伊豆高原メガソーラー問題は、これで終わりました

 

最後に残っていた裁判、事業者が伊東市を相手に争っていた裁判、もともと無理強いのものでしたが、これに決着がつきました

 

静岡地裁2023629日判決 「訴え却下」

 

読売新聞2023年6月30日付

 

 

静岡新聞 同日付

 

 

 

因みに、地元の伊豆新聞(伊東版)が一面記事として取り上げていないことが、このメガソーラー問題はすでに決着し市民の関心は違うところにあると言いたげなと、感じました

 

 

判決期日が5月から昨日へ変更になっていた

 

 

 

 

事業者は控訴して争うのでしょうが、この種の裁判はまず逆転勝訴はあり得ないでしょう

 

 

 

伊豆高原メガソーラー計画潰しについては、2017522日からブログで取り上げて来ました

 

警察から3回程灸を据えられ、これ以上計画地に近づくと事件化すると強行犯係からご指導を受けることもありました

また、非常勤用務員として勤めていた地元保育園、保護者の方々にも、ご迷惑をおかけしました

 

 

地元からご理解ご協力をいただきながら、八幡野のメガソーラー計画について書いて来ました

本当にありがとうございます

 

これで、伊豆高原メガソーラーの話題は、当ブログでは、おしまい といたしたい

 

感謝しかありません

 

 

 

新アルバム「世界が違って見える日」の歌詞クレジットには、珍しく解説が載っています

8番目に収録されている曲「心月」について、作者註があります

本来は「心月(しんげつ)」ですが、この作品では「心月(つき)」と発音しています。「心月(しんげつ)」は辞書などでは『澄んだ心』と解されることが多いようです。

私は寧ろ『仏性』と解したほうが近いのではないかと思っています。

(「仏性」 一切衆生が本来もっている仏としての本性。涅槃経「一切衆生悉有仏性」より)

 

 

 

 

今回の、心月  仏性 、とわざわざ説明するみゆきさんのイタズラが、なんとも気にかかりませんか

 

 

 

 

小乗仏教の日本では大乗仏教の涅槃経の教えは馴染みがうすいように思いますが、みゆきさんの曲には「一切衆生悉有仏性」を彷彿させる歌詞があります

 

例えば、

 

虫も獣も人も魚も

透明なゴール目指す ♪

 

(2004年「命のリレー」より)

 

 

石よ樹よ水よ 僕よりも

誰も傷つけぬ者たちよ ♪

 

(1996年「命の別名」より)


そして、202331日リリースの本アルバム、ラストに収録されている「夢の京(みやこ)」では


心を持つのは人だけ いいえそれは思い上がり

鳥は歌う 虫は歌う なのに人は なのに人は

樹木は歌う 水は歌う なのに人は なのに人は ♪


と綴っています


 

また、みゆきさんの曲には「月」をとりあげたものがいくつかあり、これらの曲に出てくる月がみゆきさんの信仰に絡んだものだと考えているのは私だけではないでしょう

 

 

ところで、涅槃経「一切衆生悉有仏性」についてですが、天理教の教えが意外なところで重なっていることをご存知ですか

 

いささかマニアックなことになりますが興味のある方は、以下お読みください

 



2016年の比較的新しい天理大学論文(2014年公開講座をベース)に、紐解くものがありそうです

 

天理大の論文明治 20 年代の社会における天理教の教えの特殊性と普遍性」

 

88ページ中段)

なぜすべてに仏性があり、心一つなのか。多くの人びとがなにがしか共有していた理解に新しい意味を吹き込むことで、人びとに信仰の力を与えた。

 

明治20年代の天理教の広がりはこのような側面をとらえずに理解することはできないだろう。最後の教えという言葉の持つ、究極すなわち特殊性(最後(だめ)の一点)は、それを成り立たたせる普遍性(十のうち九つまで)の中で初めて成り立っているのである。

ここでも、かしもの・かりものの教えは重要な位置にある。

 

83ページより)

かしもの・かりものに対してはっきりと言及した批判書は、わずかに兼子道仙『真理之裁判』に限られるようである。

(中略)

やや深読みかもしれないが、間接的な反証と思われるところがある。この本では、神道・仏教・儒教の立場から証人を喚問して天理教を批判させる。

 

その際、僧侶が批判の根拠とした一つが「一切衆生悉有仏性」(混槃経)で、この世のありとあらゆるものに仏になる可能性がある(仏性を持っている)というものである。このほか、「心如工画師、画種々五陰、一切世界中、無法而不造、如心佛亦爾、如佛衆生然、心佛及衆生、是三無差別」、「三界唯一心、心外無別法」というような教えが仏教にあるゆえに、一神教や邪交多神教は逃げ出していく。キリスト数は広がらないし、天理教は野蛮未開の教えゆえに仏教哲理の権衡にかかるところがないと説<《『真理之裁判』pp.47-48)

 

おそらく、この世は神の身体であることや、「心一つが我がの理」であり、心からどんな理も出てくるという天理教の教えは、すでに仏教で説かれているのだということを主張しているのだと推測される。

つまり、天理教の教えを否定しているのではなく、仏教の教えの普遍性を重んじるがゆえに、批判の矛先が鈍ったのであろう。仏教で漠然と認識されていた身体の問題を、神からのかしもの、人間からみればかりものだと言い切ったところに、この言葉の革新性があったのだろう。

 

(以上)

 

 

さて、

 

新アルバムは「がなる」曲がなく全曲聴き易いと、かみさんは言う

 

私は、そうかな?と首を傾げます

聞き込んでいると疲れるアルバムです

 

 


 伊東市に対していくつか提訴されていましたが、残るは、これ↓くらいでしょうか


 事業者が提訴した確認訴訟(太陽光発電規制条例上の義務、つまり市長の同意を受ける義務を負わないこと )ですが、判決期日が5月11日です


本日2023年3月9日読売新聞



* 事業者提訴分 2021年11月25日読売新聞



参考
2023年2月23日読売新聞