人は、よく神様に

 

「こうして下さい」

「こうなりますように」

 

とお願いします

 

そして、願っても叶わないと

 

「こんなに祈っているのに

なんで叶わないのだろう」

と思います

 

≪答えは簡単です‶ご縁〟がないからです≫

 

皆さんがいくら願っても、いくら思っても

‶ご縁〟がない事は、現れてこないのです

 

皆さんに良くない事は

絶対に現われてこないのです

 

わがままな願い、自分勝手な願いをしても

 

神様が見ていて

 

「これはこの方の為にならない」と思ったら

全部祓って下さるのです

 

‶祈り〟とは“神の意に乗る”ことです

 

‶祈り〟とは、自分の望みを神様にお願いする

事ではないのです

 

無心に祈る事によって、神の意を

感じ取ろうとする事が大切です

  

静かに祈り、神の意に乗る

自分らしい人生を生きてゆく、秘訣です

 

   2005年・天命庵のお話から

 

「隣にいるのは⦅観音様⦆じゃない」

「あちらにいるのは『神様』ではない」

「あそらにいるのは『おやさま』ではない」

 

と、思い込んでいるのではないですか

 

でも『神様』は、いろんな形になって

皆さんを救おうとして下さっている

 

≪今、天命庵で学んでいる心とは

〝偏らない心〟です≫

 

偏りを取る事です

 

≪正に〝自由になる事〟≫

 

どうでしょうか

 

いろんな‶執着〟で、大切な事を忘れて

いないでしょうか

 

≪人は、自分の物に執着し、お金に執着し

権力に執着し、許す事が出来ず、人を睨み

恨む≫

 

≪もしかしたら、そういう事で、

人は自分の命を痛めているのではないで

しょうか≫

 

いろんな執着を離す!

 

≪偏らない心、自由になる事が

とても大切です≫

 

   (2021年・天命庵のお話から)

 

‶稽古〟というものは

‶練習〟という言葉とは違うと思う

 

‶稽古〟は「己が心と語り合う事」です

 

‶稽古〟という字は、どういう言葉でしょうか

 

‶稽古〟という漢字は「古い」という字を書くと

思いませんか

 

≪いにしえの方々の心を受け継ぐ事≫

 

よくTさんが、お笛を吹いていると

 

目に見えない、多くのいにしえの古き人々の

姿を見る事があると…

 

舞台の上にお一人で吹いているのにも関わらず

本当に古き人々の姿が・・・

 

古の、例えば烏帽子(えぼし)を被った方や

様々な古い景色の姿を見る事があると…

 

≪古きいにしえの方々からくる音をとらえる

事が‶稽古〟ではないかと、わしは思うのです≫

 

受け継いでゆくのです

 

≪いにしえの深い心が、今の皆さんの魂に

受け継がれています≫

 

≪いにしえの方々の魂が、皆さんに注がれて

いるのですよ≫

 

「稽古をする事」という事は、

 

いにしえの深い方々との語らいの中で

やはり素晴らしい舞台を演じる事です

 

    (2024年・天命庵のお話から)

わしは、よくね、皆さんに言う事があるのです

 

≪一番怖いのは「取り越し苦労」です≫

 

起こってもいないのに

 

「こういう事が起きるかもしれない

あぁいう事が起きるかもしれない」

 

という事は

 

人間の生命力というのは

ものを作り出す力をもっています

 

「心」というのはね

 

人の心というものは

工場のようなもので

ものを作り出す力があるわけです

 

だから、皆さんが

 

「あぁ、怖い、怖い、怖い

恐ろしい、恐ろしい、恐ろしい

 

私はこういう病気になってしまった

後、どの位生きられるか」

 

と、思うから

 

どの位生きられるか、となるわけですよ

 

≪でもそこで、何にも考えずに

喜んで‶光〟を戴いて、恐れを取る事≫

 

こうして「教えの場」に来るのは

「恐れを取る為」に来るわけですよ

 

≪この世で、最も怖いのは「怖れ」です≫

 

「怖れ」というものが、人間の心に

恐怖を植え付けて、形を作っていくわけです

 

だから「怖れない心」です

 

これを、皆さんは、今日、学びに来ているのです

 

