「やしこうってそういうタイプやったんや、知らんかったわ」

 

最近この言葉をよく耳にする。

 

どうやら僕は冷静で合理主義、淡々としたタイプと思われているらしい。

先日、人事の武内美香さん、同期で子会社社長をつとめる荒武とご飯に行った際に改めてそのことを実感した。

それをきっかけに、これまでの人生を振り返り発信することとした。

 

書くには恥ずかしいような挫折だらけの人生だが、僕の人生を通じ読者の皆に少しでも気づきと僕という人間を知ってもらえたらと思う。

 

では、はじめよう。

 

幼稚園〜小学校時代

僕は幼稚園でゴレンジャーでいうところの、黄レンジャーを激推しする我が道を行くタイプの子だった。

小学校入学後も、週4で友達を家に呼ぶ充実した日々。僕の人生は順調だった。

しかし、小学2年の頃に人生を激変する出来事が起きた。最愛の母が病死したのだ。

父親の仕事が忙しく、そこから弟と共に祖父母の家に預けられることとなった。

小さいながらに、弟の手本にならなくてはと感じた僕はいつしか

 

「自分の信じた道を行くタイプ」

 

でなく、

 

迷惑をかけぬよう周りに気を使い、

 

「自己主張をあまりしないタイプ」

 

になった。

 

周りに気を遣っているんだ、僕は大人なんだを言い訳に

 

自分で何も決められない、

「何でもいいよ。」が口癖の今思うと個性のないただの良いやつへの一歩を踏み出していた。

 

なぜかは知らないが小学校の勉強はできた僕は父親の計らいで中学受験を目指し、塾に通うこととなった。

通うこと3年。中学受験で第一志望に不合格。その日の帰りの悲しそうな父親の顔を見て「親に迷惑をかけてはいけない」その僕の考えはますます加速した。

幸い洛南という中高一貫校に合格することができた僕は神戸から京都という片道2時間弱という遠距離通学を始めることとなった。

 

中高時代。この頃の記憶は正直そんなにない。毎日なんとなく学校にいき、昼休みのサッカーとバスケット、体育を生きがいに学校に通う日々。自分の人生にこれといった目標も見出せずに、なんとなくレールの上を歩いている感覚があった。「いい大学にいけばいい会社にいけるのよ」祖母のその言葉をなんとなく信じ、進学校ということもあり、周りの受験モードに流されるように勉強をした。(今思うと、あれは勉強でなく、勉強をするフリをしていただけである。)

 

結果、第1志望の大学にまたもや不合格。

僕は国公立大学を目指し浪人生活へと突入する。

 

ここで僕は反省し、猛勉強した。

 

ということはなく、まだ受験まで1年あるな。と遊び倒した。

気づけば浪人生活は「やればできる」をスローガンにいつまでもやらない子になった。

案の定、またもや第1志望に不合格、拾って頂いた立命館大学に入学することとなった。

 

今振り返れば反省点だらけだが、口だけは本当ダメだと心から学んだ瞬間だった。

 

そうして僕は立命館大学の経営学部に入学する。

入学と同時に僕の頭にはこれまで育ててくれた祖父母、父への申し訳なさでいっぱいになった。

 

少しでも親を安心させたい。

 

その思いから、僕は公務員を目指すことにした。1回生の頃からリサーチを始め、2回生の夏前まで大学生活と並行して勉強を始めた。

 

2回生の夏の夜。父と将来のことを話すことがあった。

 

「父さんはお前に好きな道に行ってほしいと思っている。ここまではレールを用意したけど、ここからは自分で歩むんだ」

 

その時に僕は「自分は親のために〜を言い訳にしていただけだ。自分の意志で何もしてこなかったじゃないか」「そもそも弟の手本になるはずがダメな兄じゃないか」「かっこいい兄でいたい」と猛省した。

 

おじが経営者ということもあり、小さい頃から経営への憧れがあった僕は、大学内のビジネスコンテストに応募することにした。

3人チームで考えたが事業は優勝こそしなかったが、本気でチームで事業を考える体験に僕は熱中した。

 

その時の審査員の経営者の方のフィードバックが「どんな事業も始めなければ、意味がない。その点君たちの案は1番作れそうだ」と言われた。

 

「わかりました。来月にリリースします!」

コードというものを全く知らない僕らは無謀にもそう宣言した。

 

そこからはサービス開発に熱中した。

リリース日を決め、そこまでに出来なかったら撤退する。という基準を決め、仲間と2人で朝から晩まで、毎日開発に明け暮れた。

 

1ヶ月後、サービスをリリースし、数週間で僕たち2人は力尽きた。キャッシュが尽きたのだ。ユーザーとのチャネルがないサービスだったので、ユーザー数も予想より伸びず、サービスは畳むこととなった。

 

次は自分の足でサービスをユーザーに広められるサービスを作ろうと心に決めた。

 

そうして2回生の3月に立ち上げたのが、立命館大学のWEBメディアである。今度は自分の足で営業出来たため、順調にユーザーを伸ばすことができた。それを足がかりに僕は学生向けWEBの制作会社を起業する。

起業は苦難がありながらも、自分のやりたいことに挑戦できていたため楽しかった。

自分の仕事でユーザーに喜んで貰えることは凄く嬉しかった。

 

事業にさらに集中するため大学の休学を考えてた頃、僕はCEOの解任に追い込まれることとなった。

同時期に同棲していた彼女に振られ、精神状態は酷かったが、動きださないとますます酷くなる。

 

何かやれることはないか?と僕は就職活動を開始した。

就職活動を通じ、多くのステキな社会人にあり、自分が井の中の蛙になっていたことを痛感した。

 

その中でも尊敬できる社員さんの数が圧倒的に多く、若手にチャンスがある会社がサイバーエージェントだった。

 

「この人たちを超えたい」

 

くすぶっていた僕はここで全力を注ぎたいと思った。

 

僕は「サイバーエージェントの最高の仲間と子会社を立ち上げ、会社を代表するようなサービスを創る」ことを目標に入社することを決意した。

 

そして社内の新規事業コンテストで入賞し、今回子会社の設立に至ることとなった。

(かなり長くなってしまったので、詳しい立ち上げまでの経緯はまた後日に書かせて頂きたい)

 

僕は今、文字通りサイバーエージェントの最高の仲間と事業に向き合っている。

 

各部署で活躍するサイバーエージェントグループの仲間がいるからこそ、僕たちは挑戦の機会に立つことが出来ている。

さらに百戦錬磨の先輩方が事業の成功のために、本気でぶつかってきてくださる。

そして何より共にスタートアップに挑戦してくれる仲間がいるからこそ、子会社設立という機会に恵まれたのだ。

 

その感謝を込め、社名を

 

Cyber Pal にした。

(Pal には「仲間」という意味がある。)

 

サービスを通じて、ユーザーも提供者も作り手も、1度きりの人生をもっともっと楽しんで欲しい。

楽しい気持ち、嬉しい気持ち、不安な気持ち、ドキドキする気持ち。

色んな感情があるけど、全て含めて人生なんだ。だから人生は楽しいんだ。

1人1人の人生をより色付けられる会社にしたい。

 

そのような想いから

「人生を彩る会社を創る」ことをビジョンにした。

 

これからたくさんの困難が待ち受けているだろう。

 

僕たちCyber Palの挑戦は始まったばかりだ。