僕の幼少期の話をします。

僕は1992年3月21日生まれ
父は建築関係の仕事、母は、パート
一つ上の姉の四人家族の元育った。

正直に言うと、この頃の記憶は幼少期
あまりない。特にまだ発達してないから
覚えてることが少ないからだ。

ただ、覚えている事、幼稚園の頃の
大好きだったみほ先生。
特にどこが良かったとかはない。
厳しかったような記憶はある。

それと、一番記憶にあるのが



ある日、遊戯の時間に、幼稚園の先生たちと
砂場で遊んでいた。トンネルを作るために
必死になって砂を集めていた僕。

必要な砂を確保し、水で固める。
これの何が楽しかったのかよく分からないが
ひたすら、水で固めていく。

ゾウさんのジョウロで、水を汲み往復。
砂場へと戻る。固めては汲みにいく。

ふと、その時、自分の中で疲れを感じたんだろうか、バケツに水を汲めば、一回で済むと
子供ながらに考えた。バケツを取りに行き水を汲む。もちろん大人用のバケツ。持てるわけもない。水を減らし、持てる重さにした。
そしてふと、
片方の手が空いてるのに気づき両方に水を汲む事にした。持てる範囲で水を入れ、両手で持ち

足をロボットのように動かし、目的の砂場へ。
距離にしたら100メートルもないくらい。

すごく遠く感じた、太陽が眩しい中、
腕の疲労を感じつつ、ひたすら歩く
まだかな、まだかな、重い、

指が千切れそう。そんな思いで運ぶ。

すると、突然何かにぶつかった。

一瞬の事でよく分からなかった。
砂場へ行きたい思いが強く、ひたすら
ぶつかったことを忘れ進む。 


すると、なんだか突然背中が痒くなった。
ムズムズと。毛が立つほどのむず痒さ。

うん?これはなに?って思いながらも
バケツに入った水を持っている僕。
こぼすわけにはいかない。手を離したら
砂場の水をまた汲みにいく。

子供ながらに感じた無駄な正義感だ。

痒くなり上半身を左右に揺する。
どんどん痒くなる。でも水が、、

葛藤してた時、全身にズキッと痛みが

痛い!!!!

そんな感覚だ。ここで、バケツをやっと置いた
涙が出てきた。先生がこっちへ向かってくる。

どおしたの〜ぉ、そんな感じだったろうか?

駆け寄ってくる。お水重かった?
一人で頑張ったね。

なんだろうか、子供の頃、優しくされると、泣いてしまう。よくあるなんとも言えない感情で泣いていたのと思われたのだろう。

違う。心の中で必死に叫ぶ。
違う!痛いの。背中が痛いの。

泣き叫ぶ僕、園児が来る、どーしたの。
恥ずかしくて泣く。ジェスチャー踏まえ
背中のシャツをパタパタする
すると蜂がぷーん。。。


先生が驚く。そう、バケツの試練の
最中に、刺されたのだ。

正義感から、バケツを離せず、
目の前の虫すら避ける事なく、
立ち向かった結果刺されたのである。

悔しかった、痛かった、
そんな思いでずっと泣く。

すぐに園長先生がきて、背中をツネル。
今思えば毒抜きだ。水で、流し絞る。

当時の僕には、苦痛でしかない。
園長先生を大嫌いになった。
人が虫に刺されたのに、ツネルのである。

当時の僕らでは必殺技のようなもん。
ツネル引っ掻く、ぶっ叩く。

それを、園のセンター的存在のおじさんが
仕掛けてくるのである。

なにも言えない僕は泣き叫ぶ。

少しして、病院へ行こうと、先生に連れられ
車で、病院へ行ったのを覚えている。
化膿止めを塗られ、薬を貰い、帰宅。

教室へは戻らず、園長先生が居るところへ。
母の迎えを待つ。園長先生が怖くてたまらなかったのを今でも覚えてる。無言で涙ぐんでいる僕に、内緒でハート形のパイをくれたのを覚えている。
















いらない。食べたくない。 

大嫌い。必殺技ツネくり男。 




っていうのが幼少期の思い出です。
それ以来蜂が大嫌いです。
人生では二回刺されています。
中学生の時にも。


次はアナフィラキシーショックのリスク高い僕でした。  小学生編へ。内容濃くなります。