日常的スピリチュアル、安田です。


今の基準に満足をしてしまうと
それ以上、基準を上げることが
できなくなってしまい
成長することができなくなります。

成長することに対して
妥協することができなくなれば
成長し続けることができるのです。

成長というのは
分かりにくいのですが
昨日より今日、今日より明日
というように

努力を積み重ねていくことで
成長することができるのです。

常に最善を尽くし続けていくには
今の基準に満足をしないで
基準を上げ続けていくことを
目指す意識が必要なのです。

成長欲求というのは
上限なく満たし続けることができ

どんなに成長していても
妥協しないことで
満たし続けることができます。

「今よりも成長したい」という欲求は
誰でも持っているのであり
その欲求は努力を続けることで
満たすことができるのです。

成長することを
目指していくことで
今の基準では満足できなくなり

今よりも高い基準を
目指すようになるのです。

同じようなことを続けても
飽きずに、マンネリ化せずに
惰性的にならない人は
常に高い基準を目指しているのです。

それこそ、満足をしたことがないので
高い基準を目指し続ける
ことができるのです。

現実の歩みというのは
同じようなことを
続けているのですが

より投入する感覚での歩みができれば
マンネリ化することなく
歩み続けることができるのです。

ただ、上限が決まっている
最善を尽くしても
同じ結果にしかならない歩みは

それ以上、基準を上げる
ことはできないのです。

上限が決まっていない
いくらでも高い基準を
目指し続ける分野は

これからの時代でも
残っていくのです。

今の基準に満足ができなければ
基準を上げていくことを
自然に目指すことができ
妥協できなくなるのです。

自分を成長させるのは
自己責任なのですが

成長することに
妥協しなければ
成長し続けることができます。

私たちは自分の努力しかできないので
自分の努力を続けていけばいいのです。

自分の努力を続けながら
高い基準を目指すことで
どこまでも成長し続けることが
できるようになるのです。

時代の基準が上がることで
私たちの基準も上げることができ
基準を上げていかないことが
リスクになっていくのです。

今の時代に厳しさを感じるのは
時代の基準に追いついていないので
基準のギャップから
厳しさを感じてしまうのです。

時代が私たちの基準に
合わせてくれることは
絶対にありません。

私たちが時代の基準に
合わせていくしかないのです。

本来の基準では
長く生きれば生きるほど
より成長していたのですが

成長につながる歩みが
できなかったのです。

あるいは、努力ができなかった
続けることができなかったので
成長できなかったのです。

誰かが悪いということではなく
単に自分の努力ができなかった
ということだけなのです。

自分で自分を成長させることが
自己責任だということを
悟ることができなかったので
努力ができなかったのです。

今さら自分を責める
必要はないのですが
努力をしてこなかったという事実は
自覚していくべきなのです。

他の人がどうであれ
自分の努力ができていれば
成長し続けることができたのです。

今から成長していけばいいので
努力を始めて、続けていくことで
成長する方向に向かうことができます。

成長し続けていることを
実感していくことで
より高い基準を
目指し続けることができ

成長し続ける好循環を
つくることができるのです。

今の基準に満足をしない
成長することを妥協しないことで
新しい発想をし続けることができ
価値を生み出すことができ

より大きなことに貢献する歩みが
できるようになるのです。


今回も読んで頂きましてありがとうございました。

安田 悌