光と闇 天降る星が奏でる物語 邂逅編 2 | 光と闇 天降る星が奏でる物語

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● 光と闇 天降る星が奏でる物語 邂逅編 2

六つ半(約19:00頃)を少し過ぎた頃、白露は南千住の道場へと帰り着いていた。

道場は南千住の東端に程近く、周囲には田園が広がっており、東方二町半程先に宮戸川(現隅田川)を望める。

南千住には小塚原刑場等があり、この付近は江戸の鬼門筋に位置している。

ところの人々の話では、夜な夜な百鬼夜行が行われており。

魑魅魍魎が溢れて、千万怪異が起こっていると実(まこと)しやかに囁(ささや)かれていた。

千住大橋の手前の道を、東へと切れ込み、田園の通りを道なりに抜けた先に小高い丘がある。

その丘への坂道を上ると、右手に道場がみえ、左手にある緩やかな上がり傾斜の先に、住居兼手習所が建てられている。

帰り着いた白露が戸を開け、三和土に入ると、それを迎える声があった。

「お帰りなさい、白露様。ご実家の方は、お変わりありませんでしたか?」

にこやかに微笑みながら迎えたのは、この道場の娘の"楓"である。

歳の頃は、十六を少し過ぎたばかりの美しい少女で、白地の小袖に淡い桜色が華やいでみえる。

軽やかな足取りが、たゆたう百合を思わせる。

「はい。何時もの如く変わりありませんでした。

先生や大先生はどちらに居られますか? 」

「あっ、父上や兄上は春の間で夕餉を・・・。

白露様もお腹がお空きではないですか?今すぐお持ち致しますね。」

そう言うと楓は、慌てて白露の食事の支度をしに、台所の方へと小走りにしていった。

兄上とは、家督を継いでこの道場の主となっている"土門龍毅"である。

龍毅は齢二十五を越えた、身の丈六尺はあろうかという偉丈夫で。

武芸の教伝においては、その苛烈さから、光波の "鬼仁王(おにおう)"様 と呼ばれ、畏れられている。

龍毅と楓、二人の父"土門十全"は、五十を幾ばくか越えているが、未だ壮健で。

家督を譲った隠居の身ではあるが、近隣の子弟からも慕われ、良き先達となっている。

白露は三和土を上がって縁側を進み、行灯が煌々と灯る、春の間の前で着座した。

「大先生、白露です。ただいま戻りました。」

「おぉ、戻ったか白露。」

室の障子は開け放たれている。

風流に庭で咲き誇っている、見事な一本桜を愛でる為にである。

故に、春の間と呼称されている。

その姿は、さながら観音様が双手を広げたかの様に、見事な枝振りを披露している。

花は八分咲きといったところであろうか。

その見事な花弁が夜闇を背にし、頭上の月光と室の行灯に照らし出されて。

妖艶な翳(かげ)りと共に、美しく微風に揺れている。

室に入り、何時もの場所へと着座する白露へ、十全は静かにうなずく。

「実家の様子はどうだ? 何か変わりはあったか?」

「いえ、何時もの如く、変わりありませんでした。 」

「左様か。大和家も先代が亡くなり、そなたの兄が家督を継いでまだ間も無い。

色々大変であろうが、兄を助けて励むのだぞ。」

10歳の頃より、故あって預けられている白露にとって。

十全は育ての親ともいえる存在であった。

「はい。心得ました。

それと今しがた帰路の道中で、思いがけず昔の友と出逢うてまいりました。」

白露がそう語った瞬間、十全の目が微かに細まり。

その眼の奥底から、虹彩が放たれているかの様に、白露には感じられた。

あるいは十全には、白露と光流の出会いにより、白露が持つ太刀一振りの変化に、気付いていたのやもしれぬ。

「ふむ・・・左様か・・・。

もしや、そなたが当家に来る要因となった、"神隠し"の少年かね?」

「はい。十年前に神隠しに遭い、行方知れずとなっていた者です。

ですが、その者が要因とは・・・?」

白露にとって十年前の記憶は、白い闇に閉ざされたままである。

「そなたが当家に参ったのは、病を癒す為であったのは憶えているな?

