Nゲージのお立ち台の制作を開始する前に、農家主屋を完成させました。
竣工写真1:玄関側から
竣工写真2:勝手口側から
前回(農家主屋を作る(2))の投稿後、瓦屋根の裏側に、0.9×0.9角材で垂木の一部を表現しました。
こんな感じです。
それから、鬼瓦や冠瓦を作り(作り方は、「教会を作る。(4)」)、瓦を塗装し(塗り方は、「瓦屋根を塗る」)、茅を葺いて(葺き方は、「茅を葺く」)完成させました。箱棟は長屋門と同じ形です。
この建物を作るにあたり、形態の参考にした建物は、茅葺民家に関する個人の方のサイトで見つけたのですが、山口県にある嘉村礒多という小説家の生家だそうです。GoogleMapを貼り付けておきます。拡大地図を表示すれば、ストリートビューで見ることができますよ。
さて、この建物の瓦葺の部分は、増築部なのですが、何のために増築したのかを書いておきたいと思います。
レイアウトの舞台設定の記事に書きましたが、この建物のある集落は、潜伏キリシタンの村でした。明治期になり、川正教会という教会堂を建てます。
川正教会は、いわゆる巡回教会であり、司祭は常駐しません。このことと、建設資金に余裕がなかったこともあって、川正教会には、司祭用のプライベートスペースは一切ありません。
でも、村に巡回してきた司祭も、時には宿泊しなければならないこともあります。そんな時のために、江戸時代の村役人の家系であるこの屋敷の主が主屋を増築し、司祭の居室をしつらえたのです。
後年、この町は、「日本一小さな城下町・川正」として、国鉄の「DISCOVER JAPAN」キャンペーンで脚光を浴びます。川正教会も日本最初期の教会として、観光名所の一つになります。そうすると、この屋敷も川正教会の一部として、アンノン族がやって来るようになるのです。
また余計なことを書きました。最後は、屋敷を構成する長屋門、蔵と並んだ写真です。この屋敷には、あと一棟、納屋を建てるつもりです。
本日も、ご訪問ありがとうございました。