無職ですが何か?
気がついたらアメブロ半年以上放置(((( ;°Д°))))
放置していても消滅しないことが判明。それで良しとしよう。
アメブロ放置中に転職したり、離職したり、放浪したり、恋したり。
そりゃあもう心も身体も大忙し!
*涸沢の紅葉*
他にも屋久島の写真とか、岐阜の写真とか諸々あるけど、一眼の写真のアップ方法忘れたのでまた後日w
初めてのお仕事では自分の仕事に対する姿勢とか、譲れないこととか、何が自分にとって正しいことか、何が自分にとって必要なのか、そのへんがしっかりと分かったので良かったかな。
もし、次にまた営業の仕事をする機会があったら、その時は絶対に自分が「これはいい!」って心から思える商品の営業をしようと思った。
恋?は自覚した時がもうお別れ間近で。何もできずに終了(・Θ・;)
まあいいな~程度でも人を好きになれたから良しってことか。
ただ、あんまり恋しないと酔った時にふらっと軽はずみな行動に出ちゃうからしっかりしなきゃね。
とまあ仕事を辞めて四ヶ月。
ふらふらフワフワのんびりしたので。
暫くは引きこもるべく、今日学校を申し込んできた。
8月の試験を目指して勉強するんだ。
子は親を選べない
うちの母親は兄が好き。
小さい時から兄は贔屓されて育ってた。
小さい頃から何となく感じていた事実。
お兄ちゃんは嫌な習い事はすぐ辞めた。
私は辞めることも休むことも許されなかった。でも送り迎えしてもらえる訳ではないので暗い中
習い事に歩いて通った。
結果変質者にあった。
大声を出して未遂で終わった。
母は心配してくれたけど私に言った。
「フラフラ歩いて変な子だと思われて襲われたんだ。ちゃんと歩いて。」
お兄ちゃんは中学に入って反抗期になった。
高校受験も受かったかどうかを教えることはなく、私が先生に聞いてわかった。
それでも地元で一番の男子校に受かって母親は喜んでた。
私は比べられるのが嫌で対になってる地元で一番の女子校を受けたくないと言った。
その日の夜、母親は紐をもって部屋にきて、私の首をしめようとした。
「お前は生きていても意味ない」
その場で女子校を受けることを約束した。暫く夜寝るのが怖かった。
大学受験。兄は名門の国立大学に受かった。母は喜んで入学式に東京まで行った。
私は国立落ちて私立に行くことになった。
「恥ずかしくて誰にも言えやしない」
そう言われた。入学式にはもちろん来なかったし、家を出る日に見送りなんてもちろんなかった。
兄には仕送りをしていたので4万位の奨学金をもらってバイトもせずに兄は大学生活を楽しんだ。
私は仕送りなく奨学金を16万とバイトをして大学の学費と生活費をまかなった。
兄は留年していて今年卒業だと思った年にもう一年あると言ってきた。
母はお金がなくて私に50万貸してほしいと言ってきた。普段はプライド高く、子供にお金をたかることなどしない人だ。でも大好きな兄の為ならなんでも出来るのだ。ただし兄に自分で働いて稼ぐようには言わない。
私は黙ってだしたけどそのお金は返ってきてない。
ひたすらバイトして大学行って。そんな生活に疲れてやつれた私は就職はしないで放浪生活することを選んだ。
その話をした時言われた。
「私に迷惑かけるのはいいけどお兄ちゃんに迷惑かけるのだけはやめてね。」
思わず私は言ってしまった。
「私は高校卒業後一度だって二人に迷惑かけたことがないはず。お兄ちゃんの授業料もお母さんの入院費用も出した。迷惑かけてるのはそっちなのにまだそんなこと言うの?」
母は何も言わなかったけどきっと言葉は響かない。
兄の為に作った借金の保証人に私と兄がなっていた。
母が払えなくなって二人で半分ずつして完済した。兄の為につぎ込んだお金をだ。
その後も帰省する度に生活が苦しいのは知っていたので数万渡してた。
