お久しぶりです。

お久しぶりすぎて、読者の方々はもういなくなってしまったかもしれませんが、少し疑問に思うことがあったので、今日はそれについて書かせていただきます。


さて、今日は3月11日です。

私は、福島県民なので、この話題については少しナーバスな気持ちになります。


ツイッターなどを見ていて思ったのですが、たくさんの方が、東日本大震災を”忘れないため”また”復興を祈って”や、他にもいろいろなことが東日本大震災についてツイートされていました。


その数々のツイートに対して「偽善だ」や「その日だけ思い出したように語るな」など批判的なツイートも多く見ました。


さらには、「偽善だ」や「その日だけ思い出したように語るな」などのツイートに対するさらなる批判。

東日本大震災について語るだけで、「偽善だ」などの批判が上がる怖い国といった意見が多く書かれていました。


これが一応、僕が今日見たSNS上での東日本大震災についての意見の流れです。


僕は、これに対して、やはりSNS上で、「忘れてはならない」や「生かされていることに感謝」や「復興を祈る」やその他さまざまなツイートは偽善とはいかないまでも、良い気分にはなりません。


SNSは多かれ少なかれ、目に見える見えないを問わず、第三者に向けて発信されているものです。

そのことを踏まえると、やはりどんなきれいな、またはまっすぐな気持ちを「SNS上で」発信されても、「いいねやりツイートが欲しいのかな」や「少なからず、自分に対するメリットを求めているのかな」などと自分は思ってしまいます。


また、そのようなツイートがされての善し悪しを考えるのは実際に被災された方なのではないでしょうか。

そのようなツイートを見て、被災された方々が気分良く思えるならそれは良いことだと思うし、その逆なら、そうではないのでしょう。


本当に強い思いがあるなら心の中で祈ればいいし、別に3.11を検索した画面をスクリーンショットして載せる必要もないのではないでしょうか。


最後に、本当に東日本大震災で恐ろしさを体験した人たちは、SNS上にあげたりすることはないのではないかと思います。

僕は福島県出身なので、SNS上でも福島県民が多くいますが、震災についてのツイートを載せる人は少ないです。

それは、わざわざツイートしなくても恐ろしさを心に留めておいているからだと思います。


僕たちよりも大きな被害を受けた方々は、なおさら軽々しく東日本大震災については語らないのではないでしょうか。


まあ、こんな風に上から目線で書き進めてきましたが、これも第三者から見れば、多くの共感を求めたり、いいね!欲しさに書いているように見えるかもしれないのでこの辺にしておきます。


では、また。