恐れる事がいけません

 

≪恐れずに、勇気をもって‶笑う事〟によって

 

人は、本当に‶大きな力〟を与えてもらえる

のです≫

 

    (2024年・天命庵のお話から)

雨が降るも『神』

降らぬも『神』

 

太陽が出るも『神』

太陽が出ないも『神』

 

≪全て『神様』の大きな愛です≫

 

だから「怖れ」というものが、やっぱりいけないわけです

 

「怖れ」というのが…

 

人間、今、世の中の方は、テレビや様々な報道で

 

≪「怖れ」というものを、皆さんに植え

付けてしまっている≫

 

病気でも何でも「怖れ」ですね

 

≪でも「怖れ」というものを取り去ると

人間は、本来の魂が輝くわけです≫

 

ご自分が、色々お病気をもっていらっしゃって

 

でも「怖れ」というものを取り去って

 

「光」というものを感じた時に、必ず、力を

与えてもらえるものです

 

今、皆さんが学んでいるのは

 

≪「恐れを取る為の勉強」です≫

 

怖れを取る為の勉強 なのです

 

台風が、穏やかに去って行ってくれる事を

被害に会われている方々の平安を

祈らせて頂いております

 

   (2024年・天命庵のお話から)

 

「極楽!」

 

‶極楽〟って、楽しみを極めると書きます

 

極めるに楽ですから

 

『神様』」の書かれた書物の中に

 

『ここはこの世の極楽や わしも早々参りたい』

 

と書いてある

 

これ答えなのですよ

 

≪楽しみを極める事によって

ここは、この世の極楽となるわけです≫

 

しかし、人が、楽しむ事を忘れて

 

「俺は、辛い」

「俺は、地獄だ」

 

と思ったら

 

≪極楽の世界は、見えないわけです≫

 

「ここはこの世の地獄である」と

いう風になるわけです

 

正に、そういう心を、やっぱり『神様』は

 

「楽しみを極めなさい」

 

という事を、仰っているわけです

 

楽しみを極める

 

≪正に、天命庵の修行というのは

‶楽しみを極める事〟です≫

 

    (2023年・天命庵のお話から)

 

全ては‶簡単な事〟です

 

お釈迦様には

凄く長い『大般若経』という

何万巻というお経がありますが

 

でも、本題は本当に‶簡単な事〟です

 

それを難しく

「ああでもない。こうでもない」と

弊理屈・理屈をするから

 

やっぱり難しくなるわけです

 

≪皆さんが、明るくなって素直になったら

全部上手くゆきます≫

 

簡単な事だと、思いませんか?

 

簡単な事でしょう?

 

難しい事なんて、一つもない

 

わしが天保の世『神様』から学んだ事は

正に‶簡単な事〟でした

 

≪だから「アホにおなり」と

『神様』は、仰るわけです≫

 

「アホになったら、簡単なのですよ」

「アホになったら、腹も立たない」

「アホになったら、イライラもしない」

 

イライラをして損をするのは誰でしょうか?

自分自身です

 

自分だけがイライラしてカッカカッカして

周りが知らん顔したら、もっと頭にきますね

 

そうではありませんか?

 

だから‶簡単な事〟なのです。

 

でも、この簡単な事が、なかなか出来ない

 

でも、「神の教え」に触れて

 

≪神の愛を感じたら、心を柔らかくして

全てを、簡単に考えて下さい≫

 

    (2020年・天命庵のお話から)

とても明るいお嬢さんが『教え』とは

「簡単な事」と、言ってましたけれど

 

本当に‶簡単な事〟なのです

 

確か洋楽に‶簡単な事〟と云う歌詞がある

とても‶素敵な歌〟がありましたね

 

ジョン・レノンの「イマジン」でしたかしら

 

何か平和の歌を歌っていましたけれども…

 

あれを日本語版に忌野清志郎さんが訳したのを

大徳寺様と聞いた事があります

 

歌詞の中に「簡単な事さ、簡単な事さ」と

何度も、何度も出てきます

 

「人が仲良くする事も、簡単な事さ」

「平和を創る事も、簡単な事さ」と

 

≪凄く良い言葉だと思います≫

 

≪皆さんが‶仲良くする事〟も

簡単な事ですよ≫

 

