「山里に生きる―奥武蔵の片隅『ゆずの里』よりー」
~その32
第三十二話 奥武蔵とその周辺における廃校とその現状について(青梅市・日の出町編)
1 はじめに
前回は東京都奥多摩町における廃校とその現状について見てきました。奥多摩町の廃校について調べていると、家からそんなに遠くない町でありながら、奥多摩町の歴史や文化などについてあまりに無知であったということが分かりました。とりわけ、奥多摩むかし道については、その存在すら知りませんでした。廃校となったいくつかは、その奥多摩むかし道沿いにありました。奥多摩町は、奥多摩湖や日原鍾乳洞などの一大観光スポットがあり、また緑と清流の自然豊かなすばらしい地であることはいうまでもありませんが、反面平地は少なく、限られたものとなっています。そうしたこともあって、廃校となった学校の多くは、急峻なところに石積みをし、中腹のできるだけ広い場所を探して、建てられていました。今回は、奥多摩町に隣接した青梅市と直ぐ近くにある西多摩郡日の出町における廃校とその現状について見て行きます。
Ⅱ 東京都青梅市における廃校とその現状について

図1 青梅市地図 図2 青梅市行政区分地図
(青梅市|東京都www.mapbinder.com)
1.青梅市について
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』などを参考にしながら、青梅市について簡単に述べてみましょう。青梅市(図1参照)は、東京都奥多摩町やあきる野市、日の出町、羽村市、あきる野市、瑞穂町、埼玉県の飯能市、入間市に接し、東京都西部の中核都市となっています。市は、関東山地と武蔵野台地にまたがり、中部を多摩川が東流しています。中心市街地は、多摩川の谷口集落で、青梅街道の宿場町(青梅宿)として発達してきました。市の中を多摩川が東流し、北部では、入間川(荒川水系)の支流である霞川と成木川が、東流しています。市の東部は、市街地や商業地として発展してきたのに対して、西部や北部、南部は丘陵や山地となっていて、開発はあまり進んでいないようです。西部は秩父多摩甲斐国立公園に属し、面積は、103.31㎢で、2025年8月1日時点の推計人口は130000人となっています。さて、ここでいう谷口集落(たにぐちしゅうらく)とは、山地から平地に河川が流れ出る谷口に形成された集落あるいは市街地のことで、隣の埼玉県の飯能市やさらにその北部にある越生町、寄居町なども、入間川や越辺川、荒川などの谷口に形成され、発展してきた街として、知られています。青梅市の名前の由来は、青梅市の資料によれば、「平将門が青梅の金剛寺あたりを訪れた際に、馬の鞭に使用していた梅の枝を自ら地面に挿し、『願いがかなうなら咲き誇れ、叶わないなら枯れよ』といったところ、梅の根が根付きました。ところが、この木の梅は青いまま熟さず、枝に残ったまま落ちることはありませんでした。これを見た人々が不思議に思い、この地を青梅と呼ぶようになった」としてされています。1590年(天正18年)北条氏が滅び、徳川氏が関東に入国し、その後江戸幕府が開かれると青梅の大半は、幕府の直轄地になっています。明治になり、青梅を中心とした40か村の村は、明治22年(1989年)の町村制施行により、1町6村に統合され、さらに昭和26(1951年)には青梅町と霞村、調布村が合併し、青梅市となっています。そして、昭和30年(1955年)には、隣接する吉野村と三田村、小曾木村、成木村の4か村が編入されて、現在の青梅市になっています。この間、明治27年に立川と青梅間に鉄道が開通しています。なお、市内には、金剛寺や塩船観音寺、武蔵御嶽神社、吉野梅郷などの名所があり、だるま市や青梅大祭などの伝統行事も有名です。
2.青梅市の公立小学校について
現在、市内には、第一小学校と第二小学校、第三小学校、第四小学校、第五小学校、第六小学校、第七小学校、成木小学校、河辺小学校、新町小学校、霞台小学校、友田小学校、今井小学校、若草小学校、藤橋小学校、吹上小学校、東小学校の17の公立小学校があります。この中で、第一小学校日向和田分校が1969年、第六小学校二俣尾分校が1976年に、第六小学校御岳分校が1986年に廃校となっています。また、1996年に第八小学校と第九小学校、第十小学校の3校が統合し、新たな成木小学校になったことに伴い、第八小学校と第九小学校、第十小学校は廃校となっています。なお、旧第八小学校の地に成木小学校の新たな校舎が新築されています。
3.青梅市の公立小学校の廃校とその現状について
ここでは、廃校となった小学校(分校)とその現状について見ていきます。
❶ 旧第六小学校日向和田分校とその現状について

