奉仕者として現場に来る兄弟姉妹の中には、建設にまったく縁のない素人がたくさんいて技術を持つ兄弟たちの下で奉仕して覚えていった人が何人もいる。そして休憩時間や食事時には軽い合コン状態… 新たなクリスチャン同士の結婚相手探しの場になっていった。

私は一つの建設プロジェクトに参加するとトータル10〜15日くらい滞在していたので、その地域の兄弟姉妹たちとも親しくなれて地元の美味しいもの、温泉を楽しみながら充実した建設ライフを送った。残り半月は世俗の仕事で生活費を稼ぎまくって悠々自適な生活を送ることができた。

愛車はアメ車のキャンピングカー。
シボレーシェビーバン…

これに乗って建設プロジェクトは大会ホール建設に参加してました。これを出すと関係地域で奉仕していた人にはバレるが今さらのことなので構わないが…

時には宿舎なしで車内で寝起きしていたこともあった。車内にはたっぷりのお酒も積んでいたので…

この頃は統治体の指針が地元で自分たちの王国会館を持つことが励まされており、建設のために自分を差し出す人たちは組織の中で称賛されていた。大会のプログラムの中でも強調され、インタビューでステージに上がることもあった。なので参加する場所でも「貴重な奉仕に携わってくださりありがとうございます」といった感謝の言葉をたくさんいただいた。私自身は20代〜40代半ばまで充実してライフワークを送らせてもらった。余談だがこの間に建設奉仕者に登録していた5人の姉妹に告白して付き合ったが、なかなか関係は進まず今の妻は建設で見つけた相手ではない。

でも建設奉仕は野外奉仕とクルマの両輪に例えられたりして、これがエホバへの清い崇拝の貴重な仕えかたなんだと疑うことなく日々を過ごしていた。

JW組織にどっぷりと浸かっていた時代でしたね。

ぬ文字通りの建てる業は1980年代からJWの中心的な奉仕の分野だった。支部の建設、海老名大会ホールの建設から始まった。私も支部の建設奉仕でベテルに招待されて今の6階建ての工場棟を建てました。鉄筋部門でしたので建物の躯体の重要な作業分野で働きました。あっ、少額の手当だけでの過労奉仕でしたけどね…

ここで組織の闇の部分を一つ
工場棟を建てていた時のこと。型枠を立てて鉄筋を組みコンクリートを流し込んでまたその上に型枠を立てていくのだが、コンクリート床には上と繋いでいくための鉄筋が出ている。(差し筋と呼ばれている)大工部門の兄弟が床に落ちた手ぶくろを拾おうとした時、あろうことか出ている鉄筋で眼球を刺してしまった。なんでそんなことと思う人のために…
しばしば人の焦点は自分が見ようとするものに合わせる。時にあるものに焦点が合っていると周りは焦点外になる。その危険な錯覚で兄弟は手ぶくろを取ろうとした時に鉄筋が点になり注意が散漫になって刺してしまったのである。事故発生で現場は混乱し、救急車を呼び病院に運ばれた。が、損傷が深く眼球摘出手術を行い片眼を失うことを余儀なくされた。ここからの組織の対応が闇だ。普通はこれだけの大事故が生じると労働基準局の監査が入るが、ここは労働者のいる現場ではなくあくまで自発的に奉仕している人たちで給料は発生していないので労働基準の法律に関わるケースではなかったのだ。なので事故があった翌日からも何事もなかったように工事が進められていった。怪我した兄弟はもちろん社会保険とかの対象外のベテル奉仕だから国民健康保険での治療。とりあえず治療、入院費などはベテルで出してくれたようだが片眼を失ったことに対する保障とかは一切しない。
ここが自発奉仕の盲点で組織も奉仕する人を重視することなく使い捨ての駒としか見ていなかったわけだ。
あれから30年経って今もJWとして活動しているがハンディを負ったまま野外で生活しているようだ。

