「君!大丈夫か!」目を開くとさっき話しかけてくれた旦那さんが地面に倒れる私の肩をつかんで叫んでいた。’’大丈夫です’’と言おうと思ったけれど、口が動かせなかった。「今救急車呼んだから耐えるんだよ!」’’ああほっといてくれ。死なせてよ’’と心の中で呟いた。段々身体が強張ってきて、動けなくなった。「目を閉じたらだめだ!」旦那さんの声を聴きながら私の意識は闇に沈んでいった。

 「起きた!聞こえる!?」次に目を開くとたくさんの大人に囲まれていた。首だけ動かして周りを見渡すと、医者、看護師、警察官がいることが分かった。下半身にはおなじみの尿道カテーテルが挿入されていた。「お名前言える?身分がわかるものが何もないんだ」警察官に言われた。’’だって置いてきたもの’’と声にならない声で呟く。声に命令されて、すべて置いてきていたことは前の記事にも書いた。「えっと、あ、あ、夜風、、夜風、、よ、黄泉、、、あ、」掠れて震える声で自分の名前と親の名前、電話番号を伝えた。どうやら両親が捜索願を出していたらしい。すぐに親たちと連絡が取れたようだった。

 「お部屋行こうね」看護師さんがストレッチャーを動かし始めた。救急病棟に入れられるのかと思ったが、着いた先はCCUだった。「身体に相当な負担かかっていたのよ。だから今日はこのお部屋ね」CCUは広い個室だった。サチュレーションを測る機械と、心電図、カテーテルに点滴とフルコースだった。時計を見ると14時だった。「あの、、、スマホ、、」力を振り絞って、上半身だけ起こし、去り際の看護師さんに声をかけた。文字が読めることを確認したかったのだ。「ほんとは休んでほしいから、ダメなんだけどね」と、言いながらスマホを手渡してくれた。まだ吐き気が強かったので、薄目で画面を見て、直ぐに閉じた。識字に問題はなさそうだった。

 部屋ですることはない。ひたすらに横になり、吐くだけ。することはないというよりできることがないというほうが適切かもしれない。時折スマホを見て、吐く。寝返りを打って、吐く。身体の位置をずらして、吐く。どの動作をしても吐いてしまうのだった。’’私ってしぶといなあ’’と嘲笑してしまった。人間そう簡単に死なないのだろうなと感心してしまうほどに。

 気づいたら夜が来ていた。吐き気は動かなければ耐えられるようになっていた。’’少しでもいいから眠れますように’’規則正しい心電図の音を聞きながら、私は目を閉じた。

 1月22日の真夜中2時頃。私はカフェインを小さなジップロックに詰めていた。親たちは寝静まり、外も静寂が広がっていた。「今日こそは」と心の中で呟いた。玄関は父の部屋のすぐ隣なので、リビングの窓から抜け出すことにした。静かに、静かに窓を開け、靴を履く。野良猫が足元にすり寄ってきたのでそっと頭を撫でてやった。門のカギも静かに外し、家から抜け出すことに成功した。行先は決まっていた。前回は港の見える丘公園だったけれど、今度は最後に海が見たいと思った。海辺の街なので、近くの海に行くこともできたけれど、高校生のときよく友人たちと遊んだ海に行こうと思い立った。調べてみたら大体歩いて2時間半くらい。電車もバスも走っていないので、もちろん歩きだ。パンプスをカツカツ言わせながら海を目指して歩き出した。道はほとんど一本道なので迷うことはなかった。黙々と、ひたすらに歩き続けた。

 不思議と疲れは感じなかった。死にたくないと恐れていたのに、この時はもう怖くなかった。こんなオンボロな身体とお別れできる。死ってなんて魅力的!そう思った。私が産まれた病院に差し掛かるまでは。10歳の誕生日の日に母が連れて行ってくれた病院。偶然に私を取り上げてくれた助産師さんとお話をした病院。ここまで育ててもらったのに、親不孝でごめんなさい。普通の娘じゃなくてごめんなさい。そう思った。

 歩き続けて目的の駅に着いた。ここから電車に乗れば、目的地に着く。ちょうど始発が出るころだった。パスモも身分証も、お財布も全部家に置いて来ていた。そうしろと声に言われたから。ポケットに1000円札1枚と、イヤホン、カフェインだけを持っていた。近くのコンビニでパンを買って、電車に乗った。パンを食べながら車窓を眺めていると、朝日が昇るのが見えた。なんて綺麗なのだろうと涙が出た。気づいたら眠ってしまっていたようで、うっかり終点まで行ってしまった。すぐに折り返して、目的の駅に着いた。

 6時半に海に着いた。海はやっぱり綺麗で、最後はここで良かったなと思った。海辺にベンチがあったので疲れた足を休ませるために座って、しばらく海を眺めた。「ああいい天気だね」「そうね」50代くらいの夫婦が笑いあいながら散歩をしていた。「いい天気だと思わないかい。海がきれいだね」と、旦那さんが私に話しかけてきた「ええそうですね」と私も笑って答えた。少しずつ人が増えてきてしまう。早くしなきゃと腹を括った。私はまたカフェインをODした。140錠だった。今度こそ死ねますようにと、呟きながら飲み続けたのだった。

 