写真1 旧日向和田分校跡地(現日向和田保育園)
明治6年5月5日に、青梅村本町152に守谷七郎衛門所有家屋を仮校舎とした後の第一小学校となる「青梅学舎」が開校しています。一方日向和田村には青梅学舎が開校した翌月の6月18日
に「陽嵓学舎(ようがんがくしゃ)」が岩村正盛によって開設されています。この陽嵓学舎は、その後明白院に移ったりしていますが、明治10年には青梅学舎と合併しています。その後、明治32年4月に日向和田299番地に校舎が新築され、「青梅学校日向和田分教場」となっています。西分村では、村の宗徳寺に「温知学舎」が開校しています。このように、青梅学校や陽嵓学舎、温知学舎が現在の第一小学校の基になっているといえます。こうした経過を経ながら、旧日向和田分校は、残念ながら1969年(昭和44年)3月30日に廃校となっています。

写真2 旧日向和田分校跡地 写真3 日向和田2丁目公園看板
(現日向和田2丁目児童遊園)
旧日向和田分校跡地は、青梅線の宮ノ平駅直ぐ近くのところにありました。奥多摩町方面に車で向かった場合、青梅街道を日向和田駐在所の所で右折し、坂道を上った直ぐの所にあります。現在、跡地は現在社会福祉法人日向和田保育園(写真1)と児童遊園(写真2)となっています。写真2は入口に設置された児童遊園の看板です。日向和田保育園は、写真1からも分かるように鉄筋コンクリート造りの綺麗な建物となっています。また、児童遊園も広々としていて、いろいろな活動にゆったりと使えそうな気がします。
➋ 旧第六小学校二俣尾分校とその原状について
市立第六小学校は、多摩川に架かる奥多摩橋の直ぐのところ(写真6)にあります。第6小学校の分校であった、旧二俣尾分校は、明治7年に二俣尾村の海禅寺に設置された桃林学舎が始まりで、その後、現在二俣尾保育園がある場所に新校舎が新築されるのにあわせて、明治16年に二俣尾学校(後の二俣尾尋常小学校)として分離独立しています。明治42年には、二俣尾尋常小学校は、耕習尋常小学校御岳尋常小学校(後述します)とともに、江北尋常小学校(後の三田尋常小学校)に統合し、その分教場となっています。戦後、昭和22年には、三田村立三田小学校二俣尾分校となります。昭和30年は、三田村が青梅市と合併するに伴い、青梅市立第六小学校二俣尾分校となっています。それが残念ながら昭和51年に廃校となっています。旧二俣尾分校跡地は、青梅線二俣尾駅直ぐのところにあり、車で行くには、青梅街道を二俣尾郵便局の所で右折し、坂道を昇って行くと直ぐの所にあります。跡地は、現在社会福祉法人二俣尾保育園となっています(写真4、写真5)。二俣尾保育園は分校が廃校となった翌年に開園となっています。写真からも分かるように、現在の保育園の建物は、運動場より一段高い石垣の上に立っています。旧二俣尾分校の校舎も一段高いところにあったものと考えられます。写真5の門柱には、「二俣尾分教場」と書いてあります。このことからも、ここに旧二俣尾分校があったことが分かります。なお、写真6は、奥多摩橋近くにある青梅市立第六小学校です。奥多摩橋橋上より撮影しました。

写真4 旧第六小学校二俣尾分校(現二俣尾保育園)

