最近ジムで見かける若女子に

首の長い人がいる。

 

美しいという意味だが、油断すると見惚れてしまうほど

首がストレートだ。

ストレートネックという言葉もあるから、

健康上はあまり好ましくないのかもしれないが、

バレリーナとモデルさんと一般人を足して

3で割ったような人だ。

 

あまり見るのは失礼なので

視線の方向を気にしているが、

時々視界に入ると、

首の長さと、イメージとして上向きのあごに

心打たれる。

 

スタジオ系ではなく、筋トレをして、ウオーキングをする

ようなので、自分と同じトレーニング系統だ。

 

話は変わるが、今日のジムは人が少なかった。

なんでだろう?

花見に出かけたのだろうか?

うちの娘とその母はおととい、角館に行ってきたらしい。

8分咲きだったというから、今週末が北東北は

良いのかもしれない。

 

ジムの人が少ないと、

泡ぶろに入っていて、なんだか鄙びた温泉につかっているような気がする。

 

いい意味で、ゆったりくつろげる。

ジムで、温泉気分が味わえるなら、至福だ。

 

さて、今日は嫁さんが同窓会でいなくなったので、

一人でジムに行った。

そういう点でも、静かさが増している。

ひとり、ポツンと一軒家、状態だ。

 

嫌いじゃない。

もともとジムは修行の場みたいな感じだったし、

一人黙々とっていう感じなので、

むしろ嫁さんが、暇していたと思う。

だから良かった。

今頃、女子高時代の友人と、昔に戻っているんだろう。

 

さて、ジム活動は今日転機を迎えたかもしれない。

 

いつも、YouTubeでいろんな人の意見を多少参考にして

(情報として正しいとは限らないので)

ジムに行って実践しているが

今回は、なるほど~って思った番組があったので、

それでやってみた。

 

「それ」の良いところは、疲労感が軽いということ。

これはいつもの半分くらいだ。

故にこれでいいかもっていう自分がいる。

どうも貧乏根性で、疲れ切らないと効果が無いんじゃないか

という、強迫観念に縛られて、今まではセット数多めだったが、今回のYouTubeでは、科学的に、そうでもないと言っているので、それを信じてみる。

 

自分にヒットしたポイントは

筋肉をつける筋トレと、筋力をつける筋トレは違う

という部分だ。

 

確かに自分は結構ジムに通っているがその割には筋肉がつかない。かといって、筋力は弱くはない。マッチョさんたちの大半よりよほど高重量でトレーニングしている。

 

なのになぜ、筋肉がつかないのか。

今回のYouTubeで氷解した。

 

筋肉をつけると

筋力をつけるは違う。

 

肉をつける方はビルダー系のトレーニングで

回数で追い込むほうだ。乳酸がたまる系。

限界まで重りを軽くしても、やり切るやつ。

自分はせいぜい3セットなので、そこまで追い込まない。

全身くまなくやる。ただし高重量で。

だから筋肉はつかなかったんだ。

 

じゃあ、自分は筋力をつける方で頑張ってみよう。

筋力系は回数少な目で、とにかく重さを追求するってことらしい。見た目より力だ。

 

ということで、今日は回数少な目でやってみた。

でも、最終的に終わった時間は変わらないので、

トータルでは運動量は同じかもしれない。

そしてその割に、疲れが軽い。

これはいいかもしれないと思った次第だ。

 

今日の実施メニュー。

インクラインベンチ

10㎏×10回 

50㎏×5回

90㎏×5回

110㎏×3回

 

ラットプルダウン

10㎏×10回

50㎏×5回

90㎏×5回

110㎏×3回

120㎏×2回

 

リアデルト

25㎏×5回

45㎏×10回

65㎏×10回

85㎏×5回

90㎏×2回

 

レッグプレス

80㎏×10回

140㎏×10回

190㎏×10回

 

レッグエクステンション

60㎏ 90kg 120㎏×10回

 

ロングローイング

60㎏×5回

80㎏×5回

100㎏×5回+5回

 

スミス式ベンチプレス

40㎏×10回

80㎏×5回

100㎏×3回

110㎏×1回+1回

 

背中

100㎏×6回+5回

 

チンニング

自重100%×10回

 

ウオーキング

6.5㎞

 

回数を少なめにして重さをちょっと伸ばしてみた。

これで筋力が付いたらうれしい。

見た目の肉より、肉はないけど力はあるね、

を狙いたい。

 

 

今朝の郵便受けに

「神秘の健康力」

という怪しげな広告と、お試しサンプル

3粒入り×二袋が入っていた。

 

高麗人参健康食品という触れ込みらしい。

広告の表には、薬剤師「石田保之」がど~んと

写っている。

 

すんごい胡散臭いので、会社名を探した。

値段とか効能とかはいっぱい目立つように書いてあるが

どうも、会社名は前面に押し出していないらしい。

でも多分、注文はがきの宛先に

「金氏高麗人参」と書いてある。

これかな?

