農家に生まれて

農家に生まれて

人生半ばに差し掛かったので、そろそろ親との思いでを残そうと思う。

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親父は足袋を履いて一日中農作業していたので、とうぜんのように水虫です。

私も子供の頃から親父に移されたのか水虫です、とうぜんのように次兄も水虫です。

で!小学生の頃、民間療法なのか親父の思いつきなのか分かりませんが、風呂から出た後に

コンロで暖めた酢をタライに入れて足を浸すという療法をやっていました。

私は酢が苦手です、匂いがとくに嫌いなのは今思えばこの時のトラウマなのかもしれません。

暫くつけた後お湯で濯ぐのですが、おそらく匂いは取りきれて無いです。

本人は散々足元から上がってくる酢の匂いにやられてるので麻痺して匂いはさほど感じ無くなってます。

このような治療を暫くやっていたのですが、暫くして当時、中学生の次兄が学校から帰ってきて親父に苦情を言ってました。

どんな苦情かと言うと、午前中の授業でクラスがソワソワしだしたそうです、どうも話を聞いてみると今日の給食は寿司ではないかという話題で持ちきりだそうです。

次兄は直ぐにピンときました、そうです寿司の匂いの元は次兄の足です!俺の足が寿司!とは言い出せる訳も無く、

興奮している友達に苦笑いで話しを合わせるしか無かったそうです。

最後に、この療法ですが全く効果が無かった事を付け加えさせて頂ます。
俺の実家は母屋、蒟蒻小屋、農作業小屋、次兄家族家が庭を囲むように並んでます。
今回は蒟蒻小屋の話しです。
蒟蒻小屋と言っても2階建ての家です。
2階部分に部屋が2つあります。一階部分は蒟蒻の生子(きご)と呼ばれる赤ちゃんみたいな奴を冬の
間保管しておく所です。
2階の部屋は俺が中学生になる頃まで両親と寝床に使っていました。
俺がまだオムツをしていた頃、朝起きると両親は農作業で居ませんので。
オムツにウンコを抱えたまま、田舎特有の急な階段を手すりに捕まりながら降り。玄関から顔を出して母を呼ぶのが日課でした。
さて一階部分に冬の間、蒟蒻の赤ちゃんを保管するのですが、夜冷え込みで傷まないように炭に火を着けて保温しておきます。
地面が露出しているのですが、底に穴があけてあり炭を入れておくようになっています。
そしてドラム缶を被せておくのです。
2階で寝ていると煙がもくもく上がって来ます。
朝には視界が2m位しかない状態です。
今考えると、よく一酸化炭素中毒で死ななかったと思います。
建て付けが悪く、すきま風が吹くような家だから大丈夫だったのかな?
今では誰も寝床に使ってなく、蒟蒻も辞めてしまったので物置小屋になっています。
30代前半の話しです。



夜中の事です、風呂から上がった後、ドアを開け手拭いを手にとりました。

実家の間取りは風呂から出たらすぐ玄関です。

玄関は電気が消してあり暗くなっていました。

その時です。足元を何かがササッと通り過ぎました。

玄関側から明るい風呂場の方へササッと…


よく見たらマムシでした。

ムカデやかめ虫はしょっちゅう出ますが、さすがにマムシは初めてでした。

私はマムシを風呂に閉じ込め、母を呼びました。

大声で呼びました、何度も呼びましたが起きて来ません。

オヤジは蒟蒻小屋、次兄夫婦は別棟に寝てるので呼べません。

しょうがないので体を拭きジーパンを二足穿き、長靴も穿き、手にはスコップを持ち完全武装で風呂の扉を開けました。

俺はビビりながら周りを見渡しました。

が見つかりません、どうも洗濯機の裏が怪しいです。

恐る恐る洗濯機を退かしたら奴が居ました。

俺は手に持ったスコップでマムシの

頭をひっぱたきました。

何度も何度もひっぱたきました。

完全に頭が潰れて、もう大丈夫と確信出来るまで徹底的にやりました。

そして

マムシの後片付けをしてから母を起こしに行きました。

母は布団の中で横になっていましたが目はさめてたっぽいです。

俺は何で呼んでも来ないのか聞きましたが。

気がつかなかった、としらばっくれていました。

俺が思うにこれはただ事では無いと寝たふりを決め込んでいたとおもいます。

俺はヘビが大の苦手なのに一人で処理しなければいけなかった事は今でも忘れません。

そしてこの出来事は、俺に家を出て行きなさいと暗示されているような気がして、一人暮らしをする切っ掛けにもなりました。