≪でも、この簡単な事が

皆さん、出来ていないのですね≫

 

心から素直になって

「ごめんなさい」と言えば

 

それで全てが綺麗になるわけですよ

簡単な事ですよ。

 

「有難うございます」と

言ったらそれで、いいわけです

 

「はい」と、言ったらそれで

いいわけです

 

≪全ては簡単な事≫

 

明るいお嬢さんが

 

「‶教え〟と云うのは、こんなに簡単なもの

なのですか?」と、仰ってたけれど

 

そうですよ!簡単な事なのです

 

    (2020年・天命庵のお話から) 

人が‶ピストル、ライフル、機関銃〟を

持っていたら捕まります

 

でも、今、世の中には、‶ピストルや機関銃〟を

心の中に持っている方が、大勢います

 

見た目には何も持っていないようでも

心の中にある‶武器(言葉)〟によって

 

相手を苦しめ‶言葉〟によって相手を

死にいたらせる事さえできるのです

 

例えば、学校において、若い命が‶言葉〟に

よっていじめられ、

 

傷ついて、命を絶ってしまう

とても悲しい事が度々起きています

 

大人の世界でも、非がある事が公になると

‶言葉〟によって「これでもか、これでもか」と

責め立てます

 

いくら相手に非があるとしても、度を超えた

批判は、見ていて美しいものではありませんね

 

≪人を殺めれば、己の命さえも殺めてしまう≫

 

人に向けて、銃を撃てば

最後は《己の命》さえも奪うのです

 

人を憎んで、人を本当に嫌って

ちょっとした問題で攻撃する

 

≪それは『天の世界』から見たら

‶物凄く酷い〟事なのです≫

 

人はこの世を、良くする為に生まれてきました

 

≪良くするはずの人≫が‶言葉〟で

人を殺しては‶絶対〟にいけません!≫

 

ご家族を、ご主人様を、奥様を、ご両親様を

‶言葉〟で殺していないでしょうか?

 

今、世の中に、人を殺すような《言霊》が

溢れてきています

 

常日頃、使っている言葉には

 

「人を優しく包み込む暖かさも」

「人の命を奪ってしまう残酷さも」

 

秘めている事をよく考えて『言霊』を発して

下さい

 

     (2016年・天命庵のお話から)

人間の能力というのは‶楽しむ事〟です

 

‶喜ぶ事〟によって開きます

 

好き〟という事がとても大切です

‶好き〟になると‶力〟が違ってきます

 

≪好きな事は、どんどん出来るのです≫

 

『神様』からくる「遺伝子」というのは

‶楽しむ事〟です

 

楽しむと「パッ、パッ、パッ」と⦅光⦆が

入ってきます

 

余り熱心に、がむしゃらに成ると

「理」が狂います

 

何故ならば「遺伝子」は、変に熱心に成ると

開かないからです

 

いろんな問題が起こったり、病気になったりして

 

大変な時に

「何とか治そう!何とか治そう!」と

頑張ると、治らないものです。

 

「まぁ、楽しんで…喜びながら…少しお休みを頂いたわ」

と思うと、本当に治ります

 

これが「理」です

 

全て“任せれば”良いのです

 

『絶対他力!』

 

「他力本願」と誤解する方がいますが

 

「全て神にゆだねること」です

 

委ねてしまえば、楽なのです

 

神様の前で「神様、宜しくね!頼みます」と

お任せすれば良いのです

 

神様に「宜しく」などという信仰は

なかなかありませんけれど…

 

任せたら余り考えてはいけません!

 

不思議ですけど、そうすれば必ず助かります

 

自分で「どうなるだろう…どうなるだろう…

大丈夫かしら…」と思うから・・・

 

どんどんどんどん

「自分が駄目だ。駄目だ」と思うから

悩むのです

 

「駄目だ」と思うと、人間いうのは

“駄目になるような行動”をするもの

なのです

 

「神様に全てゆだねたから

もう大丈夫。何も心配する事はない」

 

「私は幸せだな~喜ぼう~~~」

 

「幸せ」という気持ちになってくると

「人間の遺伝子」というのは、どんどん開いて

きます

 

   (2017年・天命庵のお話から)