一方で生活が苦しい中、兄の携帯代の請求が来ると母は黙って払ってた。
兄は奨学金の督促もよく来ていた。月額私の三分の一なのに。たまに母が払ってた。
母はよく兄の愚痴を言う。
ここまで甘やかされて育った人間だもの、母の気持ちを考えることないし思いやりのかけらもない。
私は毎回ただただ愚痴をきいた。
震災で家が壊れて母は借り上げアパートへ引っ越した。
私にしきりに泊まりにこいと誘う母。
「新し布団もあるんだよ」と。
前もって連絡しておいて泊まりに行った当日、兄が急遽帰省した。
当たり前のように兄に布団を差し出して私にはこたつで寝るように母は言った。
義援金が二回出た。保険も少し降りた。私は言った。
「絶対自分の為に必要になるんだからお兄ちゃんに渡したり使ったりしちゃダメだよ」
マンションも直さなくてはいけないしお金は足りない。それは母も十分承知のはずだった。
わかった、わかった、という母。
結局大型テレビを買ってあげたらしい。
そして電話してきて私に愚痴る。テレビをたかられた、と。
がまんが爆発した私は自業自得だと伝えて電話を切ってしまった。そして涙が止まらなかった。
別に見返りを求めてる訳ではないつもりだけど、どこかで見返りを求めていたのかもしれないけど。
いつも兄を優先していて。それでも助けてきたのは自分の意思のはずだけど。
兄の愚痴をきくのも私には何もしてもらえないのに兄に色々していることを聞くことも。
あまりに傷ついてしまった自分がいてビックリした。
憎んでも自分が辛いだけだから母を今更憎むとかはないけど。
ただただ悲しい気分でいっぱいになった。
私の取り扱い説明書
ボチボチ転職活動開始しました。
9月にフライングして1社ITコンサルティングを受けて最終面接で落ちて。
先週2社目、ベンチャー企業の営業コンサルティングを受けてきました。
結果はダメだったんだけど、そこの代表がいい人で、色々とアドバイスをくれました。
私の履歴書の志望理由について、もっともっと企業側の欲しがってる私をアピールしたほうがいい、とか
もう少し先を見据えた上で自分のキャリアプランニングしたほうがいいとか。
私は自分の性格上ベンチャーがあうと思って今回そこの会社に応募したんだけど(社員5名)
ベンチャーだと育てる体力がないから、もう少し営業を経験するか法務もしくは財務を極めてから受けるかしたほうがいいとのこと。
営業を馬鹿にする人は多いけどモノを売れる人間がいなきゃ会社は成り立たない大事な役割だ、と社長に言われた。
先を見据える・・・。
職種はまだ定まらないけど出来るなら長野や沖縄など自然豊かな所にいつかは引っ越したい。
そうするとある程度オールラウンドに仕事をこなせるようになっていたほうがいい。
ようはベンチャーでも働ける人間ってことに近いかな。
そして営業について。
人と接するのは苦手ではないしそれだと「私」をセールスするのに色んなエピソードや根拠がある。
コンサルティングに興味があるが、コンサルティングを募集してる企業の欲しい人間は私ではない。
そうなると・・・。今回の転職は踏ん張って営業の経験を積むか?!?!
あまりに色々とアドバイスをくれて、お礼を言った時社長に言われた。
「今回200人以上の応募があって、面接したのは10人。なので会った10人には、今回縁が無かったとしても何かを得て進んでほしい。だから、せめて本音で話してキャリアカウンセリングしてプラスにして帰って貰えればと思って。」
目の下にクマを作ってにっこり笑う社長。
私は面接してもらうってことは相手の大事な時間をさいてもらうことだったんだってことが身にしみた。
次の面接は明後日。ここは営業の仕事。
受かったらラッキーじゃなくて、自分という商品のウリを考え相手の求めてる機能がどのように備わってるかを
履歴書という取説に書き出して挑みたいと思います。


