発達障害もそうですが、我が家には聴覚障害という目では見えない障害がある三男がいます。
三男の場合は、小耳症という疾患もあるため見た目でももしかしたら、耳の聞こえが悪いのではないだろうかと、判断する方もいるかと思います。でも、あまり耳を見るって人は少ないと思います。三男との出会いで、私も他の人の耳を見たり、補聴器を見たりするようになりましたが、大抵はあんまり意識して見ないのではないでしょうか
以前、歩道を歩いていて後ろから自転車が来ているのは分かっていましたが、道幅も狭く水溜りもあったためとにかく水溜りの無い場所に移動してから自転車を行かせようと思っていた時に、いきなり「馬鹿ヤロー」と言われてしまいました。
その発言は、チャリンチャリンとベルを鳴らしているのに、避けなかったって事に対してなのですが、こんな場面の時、多分、聴こえている事が前提だと思います。また、鳴らせば避けるのが当然と思っているのかも知れません。と、いうのは妹が小学生の頃、横断歩道を渡ろうとしていた妹に対して「クラクションを鳴らしたのに停まらなかったから、引いてしまった。私は、急いでいたのにどうして停まらなかったんだ」と、怪我した妹を連れて怒鳴りこんできたおばさんがいました。
まぁ、この方の場合、(左折してきた運転手の側には一時停止の標識もありました)横断歩道での歩行者優先っていうのを無視していますし、子どもが渡りそうだと予知していての行為なので自分勝手過ぎると思うのですが(後に、ご主人に自分の過失について説明を受けたらしく、丁寧に謝罪に来て示談になりました)、そこまでひどい話でなくてもこの世の多数の人が耳が聞こえるって事が前提で、世の中動いているように感じます。
ところで、耳が聞こえないと生活していけないのでしょうか聴覚に障害があっても、三男の場合は目が見えます。なので、手話やジェスチャー、筆談や唇読などで会話が出来ます。その場に居ない遠くの人ともFAXやメール、手紙という手段でやり取りも出来ます。
しかし、子供が聴覚障害だと知らなかったらどうでしょう子供のほうが生活のパターンなどで、多分こういう事を指示しているんだろうなというのを自分自身で身につけて行動する事も出来るかも知れませんが、親がいくら口で指示をしても新しいことに対して、行動できないって事になってしまわないでしょうか
そして、親が怒ったとしても、子供のほうは何で怒っているのかも分かりませんし、自分が耳が聞こえていないって事も、大多数の人が言葉というのを使ってコミュニケーションしているというのも知らないって事になってしまうかも知れません。
発達障害の子供の場合も、言葉で伝えるよりも絵カードなど視覚で伝えると指示が入りやすい子供が多いと聞きます。ほかには、教室での座席を前のほうにすると余計なものが目に入りにくくなるとか、その子の特性を知ることによって支援の仕方が見えてくるのかなぁと思います。