そなたの母御の言によれば、少年が神隠しにあった話を聞いた夜から、凄まじい高熱に襲われた由にてな。

様々な医者や祈祷を試みたが、全く効果が出ず、最後に来られたのが、当家であったということじゃ。

なんとか八方手を尽くして、事無きを得たのじゃが。

幼いそなたに事の次第を告げれば、また病に臥すかもしれぬと思ってな。

今迄秘していたという訳じゃよ。」

事の顛末を知り、白露にくすぶっていた白い闇が、少し晴れたように思われた。

「そうでありましたか・・・その様なことが・・・。

お心遣い、ありがたく存じます。」

「おそらくは、その少年所縁の因がもたらしたものであろうな。 

そなた自身の宿命そのものにも、関係してるのやもしれぬな。

心して付き合うてゆかねばなるまいて。」

十全の言葉には、我が子を愛うのと同じ想いが込められていた。

「心得ました。その事ですが、明日その者の家に赴こうかと存じます。」

「左様か・・・。うむ、相分かった。気を付けていってくるがよい。」

そう語ると十全は双目を閉じ、何やら思案にふけっていった。

こうなると暫くは身じろぎもせず、黙念と時を送るのが、十全の日常であった。

その時、台所からこちらへと歩む、楓の足音が聞こえてきた。

膳を運ぶ楓が父を見て、あらっ、また始まったのね ! と軽く微笑んだ。

愛らしい楓の仕草が、その場の空気を引き戻してくれたようだ。

「白露様、お待たせ致しました。

今日は近隣の方々から、旬の野草等を頂きましたので、色々とこしらえてみました。

どうぞ召し上がってください。」

楓の母は、産後間も無く病歿(ぼつ)しており、奥向きのことは、女中の"お登勢"に任されていた。

そんなお登勢も、二年前に病没している。

それ以来、奥向きのことは楓が仕切っており、手習子弟の母親達も、何かと気に掛けて立ち働いてくれている。

「ありがとうございます。では、頂かせていただきます。」

そこで巌(いわお)の如く、静かに酒を呑み干しながら、膳を味わっていた龍毅が、唸るようにつぶやいた。

「うむ、美味い!! また腕を上げたな、楓!!」

普段からあまり口数の多いほうではない龍毅が、このように洩らすのは珍しいことと言えよう。

特に父、十全と居る時は殆ど口を開くことはない。

龍毅いわく。

「儂の言いたいことは、全て親父殿が話してくれる。

儂はただ黙って聞いておれば済むことだ。」 

というような次第である。

そんな兄の称賛に対し、少し照れながら、楓は微笑みでかえした。

今宵の膳は、土筆(つくし)の玉子とじ、こごみの木の芽和え、わらびの酢醤油和え。

田螺(たにし)の味噌汁、真子鰈(かれい)の煮付け等となっている。

「本当に良い香りですね。

毎年これ等、旬の野山の菜が供されると、あぁ桜の時分が来たのだと、心が浮き立ちます。

楓殿、真に美味しいです。」

白露の言葉に、楓は少し頬を赤らめ。

「良かった、白露様のお口に合って。

これからも腕によりをかけて、美味しいものを作りますね !」

上機嫌の楓の声色に、瞑目を終えた十全がぽつり。

「うむ、白露のご相伴に預かれて幸いだわい。」

と、笑み混じりに含む父に、楓は少し頬を膨らませて。

「もう、、、お父様ったら!!」

と、更に顔を上気させながら、台所へとかけていった。

「ふふふ。楓も、もうそんな年頃になったか。」

と、しみじみと感慨深くもらす、十全であった。

夜気が色濃く立ち込めていく中、それぞれの胸中に様々な想いを秘めながら。

複雑に絡み合う運命の糸に結ばれ、時の流れは大きなうねりと共に、動き出していく。