とつぜんですが、今、生きるということの意味がわかりません。

なんで生きてるんでしょうか・・・

楽しいこともつらいことも様々あるけれど、だからって・・・何がどうなるわけでもない。

この自分ひとりが今何をしていようとどうなろうと、100年後には全く意味を持たない。

なのに今、なんで自分はココにいるんでしょうか・・・

どうしてヒトは、命をなくすまいと必死になるのでしょうか。

延命治療を施したところで、結局死ぬことに変わりはないのに・・・

どういったときに、ヒトは生きたいと願うのでしょうか。

生きることに疑問を持ちながら生きることには、意義があるのでしょうか・・・


かつて大切な人が、「昨日、生きたくても生きることができなかった命があるから自分は今日を精一杯生きる」と私に話してくれました。

半分感動、半分・・・。

あなたがどんな気持ちでそう言ったのかはわかっているつもりです。

けど、その言葉の意味は私には十分には理解できていません・・・たぶん今も・・・


こうしたことを、苦悩と呼んでしまっていぃのかもわかりませんが・・・

こんな苦悩の中で生きている人は、私だけじゃないはずです。

みんな、どうやって生きてるんだろぉ・・・

今日、初めてココにきました。

なので、なんとなく自分を知ってもらうために、ちょこっと自己紹介。


中学の頃から、生きることの意義を考えるよぅになりました。けど、大学生になった今でも、答えはもちろんヒントも答えの糸口も何も見つかっていません。暗中模索の日々です。


高校は、特別やりたぃことがなかったので普通科へ進みました。


大学は・・・最初は法学部にしようかと思ってました。一番お金稼げる職につけそぅかなぁ~って思って。だけど・・・つまんなそぅだなっておもって、結局最後は経済と文で迷いました。だけど・・・経済関係で先がまったく見えなくって、まだ文の方が哲学とか心理とかできるし、と思って・・・今は文学部一回生です。専攻は2回生からなので、未定です。


小学校や中学校の頃、学校の先生の説明を聞きながら、「へったくそだなぁ~」と思っていました。

「この人たち、初めて学ぶコドモがどう感じるかとか、考えてんのかな~」とか思いながら授業受けてました。絶対自分の方がうまく説明できると確信していました、その頃は。

だからって、教師になりたぃなんて思ったことはありませんでした。だって、そんな人たちとおんなじ職場って・・・いやじゃん。

高校の頃、頭のいぃ人と悪ぃ人がいるのかなって思いはじめました。話してて、スムーズにキャッチボールができる人、それ以上に、ストライクゾーンど真ん中並みに返球してくれる人、はたまた、わざとかどぅだかやっと届くようなボールを投げる人、わけわかんなぃとこに球を飛ばす人・・・。頭のいい人と一緒にいたくて、進学校だった学校の中でも難関校のみを目標とするクラスに入りました。勉強できる人って、やっぱそれなりに頭いぃのかなって思って。


・・・・・・けど、その頃から、やっと自分の自惚れに気づき始めました。遅すぎですね。


幼い頃から、ちょっとがんばるだけで一番が手に入って、先生から信頼されてて、友達の方から寄ってきて。(一応自分のために弁解を入れさせていただくと、いっつもこんな風に考えてるわけじゃありません。ただ時々・・・思ってただけなんです。)

それが今はどぅだ。「自分はやろうと思えばできるんだ」なんて言葉は、やろうと思えない弱ぃヤツが言ぅセリフだって、大学の先輩に言われたときは衝撃でした。まさにそのとおりだ・・・。高校の最後の方は、「君はやればできるはずなんだけどね」と担任の先生に言われ続けました。自分の力を過信して、大学受験は・・・第一志望におちましおた。すっごく恥ずかしかったです。なんだかんだ言って、学歴社会に染まってた自分がいたようです。



ずぅっと楽してばっかだったから、うわっつらはそれなりでも・・・内面は全然成長してません。たぶん・・・だから、こんなによわっちぃのかなぁ。いまだに、今の生活に慣れられなぃ。なんかふわふわしてる。目が覚めたら・・・生意気な小学生の自分にもどっていそぅな感じがします。なんだこれ・・・まだ今の自分を認めていなぃらしぃです。


こんなに、よわっちかったんだなぁ・・・自分。


十数年かけて積み上げられたものが 壊れて それをまた積み上げなおすには、また十数年かかってしまぅのでしょうか。



こんな自分にとって幸運だったことは、大学で、さいっこぉぉの先輩方、サークルに出会ったことです。



先輩達に言っても、笑われちゃぃましたけど・・・本気でそぅおもってます。



そんな先輩方と、今からまた会ってきます☆