列車はすれ違えなかった——信楽高原鉄道事故が教えてくれる「組織」という名の線路のズレ | テツになる勇気。

テツになる勇気。

テツってのはね、乗ってりゃいいってモンじゃない。撮ってりゃイイってもんでもない。スジって一人でニヤけていたら通報寸前w。
そう、テツってのは、語ってナンボなのよ(マジかっ

ニュースでちらっと聞いたことがあるかもしれません。
信楽高原鉄道で、列車同士が正面からぶつかった事故。

もう30年以上前の話なので、記憶があいまいだったり、「なんか大変な事故だったらしい」という印象だけが残っていたりする人も多いかもしれません。

自分も最近ふとこの事故を思い出して調べてみたんですね。

すると、ただの操作ミスとか不運じゃなくて、「組織のかたち」が大きく関わっていたことがわかって、軽くショックでした。
そして、これって実は鉄道の話に限らず、いまの自分たちの働く環境や組織にも通じる話でもあるな…と、ふと思うわけです。

今回はそんな視点で、あの事故をもう一度、ゆるやかに振り返ってみようと思います。

 

組織という名の信号が青でも赤でもなかった

信号って、赤は止まれ、青は進めですよね。でも、信楽の事故では、「赤だったけど…まあ行けるっしょ!」という謎の“組織のノリ”が働いてしまった。しかも、それが1人の暴走ではなく、複数の組織が「まあ…いけるいける」と口をそろえて言ってた。これが恐ろしい。

関係していたのは、信楽高原鉄道、JR西日本、そして運輸省(今の国交省)。まるで、誰かが止めてくれると思ったジェットコースターがそのまま急降下していったような感じ。
「うちの信号機能してませんけど、JRさんのが止めてくれるっしょ」
「いやいや、こっちも調整中だったけど、まあ現場わかってるやろ」
「運輸省?視察中でした(テヘッ)」

結果、両方向から列車が突っ込む最悪の事態に。冗談では済まされませんが、まさに全員が“止める役”を放棄した組織の暴走列車です。

笑えないのは、この事故で、赤信号でも電車を出せと言った当事者自身が死んでしまった。その方の名誉を今更棄損するつもりはないけど、その人に一応最後まで赤信号での発車を抵抗した駅長が、生き残って罪に問われたわけです。いやいやなんともかんとも、本当に笑えない。

 

あなたの会社にも「すれ違えない組織」はありませんか?

事故の教訓は、鉄道の現場だけではないと思うんです。

  • 会議では誰も反対しない(でも全員内心モヤモヤしてる)

  • 「一応確認しといて」と言ったまま、誰も確認しない

  • 「これは〇〇部の責任でしょ?」と、見えないバトンパスが無限に続く

  • 「ウチが言ったら角が立つから、△△さんから言ってよ」…で、誰も言わない

まるで現代の会社あるある。
レールは引かれているのに、列車がどっちから来るか誰も見ていない。
このままだと、あなたの職場も「ぶつかるべくしてぶつかる」未来が待っているかもしれません。

 

「安全装置」は人ではなく、“構造”に仕込む時代へ

鉄道の世界では、事故の後、信号や自動列車停止装置(ATS)の見直しが進みました。でも、会社や組織って意外とそういう「仕組み」の改善が後回しにされがちなんですよね。

「うちの部長、勘が鋭いから」じゃないのよ。
「ベテラン社員が全部把握してるから」でもないのよ。

属人化は“赤信号を無視する列車”です。

むしろ、ミスが起きる前提で「構造的に止まれる」ようにしないと。
そういう意味では、事故が残したものは、「組織のリスクマネジメント」の原点とも言えると思います。

 

列車は正面からぶつかってしまった。でも私たちは…

信楽高原鉄道の事故。
何十年も前の話だけど、振り返ってみると、自分の身の回りや仕事の中にも、思い当たるところがあるなと感じます。

「声が大きい人に引っ張られて、モヤッとしつつも流されたこと」
「これ、変だよなと思いながらも、誰にも言えずにそのままにしたこと」
「前回たまたまうまくいったから、今回も大丈夫だろうと軽く見た判断」

…正直、自分にも覚えがあります。

あのとき、誰かひとりでも「やっぱり止めよう」と言えていたら――
そう思うと、責めるよりも、まず自分がどうあるかを見つめ直すきっかけになりました。

これからは、たとえ地味でも「正しいやり方」をちゃんと選ぶこと。
誰かの“声の大きさ”じゃなくて、“物事の筋”で動けるようになること。

それを、自分の中の小さなルールにしていこうと思います。