震災から5カ月がたちましたね。

まだ5カ月。もう5カ月。

震災に合わせた方々の心身が安らかで健やかである日が1日も早く訪れますように,そして犠牲になられた方々の魂が安らかに休めるように,また,不明の方々の1日でも早い救出されますように,願っています。

この暑い中,不明の方々の集中捜索をしてくださっている方々には本当に頭が下がります。


11日に,私が被災した場所に行ってきました。もう大分綺麗になってますね。学校の校庭もとてもきれいになっていて,12日の朝に見たあの地獄のような場所と同じとは思えませんでした。


先日,そして一昨日,震災以降初めて,大学院時代の友人と高校時代の友人に会いました。大学院時代の友人は,私と長く連絡がつかなかったので本当に心配していたみたいです。特に親しくしている子は,私をぎゅっと抱きしめて泣いてくれました。

私も泣くかな~と再会前は思っていたのですが,会えた嬉しさはあっても涙が出ることはありませんでした。

なんか,よくよく考えると震災後に私が泣いたのって,教え子が見つからなかったときと見つかったとき,安置所で子どもを見つけたとき,新聞記事を読んだときで,そういえば震災後に両親と再会した時も学生時代の恩師と再会した時も涙は出ませんでした。

なんか,自分だけが関することで泣けないというか,感情がピタッと止まってしまうというか,そんな感じがします。昔から私は,どちらかというと,誰かが辛かったり苦しかったりすると涙が出るのに,自分が苦しかったり辛かったりしても涙が出ない,感情が動かなくなる,という癖はありましたが,なんか震災後はそれが顕著になっているというかなんというか。学生の時に,二人の先生それぞれから,あなたは不快な感情にふたをする癖がある,自分を押し殺す癖がある,意識のガードが堅い,みたいなことをいわれましたが,今回もそうなのかなと思います。


でも,ときどきふっと,犠牲になった人たちとの思い出が頭をよぎって,ものすごい喪失感に襲われることは震災直後より多くなってきました。

学生の頃,トラウマ関係の授業で,2年というのは,被害者にとってはまだ2年なんだ,ということを言われました。臨床心理士の県士会では,10年,20年かかると言われました。

本当に,長い,長い闘いが待っている。そう思うと,何も感じなくなるのは,いっそ都合がいいのかと思えてきます。いつか,抑えきれなくたって爆発したと気が怖いですが,まぁ,その時はその時で,カウンセラーしてる友人や先生方から言いカウンセラー紹介してもらおうと思います。


なんか何が言いたいのか自分でもよくわかりませんね。

なんだか,記録以外の記事が増えていきますね・・・



ちょっとメールの整理をしていたら(教員採用試験からの逃避です・・・),3月27日のメールに,「今日は牛乳が手に入りました!」というのがあって,あぁあの頃は生モノとか,乳製品が手に入らなくて,店に何時間並んでも乾物しか買えなくて,辛かったなぁと思いだしました。

ガソリンも手に入らなくて,自転車こいでガソリンスタンド巡りもしたなぁ。


あのときは,本当に何もなくて,お風呂もろくに入れなくて,大変な思いをしていました。

でも,みんなで力を合わせて,寄り添いあいながら頑張っていたように思います。

信号がつかなくてもお互い譲り合って運転したり,自分の家の物を配ったり。

今では,勤務校が変わったこともあり,私の生活圏はほぼ通常通りの生活が送れるようになりました。

でも,信号無視の車がたくさんあります。利己的な行動を取る人がいます。

あの時の,握った手には何もないけれど,震える体を寄せ合って耐えていたころの心の温かさはどこにいってしまったのでしょう。


あの頃の生活が良かったというわけではないんです。やっぱり,電気も水道も車も使える今の生活がとてもありがたいです。牛乳も野菜もお魚も手に入ることがありがたいです。

でも,忘れてはいけない何かを忘れてしまったような気が,そんな気がしました。


ただ,それだけです。

職場においていたため,津波をかぶってしまったHDDのデータ復旧をお願いしていました。私個人のデータだけでしたら,あんな過去の恥の様な修士論文だの学会の発表用パワポだのは消えてしまっても痛くもかゆくもないのですが,勤務校での写真のデータも入っていたため,データ復旧をお願いしました。


3月11日以前の,美しい海岸,賑やかな校舎,そして笑顔の子どもたち。それらのデータは,どうしても復旧してほしかったんです。特に,犠牲になってしまった子どもたちの写真は,どうにかしていただきたくて,その一文を添えて復旧してくださるという会社にお願いしました。

今日,その会社から,復旧は大体成功しましたという大変うれしいお電話をいただきました。ただ,写真のデータは,色味がおかしくなったデータや,完全にダメになってしまったデータもあるとのことで,そのらの写真が,できるだけ子どもたちの写真でないことを願っています。


生きていれば,これから思い出は増えていきます。でも,3月11日で時間が止まってしまった子どもたちの思い出は,もう増やすことができないんです。唯一増えた思い出は,あの痛々しい姿との再会だけです。だからせめて,写真の中だけでも,あの可愛らしい顔で笑っている姿を一つでも残しておきたいんです。

私に知識や技術があればよかったのですが・・・。ただ,人にお願いするしかできない自分が歯がゆいです。