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昨日は2月14日の土曜日。
何だ、昨日若い人がジムに大集結していたわけが
いまさら分かった。
そういうことだったのね。
バレンタインデートに、ふさわしい綺麗な体を
メイクして、行くんだな。
それが証拠に?
今日は人が少ないわ、お年寄りばかりだわ、
なんだか、ジムが、世相を映すとは。
びっくり。
月曜日まで、土曜の余韻が続くのかしら。
というわけで、
今日も爺の筋トレしてきた。
レッグプレス
80㎏×50回
140㎏×30回
190㎏×20回
レッグエクステンション
60㎏ 90㎏ 120㎏×20回
インクラインベンチ
10㎏ 50㎏ 90㎏×10回
110㎏×3回
ラットプルダウン
10㎏ 50㎏ 90㎏×10回
110㎏×10回
リアデルト
20㎏ 45㎏ 65㎏ 75㎏×10回
レッグカール
30㎏ 60㎏×10回
腰ひねりも少々。
ウオーキング60分 6㎞
NHK杯の将棋は相入玉で、増田さんが勝った。
身体から毒素が抜けた
文科省って必要なのか?
2040年に高校の普通科で文系と理系の生徒の割合を
同程度になる方針を示した。
という記事を見た。
みんな見たかなあ。
多分見てないと思うけど、
これって、政策レベルで国中で議論すべき問題なのに
勝手に文科省あたりで決めていいのか。
高市さんの指示を受けてやっているのか?
ってAIに聞いたら、
「2040年文理50%案は文武科学省が主導したけど、その背景には高市さんの指示がしっかりあるんだ。2025年10月の高市内閣で、高市首相が文科大臣に「未来成長分野に挑戦する人材の育成」や「大学改革」、「職業教育の充実」を明確に指示した」
って返答した。
ふ~ん
そういうことね。
でも、これって理系人材が不足しているから
ってのがそもそもの発想だよね。
つまり、今不足しているから、それに合わせて教育制度をいじるってのは、発想として未来戦略ではなく
後追い戦略だってことを誰か指摘して。
今の不足を補う案は、
この変化の激しい時代では、すぐに時代遅れになり、
今の現状に数年後に追いついても、
数年後には多分、違う人材が不足して、
教育制度は、手遅れにしかならない。
それだけでなく、急に方向転換を迫られる、
学校現場と生徒のことを考えたら、
ほぼ、壊滅的な方針だ。
2024年度には文系51.4%理系30.8%、文理を分けないコース27.2%らしい。
高校普通科は、ピンキリである。
超進学校から、地域の担い手を支える平和な高校まで
さまざま。
国家戦略なら、戦略校を指定して重点的にやった方が
効果も上がるだろうに。田舎の普通科も50%にするなんて何の意味もない。むしろ無駄遣い。
なんでそんなグランドデザイン?って聞いたら
AIは、
1急速な技術革新とAIの進展 AIやデジタル技術が社会のあらゆる分野に浸透していて、それに対応できる人材が求められているんだ。理数系の知識やデータリテラシーがますます重要になってきてるよ。
2少子高齢化と人口減少 日本では若い世代が減っていて、限られた人材をどう育てて活かすかがカギになってる。多様な分野で活躍できる人を育てるために、文理の枠を超えた教育が必要とされてるんだ。
3グローバル競争と経済成長戦略 世界中でイノベーションが加速していて、日本もその波に乗るためには、科学技術やスタートアップを支える人材が不可欠。だから、国としても教育の在り方を見直す必要があるってわけ。
4既存の文理分離の限界 今の文理分けでは、複雑化する社会課題に対応しきれないという声も多いんだ。たとえば、環境問題や医療、AI倫理などは、理系の知識と文系の視点の両方が必要だよね。
って答えた。
もちろんAIは誤りも含むっていう前提で、話を進めるが、
1について。
もっともらしい話をしているが、今でも、スマホ等文理を問わずデジタル機器は使いこなしている人が多い。一方で詐欺集団もデジタル空間を利用していて、これをなかなか取り締まれない。現在の省庁を再編して、AI特化のデジタル庁を立ち上げ、SNS空間を安全なものにする方が早い。そして、そこで働きたいと思う若者が大学で学んだ方がずっと早道だ。
2について
文理の枠を超えた教育必要なら、そもそも文理50%が破綻する。AIもあほだ。
3について
グローバル競争と経済成長?