会社の所在地は、京都らしい。

ふ~ん。

 

AIに聞いたら、高麗ニンジンのサプリ系会社らしい。

胡散臭くはないようだ。

 

実は朝一粒だけ飲んでみたのだった。

怪しげなサンプルで、健康被害があっても

一粒なら回復するだろうと思って。

 

それからジムに行った。

特に、何か変わった部分はないと思うが、

一応不都合な事例としては、高血圧や、肝臓の数値に

何か出る可能性を注意書きしていた。

 

血流を良くするとかということなので、

そういう感じで、肝臓と血圧に作用するのだろう。

 

あと五粒残っているので、

5日間は楽しめるな。

 

教育の現場は、千差万別だし、入ってくる生徒の

性質も毎年違う。

 

現場では、子供が入ってくる前に、

今年はこうしようと目標を立て、

いろいろ準備し、教育活動にあたる。

 

その時、学年団とか、教科のまとまりとか、

部顧問の集団とか、

学校にはいろいろな小集団があり、

一人の先生が、何役もこなしている。

 

例えば、

1年生の正担任、テニス部顧問、教務課、数学の教員

等、である。

 

学年団ではその中で、添削指導の係とか

毎日の清掃指導とか、またいろんな仕事の担当をしているし

一人で何役もこなして、

それで、何とか学校は回っている。

 

だから、現場の目線合わせも必要だが、

いろんな意見のすり合わせをして、妥当な線で

教育活動は動いていく。

 

毎朝朝会もあるが、忙しい昨今は

単純に連絡事項が伝えられるだけで、

それをなぜやるのかとか、どういう方向性でやるのかとか

そういうことを話し合う余地がない。

 

勢い、個別の判断で進む場面も多く、

そこらへんに、上手く行かない素地がある。

 

なぜこんなことになったかと言えば、

理由はいろいろあるが、

現場で感じていることは

職員会議の性質が変わったということが大きいと思う。

 

例えば、国会の審議も、審議しないで、

政府案をそのまま通せばどうなるだろう。

 

一応政府が練り上げた案だから、いい案なんだろうが、

それを現場に適応させたときに、どうなるかという疑念を

一つ一つ明らかにして、どういう趣旨で、何のを目標にして

だからこうやるべきだという、現場サイドのチェックがないと、どんなに理想的な案でも、

現場でやり切れず、事業が失敗するだけでなく、

その副作用がしばらく現場に残る。

 

だから、その案の意味合いを明確にするためにも

国会での質疑は非常に大事だ。

 

より良い施策にするためには、異質な意見を聞き入れて再興する部分が必要だ。

 

これを学校現場で考えてみれば、どうなるか。

 

まず原案は文科省の通達である。

教育課程の趣旨や、その意味合いを行政サイドの人が来て、案の作成者の視点から説明されるが、

現場は、新しいことを一方的に告げられるので、

それを実際に現場でやった場合の疑問点をたくさん持つのが普通だ。

 

なぜ、そのように変わったのか、今までの方針はどういう成果だったのか、どこに問題があったのかという点には一切触れず、ということはつまり、政府案には一切の検証を許さず、もしかしたら誤りも含んでいたかもしれない部分をそのままにして、また同じ部局の人が真偽不明の検証不能の教育施策を作るのである。

 

次に教育委員会は、その施策を文字で理解して、一切の反論を許さず、教育委員会の指導で現場を縛る。

 

国会なら、導入前にいろいろと質疑があるが、教育現場日はそれがない。

 

そして現場の学校に降りてくるのである。

これは主に、職員会議等で示されるが、

今の職員会議には、議論議決の権限はない。

 

昔から法律上そういう規定だったかもしれないが、

職員会議では、上からの指示を聞いて、現場の感覚に合わないものについては意見を言って、納得する過程があった。

 

場合によっては、おかしい、そんな指導はできない、という強硬な反対意見も出る。

 

でも、管理職はそういう異論を聞いたうえで、納得するような論理展開をして、一応の納得を得たのである。

 

不満はあるものの、管理職の努力や説得の本気度を見て

それでは協力してやりましょうとなったのである。

 

ここには対話があり、上意下達ではなく、

お互いに意味を認めて、そこから先は自主的に取り組むのである。

 

こうすればいいというマニュアルが渡されて、

指示事項だけで、質問はなしにして、てきぱきとこなしていく。ここには納得も疑問も、自主性もない。

 

言われたことはその通りやり、実績になりそうな、

言われたこと以外の部分に全力をかける人は偉くなり、

言われたことに疑問を感じつつ、時々顕現する人は

面倒くさい人という評価が下され、

教員は分断されるのである。

 

要するに、話し合いをして納得して前に進むという

教育の本質を、職員会議を単なる指示事項の伝達の場にしてしまったから、教育はおかしくなっている。

 

管理職は、表立っての異論が出ないようにふるまうから

教員の本音がどこにあるか知らず、あるいは、職場の問題点に、本当に何かが起きるまで対処しないか、気づかないふりをする。

 

何かあったら直接、という方式では、問題の共有もできず、もしかしたら、偏った意見だけを情報にして、

管理職が動くこともありうる。

 

秘密のやり取りで、職場に何か指示が出される気持ち悪さを教育現場は許容しない。

 

官僚組織では上意下達で、自分の担当でミスが出なければよく、集団でわけのわからない子供たちに向き合うなんてことはないから、教員がやっていることを、見下す傾向がある。

 

文官では、農業はできまい。

現場に立って自然を相手にしなければ、どうにもならない。

いくら米をたくさん作れって言ったって、そううまく行くもんか。

教育だって同じだ

今日からコメはやめて、麦を作れって

紙の上の(画面上の)データでは可能に見えるんだろうが

そんなことをしたら、どうなるか、現場の人は知っている。

 

教育現場には、何年かに一度、劇的に新しい作物を作れという要求が出される。工場だって、新しいものを作るためにはいろいろと準備が必要だ。

 

機械や図面や技術者や新しいことに対応するには巨大な投資が必要になる、

 

教育現場はそういうことがない。

黙って新しいものを作れ。

作れないのはお前たちが無能だからだという感じを

遠回しの表現で言う。

 

こうやって納得機関の職員会議をつぶし、

政治の介入を止める権限を教育委員会から取り上げ、

上意下達にした。

 

意思決定は早いだろうが、教育はそう簡単に結果は出ない。

結果を求められる子供も辛かろう。

 

教員から自主性を奪った。

これは、意思決定権を奪われた、人間と同じだ。

こういう人間がどうなるか、分からない人はいまい