巷はクリスマスの飾り付けで盛り上がり、慌ただしいのはどこの国でも同じであろう。
それに加え、真夏のオーストラリアは気温が30℃を超え、この蒸し暑さの中に何か得体の知れないネガティブなエネルギーが混じっているような気がする。
12月は私にとって、あまり気持ちの良い月ではない。
何年も前に別れた前夫の浮気が発見されたのも12月だったし、泥棒に入られたのも12月だった。
車の窓ガラスが突然割れたり、いつもの道路で車を擦ったのも2年前の12月。
そして今年は愛猫を失った。
正確には11月末だったのだが、12月に入ってから、彼の遺した餌皿やらトイレやらを始末した。
さっき、袋を開けないままになっていたキャットフードや猫のトイレの砂やらを、動物愛護のボランティア団体に寄付してきたばかり。
12月はともかくとして、いつかこの日が来るとはわかっていたのだが、ペットロスからは完全に抜け出してはいない。
うちにはもう一匹プードルがいるので、その子を抱きしめたりしているのだが、どれだけ小さな生き物でも、気配がひとつ減ったことを強く感じる。
特に猫は昼間でもベッドの下やクロゼットの中で寝ていて、どこにいるのかわからないこともあったのだが、それでも、家の中にもう一匹動物がいるという気配があった。
それがなくなったのは、寂しい。
ふとシャワーの扉を開けたとき、以前は最初に足を置くマットの上に寝そべっていた猫を踏まないように、気をつけて足をおろしていたのだが、今もそれをしようとして、もうそこに猫の姿がない時、小さかった彼の存在の大きさを感じる。
夜中に起きて、トイレに行こうとベッドから起き上がった時、目の端で何かを捉え、「あ、猫ちゃんかな?」と思ってしまう自分がいる。
暗い部屋の実は鏡に写った自分の姿だったりするのだが。
これから娘の誕生日、友達の誕生日、自分の誕生日、クリスマスと、本来ならばお祝いごとが多い月なのに、今年も蒸し暑さの中で静かな哀しみを消化しきれない自分がいる。
それは