写真5 旧二俣尾分教場の門柱 写真6 青梅市立第六小学校(奥多摩橋より)
➌ 旧第六小学校御岳分校とその原状について
御岳山山頂には、山岳信仰のシンボルとして知られている武蔵御岳神社が鎮座しています。西暦736年に行基がここにお堂を建て、蔵王権現を祀ったことに始まったことに由来しています。隣接する宝物殿には、国宝など貴重な物品が多数展示されています。ここへは御岳登山鉄道ケーブルカー(写真8、写真9)を利用して、往復するのが便利かと思います。下の滝本駅から御岳山駅までは標高差423.6mを約6分で結んでいます。写真からも分かるようにケーブルカーの勾配は、急で最大斜度は25度となっています。さて、山頂には、御岳山駅から歩いて約10分のところに昭和61年に、廃校となった青梅市立第六小学校御岳分校跡地がありました。跡地は今御岳山ビジターセンタ―となっています(写真11、写真12)。ビジターセンターは、ビジター(訪問者)の方々が、子どもたちも含めて、楽しめる展示や解説員による解説などを通して、御岳山の自然や歴史、人と自然との関係などを学ぶことができる東京都の施設です。写真10の建物を外側に「御岳學校の跡地」と書かれた碑がありました。御岳分校は、明治10年に御岳山の改修された須崎家の空き家に「御岳学校」として開設されました。その後御岳尋常小学校と改称され、昭和16年に三田村立三田尋常校高等小学校となり、昭和30年には、青梅市と三田村とが合併したことに伴い、青梅市立第六小学校御岳分校となっています。それが、残念ながら、昭和61年に廃校となっています。なお、写真1は吉野街道と御岳神社(滝本駅)に向かう道路との三叉路にある鳥居です。車などで行く場合、一つの目印になります。

写真7 御岳2丁目にある鳥居 写真8 御岳登山鉄道ケーブルカー

写真9 御岳登山鉄道ケーブルカー 写真10 御岳分校跡地(現ビジターセンター)

写真11 御岳分校跡地(現ビジターセンター) 写真12 御岳學校の碑
➍ 青梅市立旧第八小学校とその現状について
先に述べたように、1996年4月1日、第八小学校と第九小学校、第十小学校が統合したことに伴い、それぞれ廃校となっています。3校統合後の名称は、青梅市立成木小学校となり、旧第八小学校があったところを成木小学校(写真13、住所:青梅市成木3丁目423番地1号)として利用しています。写真13の校舎は、統合後の1998年9月1日に落成し、使用が開始されています。旧第九小学校と第十小学校があった学区域の児童は、現在、成木小学校まで、2010年に導入された通学バスにて、通学しています。

写真13 現在の青梅市立成木小学校
❺ 旧青梅市立第九小学校とその現状について

写真14 旧青梅市立第九小学校 写真15 旧青梅市立第九小学校
既に何度も述べているように、旧第九小学校は統合されたことに伴い、廃校となっています。第九小学校は、1876年に「上成木尋常小学校」として開校し、成木村立上成木小学校を経て、第九小学校となったものです。旧第九小学校(青梅市成木7丁目)は、広い敷地を持ちながら、周辺の過疎化に伴い、1996年に残念ながら、廃校となっています(写真14)。現在は、「上成木ふれあいセンター(現在は閉鎖)」「避難場所」として利用されています。
❺ 旧青梅市立第十小学校とその現状について
また、繰り返しとなりますが、旧青梅市立第十小学校は、1873年に「正澤学舎」として創設されました。そして、明治8年に北小曾木学校と改称し、北小曾木と上成木下分、上成木村上分、下成木下分が合併し、成木村が成立したことに伴い、成木村立北小曾木小学校と改称しています。その後、昭和30年、成木村と吉野村、三田村、小曾木村の4村が青梅市に編入されたことに伴い、青梅市立第十小学校となっています。旧第八小学校と旧第九小学校、第十小学校の統合については、先の通りです。第十小学校(写真16、写真17、写真18)は廃校後、第九小学校と同様、地域のふれあいセンターとして利用されていましたが、現在は閉鎖されているとのことです。写真19は、校舎の前にある運動場ですが、運動場も含めて、廃校後の新たな活用方法が求められているところかと思います。

写真16 旧青梅市立第十小学校 写真17 旧青梅市立第十小学校(運動場)

