2024年11月、私はランニングを始めた。
きっかけは、「何かをしないと前に進めない」という焦りのような気持ちだった。
以前、ブログでハウステンボスでの出来事について書いたことがある。
その経験が、今の私の行動や考え方の原点になっているように思う。
ランニングは、人生に似ている
走る時間は、誰かと比べる勉強とは違う。
ただ自分自身と向き合う時間だ。
体も心も、少しずつ強くなっていくのが分かる。
どんなに苦しくても、走り続ける。
歩いてでも前に進む。
その「物理的な前進」が、私の脳に「前へ進んでいる」という実感を与えてくれる。
距離やタイムを記録すると、昨日より今日の自分が少し成長していることがわかる。
何もしていない一日ではない――そう感じられる。
そんな自分を、私はやっと褒めてあげられる。
韓国の男子高校生との出会いがくれた変化
走っているとき、音楽を聴きながら坂を駆け下りると、ふと考える。
「私は何のために生まれてきたのだろう」
「いつか、出会ったあの韓国人の2人に再会できるのだろうか」
ハウステンボスでの出会いは、私の人生を変えた。
それまで私にとって韓国は、教科書に出てくる“ただの外国”だった。
でも、目の前の彼らと心を通わせた瞬間、韓国という国が一気に身近に感じられた。
その“非日常体験”が私の心を強く揺さぶった。
今でも思い出すと、涙が出そうになるし、鳥肌が立つ。
けれど、そんな感情を学校で話しても、なかなか理解されない。
その孤独さが、時々私を苦しめる。
だから、走る
私は走る。
自分だけは、自分の感受性を信じたい。
人に伝わらない悔しさを、足で地面を踏みしめることで発散している。
学校という場所は、どうしても窮屈に感じる。
家と学校を往復する毎日。
校則が厳しくてバイトもできない。
お金も自由もまだない。
それでも、走っているときだけは、少し自由になれる気がする。
空を見上げながら思う。
「彼らも同じ月や星を見ているのだろうか」と。
変わりゆく時間の中で
時間は流れ、あの時の彼らも私も少しずつ変わっていく。
何度も「あの瞬間に戻りたい」と思った。
叶うことなら、今すぐにでも会いたい。
けれど、私は慎重に考えるようになった。
あの出会いは確かにロマンチックだったけれど、
もし相手の気持ちが違う方向に向いていたら――そんな不安もある。
だから、まだ会う決断はできていない。
彼が日本に来たのはその後2回。
それでも、私たちはまだ再会していない。
今日も、前へ
私は今日も走る。
孤独を抱えながら、それでも前へ進む。
走るたびに、少しずつ心が整っていく。
そしていつか――また会える日、今日の自分が未来に繋がっていることを信じている。



