ダウンアンダーからのお便り

ダウンアンダーからのお便り

オーストラリア生活も今年で30年。大自然に囲まれた、のんびりとした毎日の生活をご紹介します。

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巷はクリスマスの飾り付けで盛り上がり、慌ただしいのはどこの国でも同じであろう。

それに加え、真夏のオーストラリアは気温が30℃を超え、この蒸し暑さの中に何か得体の知れないネガティブなエネルギーが混じっているような気がする。

12月は私にとって、あまり気持ちの良い月ではない。

何年も前に別れた前夫の浮気が発見されたのも12月だったし、泥棒に入られたのも12月だった。

車の窓ガラスが突然割れたり、いつもの道路で車を擦ったのも2年前の12月。

そして今年は愛猫を失った。

正確には11月末だったのだが、12月に入ってから、彼の遺した餌皿やらトイレやらを始末した。

さっき、袋を開けないままになっていたキャットフードや猫のトイレの砂やらを、動物愛護のボランティア団体に寄付してきたばかり。

 

12月はともかくとして、いつかこの日が来るとはわかっていたのだが、ペットロスからは完全に抜け出してはいない。

うちにはもう一匹プードルがいるので、その子を抱きしめたりしているのだが、どれだけ小さな生き物でも、気配がひとつ減ったことを強く感じる。

特に猫は昼間でもベッドの下やクロゼットの中で寝ていて、どこにいるのかわからないこともあったのだが、それでも、家の中にもう一匹動物がいるという気配があった。

それがなくなったのは、寂しい。

 

ふとシャワーの扉を開けたとき、以前は最初に足を置くマットの上に寝そべっていた猫を踏まないように、気をつけて足をおろしていたのだが、今もそれをしようとして、もうそこに猫の姿がない時、小さかった彼の存在の大きさを感じる。

夜中に起きて、トイレに行こうとベッドから起き上がった時、目の端で何かを捉え、「あ、猫ちゃんかな?」と思ってしまう自分がいる。

暗い部屋の実は鏡に写った自分の姿だったりするのだが。

 

これから娘の誕生日、友達の誕生日、自分の誕生日、クリスマスと、本来ならばお祝いごとが多い月なのに、今年も蒸し暑さの中で静かな哀しみを消化しきれない自分がいる。

 

それは

 

昨夜は大坂なおみのオーストラリアオープンでの2度目の優勝を見届け、続くインタビューなどを見終えたところでぐったりと疲れたので、早めに寝ることにした。

そのせいか、3時半に一度目が覚めたので、時間を確認してからもう一度寝た。

その3時半から4時半くらいの間に、父の夢を見た。

 

夢は起きた瞬間から、風に流される雲のように、あっという間に薄れ、やがて記憶から消え去ってしまう。

思うだそうと思っても、もう戻ってこない。

今、うっすらと残っている夢の記憶を、ここに書き残こしておこうと思い、朝からコンピューターを立ち上げた。

 

夢では私は父とタクシーに乗ってどこかに行こうとしていた。

いや、タクシーだったのか、電車だったのか、今でははっきりとは思い出せない。

ただ、途中でお互いに元気にしてたかという話をしたような気がする。

私は父がすでに亡くなっているとわかっていて、その父に、「あちらでちゃんと食べている?」みたいなことを聞いた。

生前と比べ、父はその半分くらいの大きさに縮んでいた。

「死んだら、縮んじゃうんだね」と、私は父の手を取りながら言った気がする。

もっと話をしたと思うのだが、内容はもう思い出せない。

ただ、父と二人だけでどこかへ出かけられたということが嬉しかったのと、すでに亡くなっている父のあちらの世界での健康を心配していた。

 

父と行った先は、奥の壁にバーカウンターがついているホールのようなレストランだった。

店には客はおらず、従業員が何人かバーカウンターで話をしていたり、テーブルの位置を直したりしていた。

そこへ親しそうに入っていき、マネージャーらしき人と話を始めた。

父は仕事の会合やその後の飲み会などで使う贔屓にしていた店がいくつかあったのだが、私は心の中で、ここもその一つで、先月分の会計を済ませ、自分は亡くなったのだと報告に来たのかなあと思っていた。

自分が亡くなったことを自分で店に報告するなんて、普通に考えたらおかしなことなのだが、夢なので、そういう風に思ったらしかった。

 