 初めてのカフェイン自殺から約1か月間、私はそれなりに普通に大学に通っていた。ただ、そのころの記憶はかなりぼんやりとしている。

 事の始まりは、1日20日。大好きなSEKAINOOWARIのライブ中。突然’’私は今日死ななくてはならない’’という考えが浮かんできた。「死ねよ」「生きてる意味あるの」という声も聴こえた。主治医が言うにはこれらは全部統合失調症の症状であるといわれた。ライブが終わった記憶もなく、私は渋谷の薬局を巡ってエスタロンモカ7箱と酒を手に入れた。死ななきゃ、死ななきゃと、ふらふらと歩いてたどり着いたのは代々木公園だった。そこで薬を飲もうとしたが、怖くてできなかった。恐怖心をかき消すために酒を一気に飲んだ。それでも怖かった。死にたくなかった。誰か助けて、と思いゼミの先生にメッセージを送った。「ODしたら苦しいだけだよ」「今どこにいるの、写真を撮って」と返信が来て、見えている景色を送ったらわかってもらえたらしい。母に了承を取った上で、警察を呼んでくれた。酔いが回っていてこのあたりから記憶は曖昧だけれど、警察の人に保護されて、代々木警察署で両親を待ったらしい。両親が迎えに来てくれ、タクシーで地元まで帰ったのだという。この出来事の翌日に、ゼミの先生は母に対して「病院に相談して保護してもらったほうがいいかもしれない」と医療保護入院の説明ページを送っていたらしい。母はそれをしなかった。

 私はカフェインを隠し持ったまま家で過ごした。けれども死ぬように促す声は聴こえ続けて、「死ななきゃ」はずっと頭に張り付いていた。どうしても死ななきゃならないと思い続けていた。21日は友人と電話をしたり、のんびりと過ごしていた。それでも死ななきゃと思っていた。そして私はまた行動を起こす。それは22日の明け方。いや、真夜中というべきかもしれない。私は家を抜け出して、またカフェインを飲んでしまった。もう、聴こえてくる声に逆らうことなんて到底出来なかった。私はあまりに無力だった。

 

 

 

 

 ついに4日目が来た。夜はぐっすり眠れたし、朝はすっきりと起きられた。もう完全に身体は戻っていた。朝食はロールパン、コンソメスープ、オムレツにバナナ。完食できた。朝食が終わってからはベッドに寝転んでスマホをいじって過ごした。退院は午後予定だったため、暇を持て余した。時たまベッドから起き上がって窓の外を眺めたりもした。

 「だいぶ元気になったね、本当に良かった。入ってきた当初は見ている側まで気持ちが悪くなってしまいそうなくらいだったから。元気になってよかったよ」と、入院中の担当看護師さんが部屋に来て言ってくれた。「ご迷惑をおかけしました」というと、「とんでもない。先生(精神科。今の主治医のこと)とは気が合いそう?もし合わないと思ったら先生に言ってもいいし、お母さんに伝えてもいい。そこでまた自分のことを追い込んでしまって、また同じこと(自殺未遂等)をしてしまった人を何人も見てきたから。追い込んだり、溜め込んだり、無理しなくていいんだよ」と、言ってもらえた。暖かいなあと思った。

 あっという間に昼食が来て、最後の食事をいただいた。炊き込みご飯に鱈の粕漬け、南瓜の煮物に胡瓜の塩もみ。和食だった。これもまた完食した。昼食が終わった12時半頃、看護師さんが来て母が迎えに来たことを教えてくれた。持ってきてもらった服に着替え、最後にベッド周りを写真に撮った。もう戻ってきたくないな、この時は心から思った。もう死のうとなんてしたくない、と。けれども私はまた、繰り返してしまう。自分の病気と向き合えていなかったから。この話はまた今度。

 

 初めてのカフェイン自殺編はこれでおしまいです。また思い出したことがあったり、文章読み返して可笑しいところがあったら追記したり、削除するかもしれません。次は2回目のカフェイン自殺について書いていきます。また読んでいただけたら嬉しいです。ではまた。

 3度目の朝が来た。夜中に一度良くなった吐き気が悪化して、一度抜いた点滴をまた刺してもらい、吐き気止めを入れてもらった。目覚めはあまり良くなかった。朝ごはんはご飯、味噌汁、高野豆腐の煮物、キャベツのおかか和え、海苔佃煮、ヨーグルト。もともと朝食を食べるほうではない上に、少し吐き気が残っていたので、ヨーグルトと味噌汁だけ口にした。

 

 この日は退院に向けていろんな人が来室した。薬剤師さんがカフェインの危険性について説明してくれたり、救命の先生が身体の状態の確認に来てくれた。救命の先生から「身体はもう問題ない。ただ理由が理由なので精神科医の診察を受けた上で退院を決めます」と言われた。

 

 あっという間に昼食になった。ビビンバ丼、ブロッコリーの和え物、マンゴー。吐き気が戻るのが怖くてマンゴーだけ口にした。

 

 夕方ごろに精神科医が来た。この医師が現在の主治医。カフェインをODしたときのことを他人事のように話す姿からは解離性障害を、幻聴に左右されて自殺を試みた点からは統合失調症を疑ったと、後から聞いた。「もともと通っていたクリニックに通院するように」と、言われたが、ここで診てほしいと懇願した。主治医はそれを受け入れてくれ、「今回は入院しなくてもよいが、週に1度通院するように」と、言った。精神科の診察を受けた結果、退院日が明日に決まった。身体はだいぶ楽になっていた。

 

 短いですが次に行きます。