写真18 旧青梅市立第十小学校 写真19 旧青梅市立第十小学校
Ⅲ 東京都西多摩郡日の出町における廃校とその現状について

図3 日の出町(www.mapbinder.comより) 図4 日の出町行政区分地図
1.東京都西多摩郡日の出町について
日の出町(ひのでまち)は、東京都の多摩地域西部にあり、西多摩郡に属しています。都心からは、約50㎞の位置にあり、秩父多摩甲斐国立公園の表玄関口となっています。町は青梅市とあきる野市に隣接し、面積は28.07㎢で、人口は2025年8月1日の推計で16252人となっています。町は、1955年(昭和30年)に西多摩郡大久野村、平井村が合併し、日の出村が発足しています。 その後、1974年(昭和49年)には町制施行に伴い、日の出町となっています。日の出町という名前は、「日の出山」の「日の出」から、名付けられています。現在、町は大きく大久野(西部)と平井(東部)2地区からなっています(図4参照)。2地区は、さらに、細かく①大字平井谷の入、②大字平井宮本・足下田、③大字平井谷田、④大字平井塩田・狩宿・中野、⑤大字平井本宿、⑥大字平井三好野1、⑦大字平井三好野2、⑧大字平井三好野3、⑨大字平井三好野4、⑩大字平井中野3、⑪大字平井中野2、⑫大字平井中野1、⑬大字平井三好野5、⑭大字平井三好野6、⑮大字平井肝要・松尾・三ッ沢、⑯大字大久野落合、⑰大字大久野萱窪、⑱大字大久野羽生、⑲大字大久野幸神、⑳大字大久野新井、㉑大字大久野岩井、㉒大字大久野細尾、㉓大字大久野肝要・松尾・三ッ沢、㉔大字大久野長井、㉕大字大久野水口、㉖大字大久野坊平・北原・坂本、㉗大字大久野玉の内の27地区に分けられます(フリー百科事典『ウィキベディア』より)。日の出山荘は大字大久野5270番地にあります。この日の出山荘は、1983年(昭和58年)、来日したロナルド・レーガン米国大統領と中曽根康弘総理大臣による日米首脳会が開かれた場所でもあります。日の出山荘には、その後も、元ソビエト連邦大統領ミハイル・ゴルバチョフや駐日アメリカ合衆国大使トーマス・フォーリーと中曽根との会談が催されています。日の出山荘は、今、こうしたことを広く伝えいくことを目的にして、一般に広く公開されています(フリー百科事典『ウィキベディア』より)。
2.東京都日の出町の公立学校について
現在、日の出町には、大久野小学校と平井小学校、本宿小学校の3校があり、中学校は大久野中学校と平井中学校の2校があります。その中で、大久野小学校は明治5年に開設された羽生学舎と細尾学舎、玉の内学舎がその前身となっています。また、平井小学校は、明治5年の開設された誠生学舎と宝各学舎、講明学舎がその前身とされています。中学校について、大久野中学校と平井中学校は昭和22年に開校し、町立本宿小学校は昭和53年の開校となっています。今回、紹介します大久野小学校の肝要分校と坂本分校についての開校年月日やその後の移り変わりについては、資料が少なくはっきりしません。ただ、昭和31年9月5日の福生新聞日の出村議会の中に、「大久野小学校の建設費の追加予算として602万3097円、また特別会計大久野小学校及び坂本分校建築費歳入歳出共予算2千452万3097円」という記事がありました。フリー百科事典(ウィキベディア)によれば、大久野小学校肝要分校は1982年、坂本分校は1965年にそれぞれ廃校となっています。この2つの資料から推測すると旧坂本分校は、校舎建築後まもなく廃校となっていることになります。
3.東京都西多摩郡日の出町における廃校とその現状ついて
ここでは、廃校となった旧大久野小学校肝要分校と坂本分校とその現状について見ていきます。
❶ 旧大久野小学校肝要分校とその原状について
既述の通り、旧大久野小学校肝要分校は、昭和57年(1982年)に廃校となっていますが、それ以外の詳細については、よく分からないところがあります。さて、車で日の出町市街地から平井川沿いの都道を奥に進んで行くと大久野肝要地区に幾つかの目立つ建物がありました(写真20、写真21、写真22)。肝要分校について、たまたまお会いした方にお聞きしましたところ、ここに旧大久野小学校肝要分校があったとのことでした。写真20は、廃校後跡地に造られた「ひので肝要の里」の建物です。ここ1階では、地場産農産物や加工品などが販売されています。写真21は、「小さな蔵の資料館」です。この資料館は、分校があったところに蔵を模して建てられたものです。写真21の建物は、写真20の「ひので肝要の里」の建物の裏側の一段高いところに建てられています。「小さな蔵の資料館」の建物の隣には、学校を模して造られた分教場風の建物「小さな蔵の資料館別棟」が建てられています(写真22)。写真20の左に一部見える建物が「小さな蔵の資料館別棟」です。日の出町には、江戸時代から多くの蔵が建てられ、現在157棟の蔵が残されています。こうしたことを背景に、小さな蔵の資料館は、蔵の歴史をテーマとして、町に伝わってきた宝を収蔵し、公開することを目的に平成16年11月3日に設立されました。展示内容は、蔵(蔵の歴史など)、器(漆器・伊万里)、武(刀剣・武器)、書(幕末三船の書・儒者の書)、技(研師・表具師)、宝(日の出町の重要文化財)です。※当館は令和3年4月1日から当分の間休館となっています(日の出町産業観光課商工観光係資料より)。