私もそこで女性従業員に挨拶をしてから振り返ると、それまでテーブルに腰を掛けていた父の姿はもうなかった。

私は心の中で、ああ、もう父はあちらの世界に帰っちゃったんだなと納得し、帰りは一人だ、と思った。

そこで、諦めと寂しさと悲しさの波が静かに押し寄せてきて、私は泣きながら店を出た。

店の外は、見慣れているようで知らない神戸の街角があった。

そうか、私は今神戸なんだと思いながら、この道をまっすぐ行ったら、バス停に出られたなあと考えながら、一人で商店街らしいところを歩いていた。

途中で知り合いらしい人と出会ったのだが、相手は泣いてぐちゃぐちゃの顔になっている私に気がつかないようだった。

 

そこで夢が終わった。

 

もっと父と歩いていたかったのだが、父も母や弟に会いに行かねばならず、忙しいのだろう。

でも、今朝は起きた時にはっきりと夢の中で父と会えたことを覚えていて、涙は出てくるのだが、嬉しかった。

もっと覚えていられる夢に出てきてもらいたいのだが、これは父のせいではないのだろう。

以前、イギリスのチャールズ皇太子は、ベッドの脇にノートを置いておき、見た夢を起きてすぐに書き留めるということをしていると読んだことがある。

私もベッドの横にノートを置いておき、見た夢を忘れる前に書き留めたら、これからも父との思い出が増えるかもしれないなあと思った朝であった。

 

 

 

今日は春節である。

早朝に犬の散歩で近所を歩いていると、同じように散歩をしていたオーストラリア人の女性から、「ハッピーニューイヤー」と声をかけられた。

「この人、私を中国人と思っているな」と思いながらも、新年の挨拶を返した。

今日は近所の台湾系のお寺でお祝いの催しが行われる。

誰でも入れるので、毎年覗きに行っていたのだが、今年は予約制となっており、塀の向こう側から準備している様子を覗いてきた。

今年は去年の分も取り返せるような福がたくさん訪れますようにと、塀のこちら側から心に念じてみる。

 

一昨日は父の最初の月命日であった。

突然相方を亡くした母は、最初の2〜3週間はかなり認知症が進んでしまって、過去に飛んでしまったようであったが、一ヶ月が過ぎ、随分と落ち着いてきたようである。

相変わらず私は午前中と午後、それぞれ2回ずつ、計4回実家に電話をしているが、どうやらいつも電話機の置いてあるダイニングキッチンで一日のほとんどを過ごすらしく、2〜3回のコールですぐに出てくれる。

昨日はテレビが点かないと言うので、夕方訪れた弟夫婦に見てもらったら、壁からコンセントが外されていた。

昼間掃除機をかけようとして、テレビのコンセントを外し、掃除機のコンセントに切り替えたまま、元に戻さなかったらしい。

母はまだ歩けるし、洗濯機や掃除機の動かし方も覚えているし、時々庭に出て枯れ葉を掃除したり、プラントの手入れをすることが出来るのだが、テレビが点かないのは電源が入っていないからかもしれないと考える能力は無くしている。

すでに出来ることは限られているのだが、これからもっともっと87年かけて学んだ事を忘れていくのだろうか。

 

一ヶ月前は起きている時間はずっと父の事を考えていた私も、一ヶ月が過ぎて、少しずつ元の生活に戻りつつある。

毎朝父の事を考えるし、日中も思い出すのだが、もうその思い出に涙はついて来ない。

 

以前どこかで、親を失くす事は過去を失くすこと、伴侶を失くす事は現在を失くすこと、子供を失くす事は未来を失くすことという文章を読んだことがある。

それに当てはめるのであれば、私が失くしたのは過去、母が失くしたのは現在。

現在を失くした母は、毎日食卓に椅子に座り、テレビを眺めて一日を過ごすらしい。

私は父との思い出が薄れないように、過去を失くさないように、毎日父との思い出を噛み締めながら毎日を過ごす。

 

来年の今頃、過去となった今日のこの日をどのような状況で思い出すのだろう。

「去年は大変だったけど、やっと元に戻りそうだね」と言える日になっているのだろうか。

春節の今日は新月。

新しく始まる丑年が、どうか世界中の人たちにとって、良い年でありますように。