● 光と闇 天降る星が奏でる物語 邂逅編 4
南千住の道場を出た白露は、八丁堀へ向かう途上にある神田相生町の菓子舗「相模屋」に立ち寄った。
八畳程の入れ込みに、種々数多な菓子が取り扱われている菓子舗で。
隣接する茶店で、菓子を食することもできる。
この茶店は夕刻から酒飯も供しており、一日中客足が絶えることがない。
ここの名物は最近流行りの久寿餅で、ところの評判もよく大層繁盛している。
関東界隈で食される久寿餅は、小麦粉を発酵させたものを用いるものが多い。
関西周辺では葛粉を用いる葛餅になり、その製法も歴史的経緯も異なる。
きな粉や黒蜜をまぶして食すのは同様であり、その涼感から夏場に食される機会が多い。
白露も光流も、相模屋の菓子が幼少の頃からの好物であり、手土産にするには最適といえる。
「おぉ、これはこれは大和の若様、御久し振りでございます。」
そう言って深々と頭を下げたのは、この菓子舗で主を務める相模屋利兵衛である。
四十半ばの血色の良い男で、恰幅の良いお腹が信楽のタヌキを連想させる。
どこか惚(とぼ)けた感のある人物で、白露との所縁(ゆかり)も深い。
「お久しぶりです。
もうそろそろその若様というのはやめて頂けませんか?」
幼き頃よりそう呼ばれていた白露だが、二十歳を迎えた今、流石に面映(おもは)ゆい。
「これはこれは失礼致しました。
昔から御見知りしています故、ついつい口がすべってしまいました。」
利兵衛がこの地に店を構えて二十年余。
白露を幼少の砌(みぎり)より存じている利兵衛にとって、無理からぬことといってよい。
「お父上が亡くなり、兄君が家督を継がれ。
白露様も御苦労がおありではございませんか?」
「いえ、私も家を出て、今は光波で過ごす身なれば。
大和家のことは兄上や母上、それに妹の葵が盛り立ててくれるでしょう。」
「左様でございますか。
光波様においては、娘の「香名」がお世話になっておりますが、しっかりと勤めておりますでしょうか?」
香名は楓より一つ上の十七の娘で、光波で子弟達に手習を教える傍ら、光の術の修業に勤しんでいる。
光波旭天流には二つの流れがあり、武芸の流れと、神仏所縁の光の術という流れがある。
各々に四人の師範代がおり、巷間では光波四智仙とか、旭天四剣豪と呼称されており。
無論白露も含まれているが、白露のみこの双方に名を連ねている。
香名も、この光波四智仙の一人に数えられ、その博識と才知から「女こうめい」と門人達の間ではささやかれている。
こうめいとは、中国古代三国の時代は蜀の軍師にして丞相、智将.諸葛孔明のことである。
その神算鬼謀振りや信賞必罰の公正さから、優れた人物に対する代名詞として扱われている。
「はい。子供達への教えも上手く、光の術においても熱心に励まれておられます。」
幼少の頃より香名にせがまれ、数多の蔵書を与えてきた利兵衛である。
その香名の成長ぶりに感慨も一入(ひとしお)であろう。
「左様でございますか。一人娘ゆえ甘やかしてきましたが。
自分で選んだ道ゆえ、無事に勤めてくれていれば、こんなに嬉しいことはありません。」
そういって相好を崩し、喜びをかみしめる利兵衛であった。
その利兵衛を微笑ましく見つめる白露が、
「今日は知人宅へ赴く為、手土産にと久寿餅をいただきたいのですが、十包み程いただけますか?」
感慨に浸っていた利兵衛だったが、我に返り、
「これはこれは失礼致しました。では早速ご用意させていただきます。」
勘定を済ませて、久寿餅が包まれた袱紗(ふくさ)を受け取り、再び八丁堀へ向けて白露は歩み出した。
そんな白露を、利兵衛は見えなくなるまで見送った。
往来の人通りも慌ただしく賑やかになり、町の喧騒が辺りをつつんでゆく。
神田川沿いに群生している紫蘭が蕾みをほころばせ、今か今かと開花の時期をうかがっている。
光流のもとへと向かう白露の後を追うかの様に、少しずつ紫蘭が花開く様が、春の移り行く姿を色濃く物語っていた。