます。カニはせっせと種を植えて、水をあげ、ある時は『早く芽を出さないと、ちょん切るぞ!』と恫喝をして柿の種に成長を促します。

 

それでもきっと柿は8年かかけてやっと実をつけたのでしょうね。

カニは8歳、歳をとったことになります。すでにヨボヨボのカニですね。こうなったら、自分では取りに行けません。

 

しかももう一つ。遺伝子変異で、そのへんで拾ってきた柿の種から、見事な甘柿になったとは思えません。

せっかく木に登って柿の実を取ってあげたサルが、とんでもなく渋いカキだと知ったら、きっとがっかりして、投げつけたかもしれませんよね。当たりどこが悪く、年老いたカニはそのまま成仏。

 

さて、物語がこんな筋だったらどうでしょう。8年という時間、相当長いですよね。

我が家の柚も、サルカニ合戦の柿もよく調べると、意外な話が埋もれているかもしれません。