最先端のPC技術で競争できる人材は、文理50%で実現するのではなく、ごく少数の天才をPC方面に特化させるだけで十分。その方がずっと話が早い。使えない50%の理系は、おそらく国家にとっても、国民、特に当事者である高校生にとっても不幸なことになる。
4について
今の教育では、社会課題に対応できないという指摘。
これも官僚の作文だ。雑。もしそうなら、今までの古い教育を受けてきた文科省の役人のすべてが、これからの教育に対応できないと言っているようなもの。
そんなことはあるまい
古い教育を受けようが、社会に出てその都度、進化して社会に対応しているのが人間。高校大学で受けた教育が、そのまま役に立つって、そもそもの発想が間違い。古い教育を生かしながらも、必要になれば、最先端の知識を取り入れ、あるいは専門家と協力しながら、対応するでしょ。
だから、文理50%案は、案そのものの発想が使い物にならない子供だましだ。
高校で文系が多い理由の一つに、
理数教科の理解が進まないというものがある。
数学は難しくて、文系に行くとかっていうのが
普通の高校生だ。逆に数学は解けるが、小説なんか読んだこともないし、作中人物の気持ちがわからないっていう理系の高校生もいる。
つまり、適性の問題もあるのだ。
両方できるのは望ましいが、
両方できることと、国際的な競争で通用する力を持った、
おもに理系的の力のある人材を育てるっていうのは
別次元の話だ。
難関大学と言われる優秀な学生がいる大学に
世界的に勝負できる人材を育てさせる、という方向で十分
一方で、おそらく、文系寄りの国民は多いから、
そういう大多数の人をうまく取り込まないと
経済成長が見込めないので、文系的、感覚的発想の人材はこれからより重要になる。
答えのある理系的問題はAIが全て瞬時に解答する。
今までにない技術を生み出す力は、
一握りの天才にしかない。発想が大事だ。
それなくして、技術化=実用化、産業化は起きない。
最初の一歩は、どうすれば生まれるか。
おそらく混沌からだ。
いろいろな無意味な経験を重ねて、ある日、ふと思いついた発想が次世代を切り開く。
文理50%案は、
いろんな原石を含むマグマを封じ込め、
整地して、綺麗な道路を作って、真ん中に線を引くようなもんだ。確かに物事はすいすい進むだろうが、それは既存のものだ。効率化では、いつも競争に勝てない。
結局文理50%という案そのものが、すでにド文系の発想であり、論理的でも、革新的でもない。陳腐でさえある。
もう少し、新しい頭の、革新的な人に一分野を任せた方がうまく行く。チーム未来の人々に丸ごと任せた方がよかろう。
国全体を巻き込んで教育を変えると、
教育に関連する産業が、潤う。
これは国家戦略でなくなる。高校生を人質に取った、国内経済活性策、あるいは国内産業支援政策である。
やろうとする方向性と、やろうとしている内容が、整合性がない。
AIに聞いてみ、国際分野で競争に勝てる次世代技術を生み出す人材の教育法はどうすべきかって
そしたら、何を学ぶかは動機付けが大切だって答えに行きついた。それなら、納得する。
なんでこれを学ぶかっていうのを、社会課題の解決のためってやる。国家の課題を教育に落とし込むのではなく、これを解決したいっていう動機を、勉強の基本い据える。
これは、文理の分け方が意味を持たない。
今の文理分けって、大学入試の教科に対応するためだ。
理系学部に行きたいから、科学必須、数学も難しい領域まで。大学入試から、教科をなくし、動機の学問的有益性から生徒を選び、必要な教科的内容は、自分で学ぶっていう方式にすれば、文理分けは意味を失う。高校の基礎力はここまでって、決めればいい。そうすると、多くの教科を学ぶわけだから、一つを深めることは不可能だし、大学入学後に必要な教科的知識は、大学の教授が教えなければいけない。
大学教員が、研究職で、教育力がないので、高校以下に教科力を鍛えてもらうって部分はないのか。
だから、高校までに人生を決めるかのごとき文理分けも意味を持ってくるのだ。そうではなく、社会課題を解決するために大学に行って、何らかの技術等を見つけるための教科力を、高校大学で長い時間をかけて必要な部分だけ学べば、効率よくその生徒のやりたいことが実現できる。
数学だって、もしかしたら、一部を深く知っていればうまく行ったり、あるいは高度なPCに計算させればいいとなり、やりたいこと、発想の方が重要になるのでは。
どうも、国の船長が発想面で古い気がする。
もっと先進的に、重点的に革新していかないと、
競争力はつかない。
