やっと最近落ち着いてきたから書こうと思うけれど、神戸にきてもう半年がたった。得たものなんてのは殆どなかったけれど。

 

元々、ある程度料理はできたし(手先が不器用だから未だに卵焼きだけはできないけれど)掃除も洗濯も普通にしていたから特にそういう親の有難さってものは特に気づかなかった。最初は。やっぱり最近は親の安心感ってものに気付いた。

 

7月あたりにやっと初めてのものが得られた。でもそんないいものじゃなく躁鬱だった。だから今回は将来の自分に向けてのメモついでに少しだけどんな道程を辿ったか書き記しておこうと思う。

 

7月になんやかんやで一番依存していた人を失ってしまった。依存癖が人一倍、五倍ぐらいあるけれど、まさかここまで強いものだったとは思わなかった。一気に鬱に陥り、世の中すべてがセピア色に見え、家事もほとんどできなくなり、朝も起きれず眠りも浅く、今まで以上にマイナス思考になっていて、謎の焦燥感や眩暈、そして何事への集中力が完全に0になってしまい、テストも散々な出来で部活も遂に無断欠席するようになってしまった。更に人生殆ど泣いたことがなかったのに、毎夜毎夜一生分ぐらい泣いていた。流石に不味いと思い予約を取り、二週間後ぐらいにやっと病院に行きだした。話は逸れるが大体鬱病患者ってのはギリギリになってから病院に予約を取りに行くものだけど、こういう病院ってのは大体完全予約制でしかも完全に埋まっている。二週間でも早い方で、その前に予約を取ろうとした病院は1カ月半待ちぐらいだったはず。兎角、最初の診断は鬱病で抗鬱薬を飲み始めたが全く効かず、薬も3種類ほど変えたが全く変わらなかった。

 

躁鬱だと気づき始めたのは、免許合宿の時の今までの鬱が嘘のようになくなり寧ろかなりのテンションになっていた時だった。そのあとも、勢いだけで高知へ車へ行きだしたり、躁状態が克明に出だした。しかも、11月あたりに精神安定型の薬に変えてから一気に状態が良くなった(鬱にはこの薬は効かず、また躁鬱には鬱の薬は効きにくい)。まだ10月からずっと大学へは行けていないけれど。

 

これがざっとした経過だ。何が辛いかって基本的に人前に出るときはそこそこのテンションになっていて、まさか鬱だとは言いだしにくいことかなと思う。ほかに、食欲の増減が激しく痩せたり太ったりを繰り返しているし、突然甘いものが食べたくなったり、本当に色々おこる。

 

原因といえば、元からの精神の弱さかなと思う。依存しがちで、自分を隠しがちで、優しいふりの御為倒しなところの自己嫌悪に。畢竟、自分の嫌なところばかりに目が行くからか。

 

今はどこぞの黄色い熊のように「何もしないことをしている」感じかな。この病気は自分から死ななきゃ死ぬことはないし。抗鬱薬をやめたことからの離脱症状も辛いけど、前に比べれば数倍ましだ。兎にも角にも、自分を変えるってことはおそらくできない。というかそんな自分をころころ変えれるような浮ついた人間は地に足つけてほしいとまで思う。

 

まだまだ本調子には程遠く、前ほどうまく文は書けなかったかな。ここまでわざわざ、思いついたことを適当に書いていただけだけど読んでくれたのなら、ちょっとでも鬱への理解を深めてくれたらうれしい。

 

まあ、時間が解決してくれることは多いだろうからその時までゆっくり生きていこうと思う。それがいつになるのかはわからないけれど。