夜話 1208 森鷗外と獨立 | 善知鳥吉左の八女夜話

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夜話 1208 森鷗外と獨立 


丸谷才一の激賞文に接して廿年ぶりに森鴎外の『渋江抽斎』を

旺文社文庫で読み始めた 

此の文庫はいま廃刊 しかし注があって読みやすい

まだ読書半だが忘れないうちにと思って書く 

渋江抽斎は江戸期の医者であり著名な考証家である 

鷗外は抽斎の先祖調べから人物像まで詳細に語っている 

抽斎の外戚にいたるまで完全に調査記録しようとしている 

そこに八女市山内に暫く逗留した天外一間人 獨立が出てくる

明国から帰化した黄檗の禅僧で黄檗の開祖隠元の弟子・書記になった 

獨立は学僧であるのと同時に痘瘡施術に長じた医者でもあった 

池田京水に其の術は伝えられ やがて抽斎にも伝わった 

そこで鷗外は抽斎を通じて池田京水調査にまで手を伸ばしている 

江戸で獨立の牙髪塔・京水の墓石をさがし墓誌を記録しよぅとするが目的を達することができなかった 

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         福寺満松岡の右獨立墓碑左「池田先生」碑


その辺の探索がこの『渋江抽斎』の一番コクのあるところ 

しかし鷗外は獨立の調査に誤りがあった様だ 獨立は師の隠元の病を宇治万福寺に見舞う途中に死亡したと思つていたらしいこと 

池田京水に関する寺や墓が江戸にあり独立の牙髪塔も江戸にあると聞きそれの探索にも力をそそいだ 

鷗外は独立は江戸で死亡してはいないと思いながら独立の江戸の牙髪塔のゆくえを探索している

黄檗僧の獨立は長崎で寛文十二年亨年七十七で死亡して 黄檗宗の本山宇治の万福寺裏の満松岡墓地に葬らている 独立の牙髪塔が江戸にあるとどうして鷗外は思ったのか不思議である

先年獨立の探墓については(夜話12198 )を御参考に

探墓のさいの写真をよく見ると 獨立の墓の左側にやや小さい墓碑らしいものがあるが 

写りが悪いが『池田先生』という刻文が見える これもきちんと撮影すべきだつたと悔やまれるが なにしろ大津での奉天二中の同期会の余暇の探墓 残念であるが仕方がない 

此の小さい碑石が池田京水もしくは其の一族の墓の手がかりになったかもしれない 

井伏鱒二の随筆に中学生のころ友人と共謀して『伊澤蘭軒』について

鷗外に手紙を出し 其の返書を手に入れるくだりがあった 

鷗外先生ご存命なら老生も井伏のマネをしていみたい  

また『伊澤蘭軒』にも池田京水が出てくるので 老生の早合点になるかも

さて今晩は後半の『渋江抽斎』にとりかかることにしょう

『渋江抽斎』の妻五百の武勇伝が出てくるところ

五百の存在がこの『渋江抽斎』を鷗外最高の伝記ものにしたと思う 

今夜も眠れない夜になるか