今日のミュージックフェア
ヨカッタッスね~!
佐藤さん、桑マンさん事前のお知らせありがとうございました!
さて、何故僕が鈴木雅之さんに成りきろうと決断したか?
1980年2月25日 The CHANELSがランナウェイで華々しくデビュー
当時、13歳中学1年生のサッカーボウイの「もっつぁん」当時のあだ名!
ザ ベストテンに出たシャネルズに釘付けになってしまい、子供ながらいろいろと研究を始めました!
親父は石原裕次郎の一点張り、お袋はアフロヘアーのレイチャールズ好き
そんな家系に育った俺は知らず知らず黒系に染まり始めていった
社会人になり、勤めていた会社の同僚や趣味のサーフィン仲間、同級生の殆どの結婚式の余興は鈴木雅之を披露!
サラリーマンだった為、髭を生やすわけにもいかず、コルクを焼いて炭にしてリアルに顔に書いてやってました!
昔からものまねが好きで、桑田佳祐さん、柳ジョージさん(この辺はかなり自身あり!)和田アキ子さん、いろいろとありますが、顔が似てるだけでここまできました。
当時確かシャネルズの写真集に、鏡に向かってマーチンさんが顔を黒く塗っている写真があって、その鏡越しに映っている顔が自分でも似てる!と思ったので、一気にヒートアップ!
サラリーマン稼業を辞めた後、飲み屋として再起し、もう誰に何も言われることもないし、自分らしさを全面的に出して思い残すこと無いように思いっきり馬鹿になってやろうと思い、その瞬間から鈴木泰之が産声をあげました。
それから僕の歌の勉強になっていたすすきのの女性ボーカリストのお店「swing」の開店7周年のイベントに強制的にオープニングアクトをさせられ、札幌デビュー
その後、先輩である、赤坂の安富先輩に連れられ、元,六本木TEMPS、現、赤坂MIRACLEのオーナー川端氏と初対面。偶然そこに来店した人が、NANIWA EXPの日本三大ベーシストの「清水 興さん」
「うっし~さ、マーチンのサングラス取った顔知ってる?」
「サングラス外した素顔、うっし~と同じやん!」
「素顔が似てるんだから、堂々と思いっきりやった方がええやん!」
この瞬間更にスイッチオン!(笑)
それからというものの、ソニーミュージックの取締役の方などにも同じ事を言われ、驚かれ、完全に意識する事になりました。
今では、顔が似てるだけの勢いで「鈴木泰之」をやっています。
ただ、今の物まねは、ものまねする側がされる側をいじくりすぎてる感じをうけて仕方ありません!
俺は鈴木雅之さんを絶対いじる事はできない!
俺がやる事といえば、マーチンさんのライブにどれだけ動員できるか?
今の新しい進化してる鈴木雅之というボーカリストをもっと知ってもらう為にアシストする立場でありたい!
そこに自分を置いて、営業につなげていきたい
これこそ真の鈴木マニアでありラッツファンでもあると思いました。
でも、全国にはビックリするほど凄いファンがいる事に気付き、その人達をリスペクトする事もできました!
今では、マーチンファンの方々とFBを通じてたくさんのやり取りができることにとても感謝していますし、楽しくて仕方ありません!
僕自身、やっとこの域まで来れた事を皆さんに本当に感謝しています
ありがとうございました!
これからも、当然応援していきます
髪がなくなっても(笑)
パーマかけれなくなったら残念ですけどね(笑)
日本を代表するラブソングの王様
鈴木雅之
盛り上げていきましょうね!
長々と読んでいただきありがとうございました!
写真は、自分の素顔と変身した時の2枚です(笑)