写真20 旧大久野小学校肝要分校跡地(現在ひので肝要の里)

写真21 小さな蔵の資料館 写真22 小さな蔵の資料館別棟
➋ 旧大久野小学校坂本分校とその現状について
日の出町市街地から都道251号青梅日の出線を青梅方面に進み、大字大久野坊平・北原・坂本の坂本地区に、旧大久野小学校坂本分校がありました。写真23の建物は、石垣を積み、一段高いところに、旧分校の校舎が現存しています。ただ、現在は個人の所有・管理となっています。そして、校舎の直ぐ下に分校の井戸があったとのことです。今はコンクリ―ト舗装がなされ、ありません。また、校舎より一段低いところ(前南側)は、グランド(運動場)があったところです(写真24)。現在は個人の方の家が建っています。写真25は、滑り台です。分校があったころは、児童が利用していたそうです。

写真23 旧大久野小学校坂本分校

写真24旧大久野小学校坂本分校跡地 写真25旧大久野小学校坂本分校跡地(滑り台)
(家は個人所有管理)
Ⅵ あとがき
今回は、青梅市と西多摩郡日の出町における廃校とその現状について見てきました。今年の夏は、馬県伊勢崎で41.8度の最高気温を記録するなど、例年にない暑さとなりました。暑さは9月になっても続いています。山里茂も、こうした暑さの中、このブログ作成のためのフィールドワークを青梅市や日出町で行なったりし、また、涼しい時間帯には、僅かばかりの耕作地に出て、伸びた雑草の草刈りなどを少しずつ行ったりしながら、過ごしていました。写真26、写真27は、9月末に水田周辺の野に群生していたヒガンバナ(曼殊沙華)を撮影したものです。ヒガンバナは、私たち以上に元気にたくましく育っていたような感じがしました。次回は、まだはっきりしませんが、昔、武蔵15郡・上野2郡で勃発した「武州世直し一揆」についてまとめていければと考えています。最後になりますが、青梅市の教育委員会の皆様、日の出町観光案内所の皆様、御岳山ビジターセンタ―の皆様、そして、旧大久野小学校肝要分校と旧坂本分校でお会いさせていただいた皆様に、この場をお借りして、厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。

写真26 ヒガンバナ 写真27 ヒガンバナ
【資料(順不同)】
①青梅市地図「青梅市|東京都www.mapbinder.comwww.mapbinder.com」
②青梅市行政区分地図「青梅市」
③日の出町「www.mapbinder.com」
④日の出町行政区分地図「日の出町」
⑤日の出町産業観光課商工観光係「小さな蔵の資料館」
⑥日の出町「小さな蔵の資料館」
⑦日の出町「ひので肝要の里設置及び管理に関する条例」
⑧フリー百科事典(ウィキベディア)「青梅市」
⑨フリー百科事典(ウィキベディア)「日の出町」
⑩フリー百科事典(ウィキベディア)「御岳登山鉄道」
⑪フリー百科事典(ウィキベディア)「青梅市立成木小学校」
⑫フリー百科事典(ウィキベディア)「青梅線」
⑬フリー百科事典(ウィキベディア)「青梅市立第一小学校」
⑭日の出町「日の出町の歴史」
⑮日の出町「日の出町へようこそ」
⑯社会福祉法人日向和田保育園資料
⑰二俣尾保育園「二俣尾のホームページへようこそ」
⑱青梅市教育委員会ホームページ「小学校一覧」
⑲青梅市「青梅市のプロフィール」
⑳青梅市文化財保護指導員連絡協議会「青梅市文化財ニュース『青梅市立第六小学校』」
㉑ 福生新聞「昭和31年9月5日発行」
㉒ び・び・びのびいすけ「廃校を訪ねて青梅市立第九小学校」
㉓ び・び・びのびいすけ「廃校を訪ねて青梅市立第六小学校御岳分校」
㉔ HARIKYUS CAMERA CLUB(BLOG)「廃校を訪ねて、青梅市立第九小学校と第十小学校」