やがてそこで培った技術を生かして王国会館建設に呼ばれました。当時は画期的で斬新な速成建設だった。基礎、外構を行って、床になるコンクリートの状態から4日間で完成させるというもので建てる地域でも話題になり地元メディアも取材に来ていた。発足してしばらくすると関東が二つに分かれて東京から神奈川と千葉、茨城を除く関東圏と長野、新潟、福島のエリアで建ててきた。建設が始まるまで地元の長老をはじめ兄弟たちが土地の交渉、周辺住民への理解を得るために奔走するが示される熱意は建物の完成で報われていた。

わたしも正規開拓者だったが、建設奉仕に携わることによって作業時間が奉仕時間として考慮されていた。ほとんどが無給の自発奉仕だったが委員会メンバーと一部の専従奉仕者は自発奉仕払い戻し金という名目で手当てをいただいていた。わたしも…

知らない土地の兄弟姉妹たちにもてなされ、宿舎を提供していただき地域の温泉に入り割り当てられた期間滞在して奉仕する。野外奉仕が好きではなかった私としては喜んで何日でも携われる奉仕だった。

2へ続く
時に「ベテル奉仕者」という肩書きは強みがあって地方に行けば行くほど最強になったものだった。

5月に入るとベテル奉仕者は夏の休暇の申請と共に出席する地域大会の場所を申請する。ベテル長老たちは参加する大会でプログラムを扱うからだ。基本的にベテル奉仕者はどこの地域大会にでも出席できるので休暇を取って観光を兼ねて地方の大会に出席することができた。人気は避暑地の観光地で長野の地域大会は出席するベテル奉仕者の人気の場所だった。

私もある年は長野大会に出席した。大きな体育館で4000人規模の大会だった。期間中に開かれるベテル奉仕希望者の集まりでインタビューを受けて思いを高揚させることに一役買った。滞在中は宿舎部門を通して民泊…

この民泊を通してその家族と親しくなり娘さんと結婚したり、会衆内の独身の姉妹たちを招いて一緒に食事をすることがきっかけで結婚された方々も多い。大会後に休暇を取って再び遊びに来ては家族関係を深め好印象へ導いていく。地方の娘を持つ親御さんにとっては宿舎提供という正面からの婿探しなので、この民泊という取り決めこそは結婚相手を見つけるのに有効かつ有力な手段だった。地方の姉妹たちは純粋で、それでいて容姿端麗な方も意外といましたからね〜 その結果兄弟40代後半で姉妹は20代半ばといった結構な年の差婚もありましたし… 

ここでベテルで起きた不祥事もいくつか…
建設奉仕者たちのいた宿舎棟で、4人一部屋だったがある部屋で同室の兄弟のお金を盗んだ人がいた。もちろん外部(警察)に通報することなく、ベテル奉仕を解かれ出された後に審理処置を受けた人がいた。

ある時には食事で余ったおかずを容器に入れて部屋に持ち帰ることができるが、その兄弟は持ち帰って早めに食べずおかずを腐らせてしまったことをハウスキーパーに見つかり野外の寄付で賄われていることへの感謝の欠如として助言されベテルから出された。

一人の若者はあろうことか既婚の姉妹を好きになってしまい、ハウスキーパーだった姉妹を襲ってしまった。もちろん直ぐに明るみに出て、事が起きてから数日後にその若者はベテルから出され後日排斥。

別の若者は友だちと一緒に建設奉仕が終わって夕食後に海老名駅近くに買い物に出かけた。その際一人は250ccバイク、一人は自転車で出かけた。別におかしくはない…が、次の瞬間自転車の兄弟はバイクの兄弟に掴まりながらの危険走行してベテルの裏門を出て行ってしまう。それを見られて当然のことながらベテル奉仕者としてふさわしくない振る舞いと助言を受け、しば
らくの間ペナルティの仕事をさせられる。

他にも理由はわからないがある日突然ベテルから居なくなっていた兄弟たちが数名いた。時たま起こるベテルあるある…

JWのエリート集団とはいっても、霊の実と言われる特質を衣服のように着たり脱いだりすることが上手な人たちの集団だった気がする。喜怒哀楽の表現が不自然なほど気持ち悪かったからだ。

この環境下でわずか5年だったが生活して野外に戻った。