2011年10月30日(日)の大阪は曇り。路面で雨上がりというのが分かる。早朝の駅であるが、スポーツウェアの人がたくさんいる。子供から年配者まで大阪マラソンであろうことは推測出来る。
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当初の予定は大阪の歴史探訪だった。だが、大阪マラソンにより予定を変更し、奈良へ。目的は街道を歩くため。そう、柳生街道である。
 
柳生街道は大きく2ルートで考えた。JR奈良駅から歩いて荒池を抜け、春日大社南を新薬師寺方面から入る。歴史を感じながら地獄谷から石仏窟を通り円成寺までと、そこから更に柳生に抜けるルート。それを全て歩けば10キロが2つで20キロ程度。
 
だが天候が怪しい。天気次第で変更を考えなければいけない。晴れ男はどこまで通じるか。前に熊本にて宮本武蔵関連で敗れている。柳生は武蔵とも決して無縁では無いゆえ、天気は怪しいと勝手に連想する。そもそも雨の予報であるのだ。
 
JR奈良駅には7時30分頃に到着。さて、出発である。
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志賀直哉寓居跡辺りを歩くのは2度目。前はいつだっただろうか、奈良を散策し春日大社から抜けたときだった。今回は逆コースになる。やや上りとなる道を歩きながら、朝のコーヒーとした。
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本格的に街道に入る。滝坂の道。楽しみだ。この往来は歴史がかなり古い。柳生街道と言われているが、平安、鎌倉まで遡るのである。標識の通り進む。
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やがて山道に入る。シューズは8月に東京で買ったアシックスのジョギングシューズで、まだ真っ白。山道でも程ほどであろうとこれにしたのだが、問題は天候によってどの程度悪路となるかだ。多少の汚れとなろうが、洗えばよいと考えて比較的歩きやすいものとした。
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滝坂の道は最初、思ったよりも広い道であった。そして石畳を歩く。
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人はおらず、静かである。やがて寝仏まで来た。大日如来とされている。よく探さなければ見つけられない。これは最初から道の反対側に彫られているのではなく、転がり落ちてきてこのようになったと言われている。柳生街道は石仏の道でもある。
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一頃、歴女という言葉がはやったが、最近では更に深いところで、仏女という言葉もあるらしい。仏像巡りする女性が増えてきているとか。面白い。
 
能登川沿いを歩く道は、当然理にかなっている。昔の人にとって水は必須。ペットボトルなど無いのだから。
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夕日観音。弥勒信仰全盛期の鎌倉時代のもの。
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三体地蔵。どこか分かります?写真の中央部。
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鎌倉時代のもの。
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朝日観音。弥勒三尊磨崖仏。これも鎌倉時代のものと言われているが右の地蔵は室町時代と言われている。
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そして三叉路にて首切地蔵である。これも鎌倉時代とされている。なぜ首切りかは、荒木又右衛門が試し切りしたと言われている。また、奈良奉行が石畳の整備をさせたと記述がある。
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ここは場所的に古くからの街道の目印とされていた。右に進むのが本来の街道か。道は遠くなるがそちらに進むことにする。そして地獄谷に出る。ここら辺りには昔、修行者がいたということだ。なかなかの上り道であり決して楽という訳ではない。
 
石切峠。舗装道路の奥山ドライブウェイを横断し、地獄谷石仏窟に抜けることにした。急な下りを進み、また急な上りとなる。やがて見えてきた。
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そこから先に進むのだが、これはもはや街道ではない。どう見ても新しく整備されたと。
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だが、マップからすればこのまま進むしかない。途中では二か所の小橋がある。ここからはかなりの上りであり、かなり足に来る。呼吸も荒くなる。やがて尾根となって道は続いた。
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再び舗装道路に出る。ここまでくれば峠茶屋はすぐだ。歩き始めてから約2時間半。
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おお、雰囲気が良い。
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「さあ、休んでいって下さい!何でもありますよ。草餅、蕨餅、ビールにラムネにコーラ、うどんやカレーもありますよ。ラムネありますよ、ラムネ、ラムネ!」とおじさんから声を掛けられた。どんだけラムネがお勧めなのだ!と思いながら中に入ると、おお、懐かしい雰囲気である。「それでは草餅を一つ下さい」
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名物という草餅。
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食べながら聞いてみた。
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「ここはどのくらいの年数が経っているのですか?」
「180年。今は何とかハウスだとかハイムだとかあるけど、もって30年か40年。100年は無理ですよ」
おお、180年はすごい。昔、この茶屋で酒を飲み、酒代を払えなくなった武芸者が槍や鉄砲を置いていったとされている場所である。このように飾ってあるのがそうなのだろう。
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「どちらから来たのですか?」と聞かれた。
「今ですか?JR奈良駅からです」
「あ、いや、どちらからですか?」
「・・・青森です」
「ええ、青森?!」
「はい」
「今日は正倉院展があるので人は少ないのですが、ここは○△□うの人は多いですね」
え?なんと言ったのだ?「はい?」
「○△□うの観光客です」
京都の京と言っているのだろうか。
「・・・京都ですか?」
「いえ、ちほう、地方の人です」
「ああ、地方ですか」と答えながら、この山の中から地方ってどこなんだと突っ込みたかった。
 
「こちらで寝泊りしているのですか?」と聞くと「そうです」とのこと。暇なのだろう、話し相手が欲しくて仕方が無いという様子である。どこが本来の街道なのかを質問し、二杯目を頂いた無料の大和茶の無くなる頃、次に進まなくてはと考えた。
「どこまで行くんですか?円成寺まで?」と聞かれ、「可能ならば柳生までです」
「そうですか。柳生までなら後4時間はかかりますね」
午後2時頃ということになる。
 
前を見つめたままのおじさんが「朝はポツポツ雨が降りましたが、今日はもう降りませんね」と言う。
「どうしてですか?」
「降るときにはカエルが鳴くから。今日は鳴かないから多分降らないですよ」
それは助かると思いながら茶屋を後にした。
 
山道から出たアスファルトは相当に楽である。快調に進む。
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これは江戸時代の石灯篭。
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左折し柳生へ進む。この先、円成寺にて第一ルート終了である。雨が降らないのなら当然柳生まで歩く。少し栄養補給。
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県道を歩いていると、おかしな場所に地蔵のような石仏が。県道からは3メートルほど上にあるので、そこが本来の街道なのだろう。
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更に進むと右に円成寺という案内が。持っているルートマップと違うが、雨が降ってきても山道の方が木々が傘になってくれるだろうと考えアルファルトから横にそれた。東海自然歩道となっている。
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道は徐々に細くなり、様々に変化していく。
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こんなところを歩かせるか・・・。
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するとポツリポツリと降り出した。晴れ男、武蔵に続いて柳生に敗れる。それから雨は強くなったり弱くなったり。道を覆っている枝や葉に当る音で分かる。それでも傘をささずに歩けているので、雨に対しての道としては悪くない。
 
もうすぐ円成寺という手前。これは、おそらく道祖神だと思うのだが。僧系はやや古いものだと考えられる。それとも地蔵であるのか珍しい混合形か。花々に心を感じる。
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そして忍辱山円成寺に出ることが出来た。ここで傘の出番となった。誰だ、雨は降らないと言ったのは(笑)。さて、雨になっているのでここで終わりとするかどうか。時間はまだ11時。まずは寺の拝観である。
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数々の国宝があるが、目的は大きく二つ。運慶25歳頃の作とされる大日如来座像と、春日堂・白山堂である。
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庭園もまた美しい。
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後編へ続く↓